格好いいぞ!

選手への声掛けに使われる言葉として気になっているものがある。タイトルからもろばれだが、「格好いいぞ!」だ。

「格好いい」を誰かを応援するときに使う言葉と認識していなかったので、最初聞いたときは驚いたが、意外にもあちこちで「格好いいぞ!」という声援を耳にする。日体大記録会で、高校生がその高校の選手としては最終組を走るチームメイトに「格好いいぞ!!」と声をかけ、平国大記録会でも、大学生が10000mも後半に入ってから「格好いいぞ!!」と選手にエールを送り、先日の箱根駅伝G+特別編でも、東洋大学の蝦夷森くんも7区の出走前、往路のメンバーに「今日のお前はかっこいいぞ」「今日の蝦夷森はかっこいいぞ」「100倍かっこいい」と激励されていた。

そうか、「格好いい」は応援するときにも使うのか。発見だった。

そうは言っても、実際に現地観戦に行って、それを叫べるか、と言ったら叫べない。私が「格好いいぞー!」と叫んでも、きっとその言葉本来の意味しか届かないだろうと思うからだ。「きゃー!やばい!格好いいっ!!(悶絶)」たぶん伝わるのはこれだけだろう(そもそも選手の耳に入っているとも思えないのだけど)。本来の意味で「格好いい!」とはもちろん(?)思っているんだけど、観戦しているときはちゃんと応援する気持ちを伝えたいのだ、聞こえるかどうかは別としても。

それに、見知らぬ人から「格好いいぞ!」と声を掛けられて動揺したりしないだろうか。そんな機会は絶対に私に訪れることはないのだが、もし私が走っているときに「かわいいよ!」とか「きれいだよ!」とか言われたら、決して嫌でも不快でもないのだが、戸惑って無駄に動揺してしまいそうだ。何となく気恥ずかしくなって、その場から早く離れたい一心でペースを上げたら、意外といいリズムで走れるかもしれないが、反対にリズムが崩れるかもしれない。そんなに動揺するのは少数派か、とも思うが、それでもきっと「格好いいぞ!」という声掛けが嬉しい選手もいれば、そうでない選手もいるのではないだろうか。

そんなことを考え始めるとますます「格好いいぞ!」なんて言えなくなる。気にしすぎ、かつ考えすぎかなとは自分でも思うが、「格好いいぞ!」は、私の中で「言ってみたいけど言えない声掛け」として封印することにした。これからもストレートに応援だと分かる言葉で応援していきたいと思う。

「怯まず前へ」の中で、酒井監督がこんなことを言っている。

日々の観察で選手たちの性格を把握することも、アドバイスを送る上で大切です。
「頑張れ」と言うより「大丈夫だよ」と励ます方が良い選手がいれば「何をやっているんだ!」と檄を飛ばした方が燃える選手もいますが、たいていは「今日はいいよ」とか「いけるぞ」などといった、安心感を持たせるような言葉が多くなります。(「怯まず前へ」p.113)

この言葉から考えると、毎日一緒に練習をして、生活をしている選手が掛けている「格好いいぞ!」という言葉は、本来の意味とは違っていても、その選手を後押しするのに向いている言葉ということだろう。何気ない言葉や行動の端々に、彼らが積み重ねてきた日々の存在を感じる。

テレビには映らないところで、陸上雑誌には描かれないところで、きっと私が想像以上にハードな練習をしていて、過酷な日々を過ごしているのだろう。走ることに真剣に向き合う人はすごいな。そんなことを思いながら、「格好いいぞ!」とチームメイトに声援を送る彼らの横で、今年も「ファイトー!」と応援させてもらおう。

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