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テレビに放送作家は必要ないのか?

 最近、多くのテレビ番組で放送作家の人員が削減されています。これは単純に番組制作費が下がっているためです。僕は制作費が潤沢にあった時代を知らないのでこんなもんかぐらいに思ってますが、昔を知ってる人からすると結構なことらしいです。

 先輩たちから聞くと昔のギャラの桁が一つ違ってたりしますが、僕は今のギャラで十分満足できてます。昨今はテレビ以外にも作家が活躍できる場が増えていて、そっちの方がギャラが良かったりします。テレビはテレビで作家をどうするか考えてるし、作家も作家で常にどこにポジションがあるかを考えてるという意味で関係性はフラットかなとも思います。

作家はいらない?

 作家不要論はたびたび出てくる問題ですが、ディレクターや演出が不要だと思えば不要だし、必要だと思えば必要です。つまりそれは個人の考え方に依存します。まだ多くのスタッフさんたちは放送作家という人間は必要だと思ってるのでしばらく大丈夫でしょうが、今後は分からなくなってきます。もっと制作費が削減される事態になれば、いよいよ放送作家にお金を支払う余裕がなくなるからです。

現状は構成を一人でやる番組も増えてきていて、この流れが加速すると全ての番組に作家は一人だけで十分となってしまう可能性も出てきます。となると大御所作家しか残れないんじゃね?とか企画通さないと絶対ダメじゃんとか出てきます。

 ただレギュラー番組のように毎週継続的に番組を作っていくのは体力がいることです。人手が足りている番組なんて基本的になくて、作家を一人でも多く欲しいと思ってる番組だってあります。ケースバイケースです。

環境の変化はあれど、結局は自分には何ができるのか、どういう結果を出せるのか、が重要です。それは今も昔も変わらないはずです。

ドラマが羨ましい

  例えばドラマになると必ず脚本家の名前が取り上げられます。ドラマに脚本家不要論なんて絶対出ないし、時に演者よりも脚本家の名前がクローズアップされる点でドラマっていいなーと思います。僕がドラマをやりたいと思う理由の一つはそこです。

 ドラマは脚本家によって出来がかなり左右されますが、バラエティはあまり放送作家によって出来が左右されません。バラエティは演出やディレクターの腕に頼るもので、放送作家はあくまでもその補佐です。ここがドラマとバラエティの作家の大きな違いです。

作家の専門性がより大事に

 放送作家も今後専門的になっていかないときついんじゃないか説があります。例えばめちゃくちゃグルメに詳しい、格闘技に詳しい、ナレーション書きが上手い、台本がすごい、などなど。

 バランスの良い五角形型の放送作家が多く重宝される時代ですが、飛び抜けて何かが秀でてる作家の需要が今後ますます伸びてく気がします。それから、作家自体の影響力や集客力がある人も伸びてくんじゃないかなと思います。どちらにせよ、のうのうとやってると埋もれていくので毎日危機感を持って生きてます。

作家性のないコンテンツは面白くない

 情報コンテンツを除いてエンタメには作家性があるべきです。結局、クリエイティブは一人の人間の人生とかバックグラウンドが色濃く出てくると面白くなっていくからです。

 それを出していくためにはただ言われた通りに作業する人間じゃなくて、作家性を持った人間が必要です。作家性とは何かと言うと、僕みたいにnoteでワケ分からないことを永遠に書いてる人間が持っている感性です。

 本来、その作家性を放送作家は持っているはずで、それがコンテンツに深みと面白さを与えます。

 色んな問題で作家性なんて削ぎ落とされていきますが、そういうのが見えてくると途端にその番組が輝き出して見えたりします。神は細部に宿るといいますが、作家性も細部に宿るような気がします。

 僕は作家性を持った人間でありたいなと常々思っていて、自分が面白いと思うこと、大事だと思うことを胸の中に大切にしまいたいです。それでコンテンツを作っていきたいし、それがなかったら1億総クリエイター社会でただ飲み込まれれるだけだなと思ってます。

 どちらにせよ放送作家とテレビの関係性はどんどん変わってきてますが、一概に不要とも言い切れないので、どうにか自分のポジション作っていきたいなと考えてます。

 



 



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