その1日をつくるもの

昨日、想像もしていなかった嬉しいことがあった。noteに投稿し始めて初めてサポートをいただいたのだ。

どのnoteを読んでサポートしてくださったのかというと、これだ。

「顔ファンからでもいいと思う!!!800m、めちゃくちゃ格好いいから!!!!ぜひ、見てみて!!!!!~~今年は絶対誰かを800mの沼へ引き込んでやる…黒い念を添えて」みたいなやつである。要約すると何だかめちゃくちゃ軽いし、タイトルも軽いような気がするし(実際翌朝タイトルを見て、これは……と自分で思った)、ちゃんと中身を読んだとしても、競技経験のある方を怒らせてしまうかもしれない…と心配していたやつだ。

自分で書いておきながらちょっと不安に思っていたnoteを読んで、「スキ」してくれる方がいるだけでも嬉しいのに、800mやってたんです、という方からのサポートとメッセージは、軽くパニックになるほどに嬉しかった。「サポート」とは書いたものの、それよりもむしろ、気持ちが伝わったこと、言葉と行動で気持ちを返してくださったこと、それがとても嬉しかった。

その前の日も嬉しいことがあった。「ランニングデートのすゝめ」という、私の独断と偏見全開のnoteを投稿した翌日のことだ。

TwitterのTLを見ていたら、このnoteを読んで、あの大会のあの並走はランニングデートだったのか?と思いを馳せてくださる方がいたのである。それも何人かの方が。

本文にも何度も書いているように、完全に私の独断と偏見でできたnoteである。にもかかわらず、その人の記憶を、たとえ一瞬だったとしても辿ってくれたことには、ああ、嬉しいな、と思わずにいられなかった。

They made my days.

まさに彼らは私の1日をつくってくれたのだ(”make one’s day” は「誰かを楽しませる;誰かの一日を素晴らしいものにする」と訳されることの多いイディオムだが、私は直訳する方が好きだ。何となくその方が温度を感じるような気がするから)。そんな大袈裟な、と思うかもしれないが、私は至って本気だ。

どの人も、私と会ったことのない人だ。にもかかわらず、そんな彼らが、有名人でも、文章を書くことを生業にしているわけでもない私の書いた文章を読んで、少しでも何かを思ったり感じたりしてくれた。勢いでnoteを書き始めた私にとって、それはとてもすごいことなのだ。

私はそんなふうに誰かの1日をつくれたことがあるだろうか。厚かましいかな、と思いつつ、ふとそんなことを考えてみる。

思い当たることは何もなかったが、それでもいいやと思った。私の昨日と一昨日をつくってくれた人たちも、私のある1日をつくったとは、きっと想像もしていないだろうから。

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