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144.NOと言えるかと怒りと罪悪感の壁

冒頭写真は小田原駅前。

久々の美容室。以前記事↓にもしたのだけど、相変わらず素晴らしい時間だった。

今日ご一緒したメンバーと語るは、やはり女性性開花について。

またスピリチュアルな話も共通する部分が沢山で、話は尽きない。(ヘミシンクの話など。みんな当然のごとく知っているから面白い笑)

そこでも話題になったのだけど、これは私の個人的な体験に基づく、

「NOと言えるかと怒りと罪悪感の壁」の話。

実はこのボーダーラインってすごく大きい。

一番意識が大きく変化するキーとなるポイントとも言えるし、依存や他人軸から自立や主体性、自分軸というかなり意識の変容ライン。

そして、女性性が開くための突破口でもあると思っている。これに関しては、セッションや様々な人と接してきて、熱心に観察と研究を重ねて、確信を得ている部分だ。

私の経験で言うと、女性性が閉じまくっている時って、本当にNOを言うことが難しい。怒りを表現することも。ネガティブなことへのジャッジが強い、とも言えるかな。

そして、何かにつけ罪悪感が発生して、思考が優位に働いてしまう。罪悪感って本当に強力で、立ち止まるための魔法みたいだ。

それだけならまだしも、自分に我慢や無理をさせて挙句の果てには、その自分から恨まれて、蔑ろにされたり、攻撃されるような現実を創ってしまったりする。(厳密には自分で自分を蔑ろにする、攻撃する、否定するといった感じ)

その一歩はとても大きく変容するとわかっていながら、なかなか越えられない壁。

昨日の記事にも関係しているけれど、

この三つ、とりあえずやってみる精神で取り組んで、成功体験を積み重ねていくことは、とても大事なことだと思う。

これを出したらとんでもないことになってしまうなんて思っているけど、実際は、世界はもっと優しい。

NOと言えるかと怒りと罪悪感の壁、、。

どれもこれも一つ一つがものすごいエネルギーを消耗することだから、この壁を目前に自分で自分を抑え込めてしまっている人がとても多い印象を受ける。

例えばNOと言うことって、境界線の話。適切な境界線が張れる、っていうのは自分と繋がっていないとなかなかできない。

そしてこれができない状態の時って、自分自身を蔑ろに扱うことにもなるから、自分を抑え込んでニコニコいい顔ばかりしてると、自分自身に恨まれ、蔑ろにされる現象を起こしてしまう。

怒りも然り。

無意識に、怒りって出してはいけないものって思って、調和と思考がタッグを組んで抑え込んでしまうことってよくある。

むやみやたらに人様にぶつけまくるのはあまり建設的ではないけれど、怒りは出してはいけないものかというと、「発生」してしまったものであるから、なかったことにはできない。

感情というものは、残念ながら発生してしまったら、抑え込むことはできない、というか無理矢理抑え込んだとしても、無かったことにはならないし、溜めれば溜めるほど、タチの悪いものに成長していってしまう。

だから、むしろ大きく、強いエネルギーなだけにスルーしてはいけないものだ。

そして、手強すぎる罪悪感。

何かにつけて罪悪感は登場する。これもまた思考と仲良しで。(笑)

自分を無理矢理納得させる達人だ。(笑)

もちろん常に完璧にはできないけれど、この3つをクリアすると、自分の人生の主導権を握ることができる。

主導権を握っていないと、外側のせいにしたり、言い訳をうまく並べたりして被害者的になったり、停滞したり、自分の望んでいない現実を生んではグチグチ言い、、。というループにはまってしまう。(それはそれで、プロセスにおいては充分に体験する必要があるのだけれど)

だから、これがあるから自分を抑え込んでしまっているのなら、さっさと乗り越えてしまった方がいい。

怖いけどね。

だけど、自分の人生の主導権を握っている者同士が関わってはじめて、調和し、循環すると思うのだ。
そうでなければ、奪い奪われ、の力関係で繋がってしまう。

さあ、あなたはどちらを選択する?(もちろん他の視点もあるしね)

要らないものは春分前に手放して、さっさと流れに乗ろう!


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