見出し画像

三国志のおかげです パート2

小学生の時、三国志を通じて、漢民族の人名には、字(あざな)というものがあると知りました。

当時は、ここまでの知識でした。

いろいろ覚えましたよ。

関羽(かん・う)なら雲長(うんちょう)

張飛(ちょう・ひ)なら翼徳(よくとく)

趙雲(ちょう・うん)なら子龍(しりゅう)

張遼(ちょう・りょう)なら文遠(ぶんえん)

ここまで、入力してきて、ビックリしました。

上記四名の字(あざな)が、ちゃんと変換できるということに!


話がそれました。すみません。

さて、日本にも字(あざな)のようなものがあります。

それが通称(つうしょう)です。

私は、三国志を通じて、字(あざな)を知っていたので、通称というものも、すぐに理解できました。

本当に、三国志のおかげです。

もし、字を知らなかったら、通称って何? ってなってたと思います。


さて、外国人みたいに格好よく見せたい症候群・・・

日本人には、この病があるように思えてなりません。

ちなみに、古代の日本には、通称なんてものは存在しません。

氏名のみです。

氏(うじ)と名前だけってことですね。

ところが平安時代も中期頃になると、格好よく見せたい症候群のせいで、字(あざな)に関心が向けられたみたいです。

八幡太郎義家って知ってますか?

源義家(みなもと・の・よしいえ)という人物なんですが、八幡神社で元服(げんぷく)したそうなんです。

ちなみに、元服とは成人式のことです。

そして、長男なんです。

八幡神社で成人した長男坊ってことで、八幡太郎・・・

義家という名前があるにもかかわらず、八幡太郎・・・

これが通称です。

最初は簡潔なものでした。

太郎・・・長男

次郎・・・次男

三郎・・・三男

分かりやすい。

漢民族に憧れた祖先は、通称を用いるようになりました。

貴族には、通称はありませんでしたが、名前を呼んだりはしません。

官職名や位階(いかい)で呼ばれてました。

源三位(げんさんみ)なら、源さんで、三位の位階を持ってる人

藤中将(とうちゅうじょう)なら、藤原さんで、中将の役職の人

こんな感じです。

わざわざ、源を「げん」と呼んだり、藤を「とう」と呼んでいるのも、漢民族に憧れて、敢えて音読みにしてるんです。

藤原さんなんて、敢えて「藤」の一文字で、漢民族っぽい雰囲気にしちゃってます。

御先祖様について書かれた書物も「藤氏家伝(とうしかでん)」です。

わざわざ一文字にして、音読みにしてるんです。藤原氏でいいじゃないか!

あと、三位を「さんみ」と呼んでいるのは、当時の人は「さんい」と言いづらかったみたいで、それで「さんみ」なんだとか・・・。

さて、武士は太郎、次郎・・・ですが、偉くなれば、貴族のように官職名で名乗るようになります。

源左兵衛佐(みなもと・の・さひょうえのすけ)

平安芸守(たいら・の・あきのかみ)

こんな感じです。

前回紹介した、曹操(そう・そう)の孟徳(もうとく)が太郎で、曹丞相(そう・じょうしょう)の丞相にあたるのが、左兵衛佐ですね。

このムーブメントは幕末まで続きます。

ちなみに、最初に出て来た通称が太郎、次郎・・・というのにも、漢民族の発明が由来となっています。

これも、三国志で知ったんですが・・・それについては、次回、お話しいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?