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エピソード6 五瀬命の帰還

すみません。物語の順序が逆になってしまいました。エピソード6を投稿してるつもりで、6.5を書いていたわけです。はずかしい~。

では、お読みくだされ。


 狭野尊(さの・のみこと。以下、サノ)たち天孫一行は、安芸国(あき・のくに。今の広島県西部)に到着した。「古事記」においては、七年も滞在したと記録されており、これは水稲耕作の伝播と灌漑工事のためだと考えられる。

 前回、上記のような考察をさせてもらったが、今回は、それについての詳しい紹介と、同時におこなわれたと思われる視察事業についても触れたいと思う。

 ただ、その前に、前回登場した、安芸津彦命(あきつひこ・のみこと)について、少々の補足説明をさせていただきたい。と言うのも、まだ紹介できていない事柄があったのである。

 安芸津彦が安芸国造(あき・のくに・のみやつこ)の祖であることは、前回、説明させてもらったが、実は、他にも、肩書があったのである。

 阿尺国造(あさか・のくに・のみやつこ)信夫国造(しのぶ・のくに・のみやつこ)伊久国造(いく・のくに・のみやつこ)などの祖でもあるという。

 阿尺(あさか)は福島県郡山市周辺、信夫(しのぶ)は福島県福島市周辺、伊久(いく)は宮城県角田市周辺である。

 広島とは遠く離れた、東北地方の国造の祖ともなっているのである。

 このことを考えると、安芸津彦の一族は、大和朝廷内でも信任の厚い一族であったことが分かる。

 また、安芸国府の在庁官人(ざいちょうかんじん)で、平安時代には、厳島神社(いつくしまじんじゃ)の祭祀を司り、勅使代(ちょくしだい)を務めてきた田所家も、安芸津彦の子孫であると伝わっている。

 ちなみに、在庁官人とは、地元の有力者が地方官を務めるということであり、勅使代とは、天皇の使者の代行役ということなので、やはり信任の厚い一族であったと推察できるのである。

 では、本論に戻ろう。

 サノたちは、安芸国に水稲耕作の方法を教え、灌漑工事を進めていったらしい。

 県内最大の穀倉地帯である、東広島市西条地区に、サノ一行が立ち寄ったという伝承も残っている。

 宮島(みやじま)にも訪れているようで、島の南端に位置する須屋浦(すやうら)に上陸し、しばらく滞在したとの伝承がある。

 厳島神社(いつくしまじんじゃ)も、サノの時代に鎮座したとされているので、このときに、祀られたものかもしれない。

 実際、島内の山腹には、巨石を用いた祭祀の痕跡も有り、古代祭祀の面影を残している。もしかすると、サノたちが祭祀をおこなったものかもしれない。

 これらの情報は、昭和15年の皇紀2600年記念事業の一環で神武天皇聖蹟調査がおこなわれ、広島県が発行したものによる。

 その名も「神武天皇聖蹟誌」

 たくさんの聖蹟地があった。

 上陸地点すら、何か所もあった。

 まずは、廿日市市(はつかいちし)から見てみよう。

 地御前神社(じごぜんじんじゃ)の神社西側の入り江を有府水門(ありふのみなと)と言い、ここから上陸したという伝承がある。

 何年目のことかは分からないが、6月17日、厳島神社の管弦祭(かんげんさい)、すなわち音楽祭の際に、高波が起きたため、この地に船を係留したとも伝わる。

 また、同市の串戸(くしど)にある広田神社(ひろたじんじゃ)には、サノが戸を開き、玉串を奉ったことにより、串戸と名付けられたという伝承があった。

 宮内という地域には、宮内天王社(くないてんのうしゃ)という神社がある。ここには、御手洗川(みたらいがわ)に沿って遡上してきた一行が上陸し、宮を作った故事から、宮内と呼ばれるようになったとあった。

 次は広島市を見てみよう。

 広島市井口井口大歳神社(いのくちおおとしじんじゃ)も上陸地点の一つで、この神社の前に船をつなぎ泊めたという。

 同市西区田方草津八幡宮(くさつはちまんぐう)も、近くまで入り江があったと伝わり、西側には行宮(あんぐう。仮の御所)もあったという。

 同区古江東町(ふるえひがしまち)新宮神社(しんぐうじんじゃ)にも上陸伝説がある。

 次回以降に触れることになるが、江田島などにも足を延ばしているようなので、その時々の上陸地点に社が建てられたのかもしれない。

 立ち寄ったという地点もあった。

 広島市佐伯区石内臼山八幡神社(うすやまはちまんじんじゃ)や同市安佐北区亀山八坂神社(やさかじんじゃ)などに立ち寄ったという伝承が残っていた。

 東広島市にも来訪伝承地が二か所あった。

 福富町(ふくとみちょう)上竹仁(かみだけに)森政神社(もりまさじんじゃ)

 西条町(さいじょうちょう)寺家(じげ)新宮神社(しんぐうじんじゃ)である。

 新宮神社の手水石(ちょうずいし)は、サノの腰掛石(こしかけいし)と伝わっている。ちなみに、手水とは、手と口を洗い清めることで、その場所の石として利用されているようである。

 ここで、本編の主人公であるサノが口を開いた。

サノ「おつかれさん。けっこう廻ってるやろ?」

 かなりですね。なかなかの量で、調べるのがつらかったことを、ここに告白します。読み方とかも、よく分からなかったし・・・。

サノ「地元特有の読み方もあるかい(から)、それは仕方なか。」

 でもなんで、こんなにたくさんの所を廻ってるんですか?

サノ「稲作に適した土地、そうでない土地、つぶさに見て、ここに必要なんわ、どれなんか・・・。視察して決めていったっちゃ。」

 なるほど。あと、一つ質問していいですか?

サノ「何や?」

 広島市の市街地と東広島市の中間地点にあたる、広島市安芸区瀬野というところに、生石子神社(ういしごじんじゃ)というのがあるんですが・・・。

サノ「ああ、イツセの兄上が陣所を置いていたところっちゃね。」

 そうなんです。瀬野という地名も、彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと)が語源なんだとか・・・。

サノ「瀬・・・しか合っちょらんが・・・。」

 そこは別に気にしてないんです。それよりも、どうして彦五瀬命だけの陣所が有るんでしょうか?単独行動をしていたってことですか?

サノ「それについては、次回、説明するっちゃ。ぜってい、見てくれよな!」

 言いたかっただけですよね。絶対、言いたかっただけですよね。

 そこへ、話題の人物、彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと。以下、イツセ)がやって来た。

長兄イツセ「サノよ。ただいま帰還したぞ。」

サノ「兄上!お疲れ様っちゃ。それで、どうね?」

長兄イツセ「上首尾や。そろそろ、おまえ自身が動かにゃならん時が来たっちゃ。」

サノ「ついに来たか。じゃあ、動くっちゃ。」

 次回は、広島県北部(芸北地方)に残る伝承をもとに、話を進めていきたいと思う。

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