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書き留めた言葉が、一本の道になる

めまぐるしく過ぎる日々、変わりつづける自分。後からその経過をなぞろうとしても、記憶が手のひらからこぼれ落ちていく。

特に最近は、世界を取り巻く環境が刻々と変化する日々。桜が咲いていた頃は非日常の波におぼれそうだったのに、気づいたらかつての日常のほうが非日常に感じられて、自分は変わり続けるものなのだと実感しました。

こんな毎日だから、今こそ日記をつけて変化を書き留めようとする人が増えたように感じます。

タイムカプセルみたいに、後から読み返したときに驚いたり記憶がよみがえったり、するんだろうなぁ。

と言っておきながら、私はライターを続けてきた2年間、過去に書いた文章をあまり読み返してこなかったんです。気恥ずかしさもあったのかもしれません。

でも最近、自分が過去に書いた文章を勉強会の題材にして、他の参加者と一緒にじっくり読み返す機会があって。文章をつうじて、過去の自分と出会い直す感覚になりました。

その文章は、2年前のライターを始めたばかりに書いたもの。出会い直した当時の自分に宛てる手紙として、今回の勉強会で気づいた「言葉を書き留める意味」を書き残しておこうと思います。

二年前の自分への手紙

2018年5月の自分へ

あなたが書いた文章を、ひさしぶりに読みました。初めてインタビューから執筆まで担当した記事は、今でも宝ものです。

あらためて読んだら、すごくのびやかな文章だなと思って。

二年間ライターを続けてきた今よりも、インタビューの経験がなかったあなたのほうが、むしろ軽やかに書いているんじゃないかな。

この文章、今の私にはもう書けないものだと思いました。ずいぶん感覚が違っていて、違う人が書いたみたいだった。特に、導入の部分。

二人でしか描けない夢なんて、幻想だと思っていた──。


私はこれまで、自分ひとりの夢ばかり描いてきました。

自分の無力さに、一人では生きていけないことも痛感しています。それでも、特定のひとに対して「このひとがいなければ、この仕事をできない」と思うくらいなら、それは本当にやりたいことではない、と判断してきました。

その道を選ぶ決断の理由を、「このひと」ありきにしない。いつまで隣にいてくれるかも分からない不確かな他者よりも、命果てるまで高められる自分の力を信じて前に進め。

「命果てるまで」と書いているけれど、まだ果てていません。

たしか取材の前に読んだ新聞記事で、取材対象の方が話していた「一人だったら、お店を開業する決意はできなかった」の言葉に、びっくりしたんだよね。

あなたは、誰かありきで自分の道を選ぶ生き方を、自分に許せていなかったから。

たとえ孤独でも、予測不可能な他者に自分の人生をゆだねるくらいなら、一人で道を歩いていかなければならないと思っていた気がします。

本当は、「一人じゃこわい」「仲間になろう」と言いたかったのかもしれない。

でもそう言ってしまったら、誰かの自分の人生をゆだね、誰かに寄りかかることになると考えていたから、それはダメなんじゃないかと思って、言えなかった。

わかってもらえるわけがないと強がって、でも本当は誰かにわかってほしくて、記事に書いたんじゃないかな。

でも今はね、こう考えてる。

わかってもらえるわけがない、と思って書いていたら、わかってもらえるわけがないよ。

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記事の終わりに、あなたはこう書いていた。

周囲との関わりを大切にし、自分たちの世界を広げるために積極的に新しいチャレンジをしていくこと。その一方で、二人で過ごせる時間も大切にすること。互いに互いのやりたいことを応援しあうこと。

そうやって「二人」でいることをだいじにしているから、二人だからこそ描けている“いま”がある。一人で抱えていた夢も、二人でなら動き出すときがある。

誰かと一緒に夢を目指すことは、逃げなんかじゃないんだ。

むしろ、誰かと仲間になるから目指せる未来があって、一人で走るよりも遠くに行けるかもしれない。

この気づきは、衝撃だったよね。


この記事を書いてから2年経った今でも、誰かと「仲間」になるのは難しいなと思う。

でも、大切な友だちに「こういう未来を一緒に描いてみたい」と伝えられるようになったし、「たすけてほしい」と言えるようになったよ。

それは、「わかってもらえるわけがない」を乗り越えたからなのかもしれない。

あなたもどこかで気づいていると思うけれど、他人を100%わかることはなくて。半分もわかってもらえないかもしれないし、自分だって人のことを全然わかっていない。

だから、私たちはインタビューするんじゃないかな。本人が発信するのとは別の言葉で、誰かの物語を伝えさせてもらうんじゃないかな。

もっと言えば、わかってもらえるわけがなくて、わかるわけがないからこそ、人と関わって言葉を交わすことがおもしろい。

あなたと私が違うことは、きっと希望なんだよね。ずっと、そう信じていたい。

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今は、「あなたのことを100%わからないし、私のことを100%伝えられないけれど、それでも一緒にこういう未来を目指してみない?」と大切なひとたちに伝えられるようになったよ。

それは、仕事で書いている記事でも同じ。

記事を書いた私と読んだ誰かが一緒になって、問いを持ったり思いを交わしたりして、そこから私たちの未来を描いていきたい。

書いた記事をゴールではなく、次のスタートにしたい。

そう思えるようになったはじまりの点は、この記事だったのかもしれないね。久しぶりに読んでみて、そう思いました。

2年経っても大切な気づきをくれる言葉を、ありがとう。


さいごに、いつも勉強会でお世話になっている西山先輩がくれた言葉を置きます。

僕らの書く仕事、伝える仕事の真骨頂は、あるメッセージを「潜在的に必要としている、これから必要になる層」に届けることだと思ってます。

それは比喩的に言えば、対岸の人たちだったりする。分かり合えなさそうな人に届けてこそ、世界が拓ける。

彼らに言葉を届けるには、まず冷静に聞いてもらわなきゃいけない。リアルの場なら、こちらが相手の話を聞いたりして、相手の信頼を得てから話したりすれば、いくぶんか言葉は届きやすい。けど、原稿ではそうもいかない。

だからこそ、「読者の痛みを想像すること」が大事なんです。それは、見えない読者との対話です。聞いてもらいたいのならば、まず相手の声を聴かなくちゃね。

「貴方はきっと、ここに痛みを感じるかもしれない」「ここはちょっと言い方を変えてみたけど、どう?」「ここにはね、ちょっと向き合ってみてほしいんだ」「配慮はするからさ、どうにか受け取ってくれないかな」

そういうコミュニケーションが時間や空間を越えて記事上で成立したとき、はじめて読者がこちらの声に、耳を傾けてくれる。「to do」じゃなくて「to be」の部分に語りかけられる。

これができたとき、その記事は変化の触媒になり得るし、長い目で見れば世界も変えますよきっと。

もっと前に進むために、誰かと一緒によりよい明日を描くために、これからも書いていこうね。

2020年5月31日の、わたしより

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追伸:手紙を書いてみて思ったこと

気づかぬうちに失われゆく感覚、その瞬間しか味わえない感情、今しかつむぎ出せない言葉。

そんな刹那を書き留めておくことは、自分の現在地を確認する作業だと思っていました。

でも、それだけでないのかもしれない。

残しておいた文章をあとから振り返ったときに、点に思えた自分の歩みが線になって浮かびあがる。

その線は、これまで自分が生きてきた時間がたしかに今につながっているのだ、と気づかせてくれました。

幼い頃、毎月身長を測っては、日付と年齢とともに今の身長に刻んできた横線。あのときと同じように、大人になっても自分の今を刻み込める手段が、言葉を書き留めることなのかもしれません。


こうやって言葉を書き留める意味を考えるきっかけをくれたのは、私が所属している編集チーム inquire の勉強会です。

過去に書いた原稿を題材にディスカッションして、よりよい文章を書くためのヒントを得ています。

今回は二年前に書いた文章を他の参加者と一緒にふりかえったおかげで、「二年前の自分はこう伝えたかった気がする」と言語化できたことがたくさん。一人で読み返すだけでは得られなかった気づきをもらいました。

この勉強会については、以下のnoteで開催方法も含めて詳しく紹介されています。いつでも誰でも気軽に開催できて、毎回たくさんの学びをくれるので、おすすめです。

いつでも誰でも誰とでも! 原稿相互フィードバック「YMO会」実施マニュアル

言葉を書き留める意味を肌で感じる今こそ、文章の可能性をもっと強く感じられる機会なのかもしれませんね。

言葉をつむぐための時間をよいものにするために、もしくはすきなひとたちを応援するために使わせていただこうと思います!