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キクノスケが飛んでいってしまった日のこと1

もしねこを飼うという行為にどこか他のひとの介入をゆるさない濃密な親密さがあるとすれば、その親密さは、おそらく、いつかじぶんとねことのあいだになにげなく、あっけなく、唐突にひび割れのようにあらわれるだろうはっきりした隔絶を予感している飼い主たちのくぐもった感情に、正しくみあったものであるにちがいありません。

僕が大好きな長田弘さんのエッセイ "ねこに未来はない"の中にある、特に心に残っている一節です。


2017年の5月23日(水)。よく晴れた日で、いつものように僕は6:00に起きました。

暗黒企業に勤める社畜の私は家でも鳥の奴隷で、毎日日の出とともに目を覚まし「早くケージから出せ出せ」とピーピー鳴いて、ケージをガッシャンガッシャンとクチバシで揺するキクノスケアラームが発動するであろう3分前くらいに、なぜか自然と目が覚めます。

前日の仕事が24:00を回ったあとに先輩に付き合わされて27:00まで飲んでいても、なぜか自然と目が覚めます。

というわけで僕はまずベッドから出るととりあえずその目覚まし時計をケージから出してあげてキクノスケアラームのスイッチをOFFにしてあげます。

そのあとの僕のモーニングルーティンは、こちらはうってかわって寡黙な同居人たち、ベランダのバオバブの木に水をやることです。

僕とバオバブとのつきあいはキクノスケよりも長く、2012年に育て始めました。

種から育てた自慢のバオバブですが、アフリカとうちの植木鉢では土質や太陽の強さが全く違うせいか、みなさんがよく知る極太の幹のとは似ても似つかない、針金細工みたいな極細のバオバブで、僕がバオバブと言われなければ絶対誰もバオバブとわからないバオバブでした。

写真 2012-09-15 12 21 35

ちなみにこの年(2017年)の冬はけっこうな寒さで、このヒョロヒョロのバオバブたちはベランダに出しっぱなしにしていたら残らず冬を越せずに全滅しました。アーメン。

特に意識はしていなかったのですが、今にして思うとヨウムもバオバブもアフリカの生き物なので、僕はもしかしたら深いところの意識ではアフリカに憧れのようなものを抱いているのかもしれません。理由はわかりませんけど。

じょうろに水を注いでベランダに出ると、目覚まし時計もといキクノスケも僕の後をつけてテクテクとベランダに出てきます。

キクノスケは僕の足元で自分のゴハンより先に水をもらえるバオバブを羨ましいのかしげしげと眺めて、この後に自分のゴハンの番が来るのをじっと待っています。

この頃キクノスケは1歳10ヶ月になって、すっかり風切羽も生え揃い、家の中を自由に飛び回れるくらいに成長していました。

が、ハーネスをつけて外に散歩に連れ出そうものなら石像のように肩の上から動かなくなる内弁慶な性格です。

家と外との境界であるベランダでは、出てくることはあっても自分が飛べる生き物だということをすっかり忘れたようにいつもおとなしく僕の水やりが終わるのをじっと待っていました。

この日までは。

まあ僕の完全な油断です。



と思ったときにはもう遅い。

一瞬の気の緩みで手に持っていたじょうろが僕の手をすべり、ベランダの床に落ちてくところでした。


止まれ!


と思って時間かじょうろが止まってくれればよかったんですけど、まあそんなことにはならず、じょうろはベランダの床に落ちてしまいました。


で、最悪の事態


落ちたじょうろにビックリしたキクノスケはベランダの床からバッサバッサと飛び上がり、最後に伸ばした僕の手をすり抜け、マンションの南側を流れる神田川に沿って飛んでいってしまいました。

朝の太陽に煌めく神田川を上流へ向かって飛んでいき、どんどん小さくなっていくキクノスケ。

僕らの部屋はマンションの10Fですが、向かい風に乗ってさらにぐんぐん高度を上げていきます。

しかし飛んでいってしまうキクノスケを呆然と無力に眺めて僕が最初に思ったのは、ヤバい ! でも どうしよう! でも やっちまった! でもありませんでした。



飛んでるキクノスケが、こんなに美しいなんて知らなかった



僕は"空を飛んだ"キクノスケを見たのはこのときが初めてでした。

キクノスケは家の中でも飛んでいたんですが、我が家の1LDKでは長く飛べても3-4m がせいぜいで、飛ぶときの姿勢も足は下にブラブラ、立っている姿勢のまま羽だけが動いている、ジャンプの延長みたいな、マリオのパタパタみたいな飛び方でした。(これはこれでかわいいんですけど)


今、僕の目の前で、クチバシから足の爪まで地面と平行に一直線になって、翼を大きく大きく広げて、ゆったりとした羽ばたきで、風を受け、風に乗って飛んでいくキクノスケ。


お前ちゃんと飛べたんだなー


パラパラ揺れた赤い尾羽が、バイバイの手みたいでした。

ただ飛んでいくキクノスケからは「ギャ!」だの「ピー!」だの驚いたときにでる声がダダ漏れだったので、キクノスケ本人(鳥)も、僕と同じくらい自分がこんなに空を飛べることにビックリしながら飛んでいたんじゃないかなと思います。

飛んでいくキクノスケを可能な限り目で追っていましたが、キクノスケは神田川に沿って西に、秋葉原の駅の方にどんどん飛んでいき、ついに最初の橋と川が交差するあたりで完全に見えなくなってしまいました。


ヤバいどうしようやっちまった


キクノスケが見えなくなってからようやく飼い主としての正常な反応を取り戻した僕は、グレーのスウェット上下(肩のところがキクノスケにつっつかれて穴だらけ)のまま外に出て、キクノスケが飛んでいった方に自転車ですぐに探しにいきました。

このときだいたい朝の6:30くらい。

2に続く

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