かっこ悪い人間が作る物に魅了されたいし、魅了したい

カッコイイ人たちがカッコイイもの作って、それが世間に受け入れられているのは、インスタやtwitterみたいに文字だけじゃなくて画像や動画がコミュニケーションの主体になったからだと思うんだ。

だから見てくれが良いものが結果的に広まりやすくなっている。ビジュアル重視になってしまったのだけど、まあそれは今も昔もあまり変わらないのかな。それでも何となく一見汚いものとか、かっこ悪いもの、泥だらけのものがさ、排除されやすくなっているように感じる。

例えば、音楽を見ると歌手はみんなすごいカッコイイし、可愛い。みんなね。昔はもっと泥臭いような人が本当に音楽や歌詞一つで魅了していたし、それが正常だった時があった。

それがやっぱし見た時にgoodなものだけが過剰に評価されやすくなってる。

インスタ映えよりも味だろ!ってオッサンが叫んでるだけじゃ社会は受け入れてくれないってことだ。もちろん、受け入れてくれる人はいるんだけど、若い人には刺さらない可能性がある。その機会損失が損だと思う人が結果的に増えてしまった。

それでカッコイイ人がカッコイイものを作れればそれに越したことはないんだろうけど、僕の人生はどうもかっこ悪い人間に魅了されてきてしまった節がある。

この前女子バレーの試合行った時、綺麗な選手よりも、会場の隅を掃除してるオッサンに目がいっちゃった。そういう人生だし、そういう目線で世界を見ちゃう。その方が気付きもあるし、僕にとって重要な問いが生じることもある。

そして僕自身もカッコ悪く生きてきた方なのである。

結局、人間は最終的には自分の持っているものでしか勝負することができない。どんなに背伸びをしたところで、それは本当に儚く消えてしまう。僕がありのままにかっこ悪く作り上げた企画で誰かを魅了をしてみたい、と思う。

見たものよりも感じたことの方がインパクトはでかいのだ。




記事を読んでくださりありがとうございました! 良かったらフォローしてください! よろしくお願いします。