見出し画像

すげぇぜ国語

小6になったムスコ。
新学期になって、ずっと行われていなかった「音読」の宿題がまた出されるようになった。
無くなってたのはなんでだ?コロナの影響?(なんでもかんでも…)

私は、密かに学校から宿題で出される「音読」を聞くのが好きだったもんで、「しめた」と思った。学校の「国語の教科書」ってのは、内容がすこぶるおもしろいのだ。

「音読」はその名の通り、教科書を声に出して読む行為だ。そして、子どもが「正確に読めたか」「はっきりした声で読めたか」などに対して、親がチェックを入れる事になっている。

確認作業に親が付き合わされることに対して、周りのママ友からは「なんで毎日忙しいのに、子どもの宿題に付き合わされないかんのか」などといった文句が聞こえてきたのだが。

何をいうか。最高の宿題ではないか。
大人になったというのに、現在の国語の教科書の内容を楽に知ることができるのだぞ!

そもそも私は、自分自身が小学校へ入学したときから「国語の教科書」が好きだった。
カラフルで可愛い挿絵。初めて知る物語。
しかも、1本の話が短いのでどんどん読める。読めない漢字はご丁寧に欄外にて「ルビ」が振ってあるし、もう至れり尽くせりだ。

小学生になって一番最初に開いた国語の教科書で、とても綺麗な風船がたくさん描かれていたページは今でも鮮明に覚えている。キャンディみたいでなんか美味しそうだったし。

絵本作家の「五味太郎」さんの絵も教科書で初めて知り、あまりの面白可愛さで大好きになったし、漫画家の「手塚治虫」さんや、ムツゴロウさんこと「畑正憲」さんのような著名人の話が読めるのも贅沢だった。

そんなわけで、私は授業中には先生の話も聞かずに教科書の先のページの話をどんどん勝手に読んでて、先生によく怒られた。

先日の、宿題でムスコが読んでくれた教科書の話がこれまた良かった。
タイトルは「帰り道」。私が小学生だった頃の授業ではやらなかった話だ。

物語は、ささいな事で気まずくなった二人の少年の視点からそれぞれ描かれるのだか。
そんな事より情景描写が素晴らしかった。

「グラウンドに舞う砂ぼこりを、西日がこがね色にてらしていた。」
とか、
「公園の新緑がふりまく初夏のにおいのせい」
とか、
「アスファルトの水たまりに、西日の反射がきらきら光る」
とか、
「しめった土のにおいがただようトンネル」
とか!

どれもこれも唸るほど素晴らしい表現過ぎて
「ちょっと待って、今、なんてった?!」
って、いちいち音読を止めるからムスコにはウザがられた。

あれ?物語って、こんなに繊細な表現をするんだったっけ?という、不思議な感覚になったのよね。
私は、この頃どんだけ神経を雑に使っていたんだろうかと。

何もかもがスピーディーに流れていく現在。速さが勝負な時代。正に「時は金なり」な気もするのだけど、立ち止まって風情を噛み締める時間があっていいなぁと思った。
むしろ、その時間こそが大事だと。

まぁ、こんなマニアックなとこをさ、いちいち授業じゃ拾ったりしないだろうけどね。

けど、流されていく表現が誰かの心に響いて、その誰かの芯に残ったりして。その人の世界が広がったりしちゃって表現豊かになったりしたら最高じゃん!と思うのよね。

人格って、持って生まれた物があるんだろうけど、やはり育てていく部分もあるだろうからさぁ。

あぁ、国語ってすげぇね。

#新生活をたのしく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?