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分からないということは素晴らしいし、それはハズい事じゃない

放送作家は「分からないんですけど」と前置きをしてから自分の発言をする場合がある。僕もニコニコしながら「分からないですけど、こうなんですかねえ」なんて一丁前に使ってみたりする。

この利点は二つ。

・断定をさけることで、自分の意見がマイルドに相手に伝わる 
・自分の意見のハードルが下がるので自分的に意見が言いやすくなる

「分からないですけど、これってこうなんですかね」的なことを言うと場の空気を荒らすことなく自分にとっても相手にとってもマイルドな言い回しになる魔法の言葉。

特に会議においてはいかに自分の言葉を柔らかくいうかが大事だ。誰かの意見を否定してはいけないし、もっと議論が活発になっていくような言葉を発していかないといけない。

分からないですけど〜、で言葉を言うと、相手も意見を言いやすくなる。分からない人間だったら、相手も何かを言いやすいんだ。

放送作家がテレビ業界で生き残っていくために見つけた魔法の言葉だと心の底から思う。先哲に感謝。

逆に、「分かった!これはこうだわ!」って言ったらトゲが出まくりで誰か吐くやつが出てもおかしくない。分かった!という言葉は強い。あまりに強いので普段は使うべきじゃないし、人生においてもそうそう使うべきことじゃないと思う。

物事が分かった!というのは大抵の場合で勘違いであり、分かった!でピリオドを打ってしまうとその先がなくなってしまう。移り行くスピードが早い今にとって、早とちりしてしまうのもったいないし致命的だとも言える。

分からないままでいい

人間は分からない人間に優しい。

僕は割と知ったかをしがちな人間だったのだが、この業界に入ってあまりに知らないことだらけだったので知ったかをやめた。知ったかでやれるような世界ではなかったのも理由だけど、知らない人間に対して人は優しいということを知った事も大きい。

分かりません感を出していると優しい人は必ず教えてくれる。

優しい人に会わないといけないという壁はあるけど、謙虚に吸収しようという姿勢を見せていれば、教えてくれる。人間は優しいんだな〜と思ったりもした。

当然、仕事をしていく上で全知全能で分かっていた方が良いに越した事はないけど、分からずにその場その場で答えを模索していった方が結果的に良いものが生まれていくかもしれない。

一人の分かってしまった回答についていくと、つまらないものが出来上がってしまいそうな気がする。

分からないということはとても謙虚な姿勢なのだと思う。あらゆる可能性を肯定できる姿勢だし、放送作家のように今までにないものを作っていく職業にとって「分からない」ままでいることはとても大事なように思う。

情報の時代になってしまったから「分からない」ということは恥ずかしいことのように思えるかもしれない。現にそういうこともある。でも、依然分からない事の方が多い世界だと思うし、特に何かを生み出していかないといけない毎日においては「分からない」ことは普通だ。

その分からないことをまず肯定し、そこから始めて行く事が僕は人間らしいし、素晴らしい事だと思う。

「そんなこと分かってる」ではなく「分からないかも」で世界を見ていくともっと新しい世界が広がっていくのではないかな。





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