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埋まらない消費者と生産者の「あいだ」の再デザインについて。

やっぱり農畜水産業と都市部の消費者って「遠い」んだよなぁ…。物理的な距離や物流コストはもちろんなんだけど、価値を置く基準が根本的に異なる。

農業という産業の(種から収穫までの時間やコストを含む)プロセスは、消費者にとっては価値ではなく、むしろネガティブ。頼んでもすぐ手には入らない、という意味で。生産ってそういう時間のかかるものだよねと理解してくれるものの、待っていると飢えるから、消費者はやはり今目の前にあるものを買うようになる。

そして、最終製品(農畜水産物)には、差別化が少ない。もちろん生産者目線で下を見たらキリがないが、あるレベルを越えていると、消費者にとってはほぼ変わらない。生産者としてはこだわりや違いを出し、数値で違いを示しているつもりでも、消費者が味覚や購買動機として、その違いを感じられない、価格差が出るほどではないということ。結局、生産者が色々と能書きを語るか、更にコストをかけて認証を取得するか、個別の取引関係を作るか、値段を下げるくらいしか、他の生産者に先んじて買ってもらう手がない。

もう少し進もう。

消費者は、よほどの目的がない限り、特定の生産者の、特定の商品を買わない。彼らはサービスにお金を払っている。スーパーやデリバリーの近さ、早さ、ラクさ、選択肢の多さや揃い、安さ(値段を下げられる、というサービス)、至れりつくせりの親切さや心地良さを買う。これを遠隔地の生産者が提供するのは、なかなかにハードルが高い。

僕がSENDを始める時に、とにかくまず365日一個からでも届ける、とした理由がこれだ。サービスとして選ばれなければ、食べ物は売れないのだ。

さらに。

そもそもの口に入るまでのプロセス、つまり食事について。農業を素材を作るという第一プロセスとすると、それに続く加工・調理するという(従来、家庭の中、台所で行われていた)第二プロセスが、弱まっている。代わりに、外食やデリバリー、弁当惣菜・食品メーカーが代役を果たしているのだ。

外食や購買で済ますことが悪いわけでもないし、家で料理をしなくなったことが悪い、という話ではない。消費者も料理を嫌っているわけではなく、料理以上に優先される時間の使い方が増えただけだ(実際に子供のお弁当が必要になれば、皆さんやるようになる)。そして、核家族化や一人暮らしの増加で、個々が自宅で料理することが「単に非効率なプロセスになった」だけなのだ。

これは時代ごとのライフスタイルであり、新しい産業の在り方にシフトしただけ、とも言える。レディ・メイドな製品が増えること、台所を外部委託しデリバリーや外食が栄えることも、それが人の望むこと、効率の良いことなのだから良いことだ。従って、農業を(生産者自身が)素材産業と位置付けている限り、売るべきは業務用であって、料理をあまりしなくなった消費者に向けて届けるのは非効率の極み、ということになる。

こういう話をすると大抵、
「外食や弁当は不健康だ、料理をして食べる方が健康だ」とか、「スーパーにあるものは大量生産されたもので体に良くない、個人の信頼できる生産者から買わないと」とか、「皆が家庭で料理をしないせいで、生産者が苦しんでいる(私はやってるけど←ドヤ)」と騒ぎ出す「ナチュラル党オーガニック会派」の意識高い系クッキング・オバサンが現れる。

彼らが二言目には名前を出す生協や、大地を守る会や、らでぃっしゅぼーやが生まれた背景には、今よりもずっと深刻な農薬問題や健康被害、歴史に残る数々の公害という時代背景があったように思うし、ある意味、社会的な使命を帯びた活動団体のように僕の目には映る。そして今も、そういう思想や嗜好に支えられているマーケットだ。

一方、今は農業衰退(高齢化や担い手不足、所得減少)という、ある意味どこにでも起きている下請け業界・上流産業の地盤沈下という「構造的に起きる結果」の方が、はるかに大きな社会課題になった。しかし、それに立ち向かう手法として、個人向けの直販や通販、CtoCなんて選択肢は、ロジカルに考えて悪手だし、目的と手段がまったく合わないのだ。

一応擁護すると、消費者向け直販は産業をイノベーションする役割ではなく、料理が好きな人やホムパやる人が、色々な生産者とコミュニケーションしながら買う、不定期な趣味(ファン・ショッピング)の領域で成立していく。手間や非効率があっても、それはそれで楽しみがモチベーションになるマーケットになれば良いと思う。

さて、話を戻すと。

農林漁業の「つくる」の単位は、消費者から見るとデカい。一畝(ウネ)だけ、一頭だけ、一箱だけ、という収穫や出荷の単位が一消費者で使い切れる量ではないのだ。つまり量を流して、振り分けてもらう仕組みが必要だ。その際に「市場」があるおかげで、とりあえず需要のありそうな一般的なものを作って流せばおカネにはなる。他の産業にはない仕組みだし、セーフティネットだ。

しかし、この市場への依存度が高いせいで、生産者は何をいつ作るべきか、どんな用途に、どのくらいの量が、幾らで流れているのか、という情報感度が著しく低くなってしまった。そして、いつまでも皆で同じ野菜を同じ時期に作り、市価を自ら暴落させ、余らせて捨てざるを得ない世界を作ってしまったのだ。

そして今、その市場での買い手も変わりつつある。
昔はスーパー一強であったものが、徐々に加工会社や食品会社、惣菜会社、業務用卸の仕入比率が上がっている。消費者が台所を外部化し、レディ・メイドな食事や下処理済の食材を望んできたからだ。

更に彼ら加工会社や業務卸は、市場を介さず、欲しいものを生産者や団体に直接依頼して作ってもらうようになっている。原料確保や、原料開発からの差別化が競争ポイントにもなってきた。この10年で伸びた(大型化した)生産者や産地はほぼ、加工用や業務用、かつ直接取引に向き合ってきたはずだ。

では中小零細の、中山間地の、大型化に向かない生産者はどうなるのか?農協のように団体化して出荷単位を積み上げるしかないのか?

いや、そんなことはないはず。中間物流や手続を削って高効率で分配できるなら、中小生産者でも都市部の業務(つまりレストランや弁当屋)需要に接続できる仕組みになる、と取り組んだのがSEND。これはモデルとしては成功だったと言える、かな。

これがこの5年、考え抜いてきたこと。

そして昨年バトンタッチして退任してから暫く、一歩引いた目で食の世界を見直してきた。

すると、長らく農畜水産業、外食産業、小売卸売産業、食品産業という「産業」や「流通構造」に向き合ってきたせいか、消費者を「最終購買者」、農林漁業者を「素材生産者(または加工業者)」という側面で見がちな、自分の思考停止にもまた気付いたのだ。

そうではない。むしろそれこそ、食べるまでの届く工程を細分化しただけで、だからかえって多くの「あいだ」と「壁」が生まれているのだ。

結局、世界には「作る人」と「食べる人」、または「その両方の人」しかいない。そう捉え直して社会を見直してみると、ある「大きな、ポジティブな変化」が起きていることに気付く。これは皆さん、考えてみて下さい。

人口減少、高齢化、産業従事者の減少、人口の都市一極集中、物流費高騰、人件費アップからの、誰かが言い出した地方創生。そんなお題目のように並べられた社会課題は、実は世界全体・日本全体の課題で、なにも農畜水産業や食に限った話ではない。その解決に向けて産業単位でチカラワザで頑張るのも大切なのだけど、「この共通の、ポジティブな変化をどう伸ばすか?」にフォーカスすれば良いじゃないか。

「作る人」と「食べる人」と「両方の人」。

それだけの構成要素にすると、まったく新しい社会の設計図(デザイン)が成り立つ。それに気付いたとき、数年ぶりに身震いしつつ、新しいサービス作りに着手した。(もちろん、作る人と食べる人を直販やCtoCで繋ぐなんてツマラナイ仕事ではない。)

興味のある方、やりたいよ!という方は是非チームに加わって欲しいと思っている。食の世界を再デザインする仲間を作りたい。最後がこれだとリクルーティングのためのブログに見えてしまうかもだけど(笑)、この食の分野は人間にとって一番近くて、古くて、奥深くて面白いので、ちょっとでも関心を持ったり、深く知ってくれる人が増えたら嬉しいと思っている。

では。

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