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ダムが建てられ、水底に沈む渋谷の街。

この↓記事を読むと、色々と、感じる方がいるだろう。

渋谷・宮下公園跡地に「ミヤシタパーク」開業 —— 10年に及ぶ“ホームレス排除”の歴史を振り返るhttps://www.businessinsider.jp/post-217134

僕はといえば、高校時代から渋谷区に長らく住み、起業も渋谷からしたが、数年前に引っ越した。どんどん変わる渋谷の景色や、商業施設とチェーン店と買い物客ばかりが増える渋谷の街が住むには息苦しくなった、というのが決め手だった。

しかし依然、仕事は渋谷周辺に出てくることが多い。なので、本題のMiyashita Park、僕にとっては「旧・宮下公園跡地」の変容を見てきたし、わざわざブログを書くほどには感情移入がある。

もちろん、お仕事としてこの開発や出店に関わった方々の努力やクリエイティビティを否定するものではないし、出来上がったものがどうかにはコメントしない(コメントできるほど施設も本格的に稼働できてない)けれど、

この開発自体に対しては、
明確に"F" wordの立場だと表明しておきたい。

もっと言うと、スクランブルスクエアや駅前の高層商業施設群も同じ。渋谷は過剰なほど商業主義の塔が立つ、安いディストピア映画に出てくるような景観になった。

これが僕には、田舎に建てられた異質な建物、山村を水底に沈めてまで作らなくて良かったダム、サンゴや生き物の住処をコンクリートでつぶした埋立地と同じ景色に映る。同じ、利己的で商業主義的な思考が生み出したものだ。

街は、特定の誰かのものではない。
公共施設すら、自治体のものではない。
所有権や土地利用益ではなく、公共が先なのだ。

そんなことも分からない人たちが手掛けた大型開発によって様変わりした渋谷の街を見て、そして、その渋谷がマイノリティや若者カルチャー支援の旗手のように振る舞う姿を見ると、僕は身震いしてしまう。その軽々しく使われている「マイノリティ」や「カルチャー」という言葉の意味を質したくなるのは、僕だけではないはずだ。

ホームレス排除だけが問題なんじゃない。
宮下公園や駅前の過剰開発に限らない。
さらには、これは人や街に対してだけじゃない。

新しく大きな開発をいかにしないか、いかに変えないかに向き合うべきだった。むしろ大規模な開発は規制・抑制こそふさわしい。今そこに在るものをどうメンテし、どう今までいる人を排除せず、どう必要以上に景色を改変しないか。
多様な関係者、多様な価値観の中での公約数的なアプローチをすれば必然、ミニマルな取り組みを丁寧に続けることとなる。そうした持続的な取り組みを大切にする場面であったのではないのか?

そして、そう願う街や人の小さな声、無くなってしまう資源や生態系の声なき声に、より添わない企業や自治体が今の社会や環境を作ってきたこと。多数決ですらなく、特定の人達の、利己的な判断基準が優先されていること。それこそが問題。

そして、そうした価値基準を根強く持つ世代が、まだ企業や自治体の意思決定者層にいることを、僕らは忘れてはならないね。

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いきものCo./たべものCo.代表。かつては農産流通プラットフォーム『SEND』の創業者。chiQ/Unchained /Fermenstation/コロナファームサポートなどを手掛けるビジネス・デザイナー。グッドデザイン金賞、Forbes受賞など受賞多数。

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