外から地域を発信することは、結局なんの役に立つのだろう
日常は、自分たちの手でつくる
2019年10月12日。南の海からやってきた水蒸気の渦が奥多摩を襲った日。
通ったことのある道が崩落したニュースが流れ、断水の影響で生活に影響が出ていると聞き、タイムラインにあがってくる奥多摩湖と周辺の川は見たこともないくらいのエネルギーで茶色くうごめいていて。
いくつもの山を越えた滋賀で暮らしている私は、奥多摩のみんながどう暮らしているのかを知りたくて、でも手元に届くデータからはわからなくて。
奥多摩駅前エリアの水道水が飲用可能になったと聞いて、今日、台風後に初めて奥多摩入りしました。
降り立った奥多摩で再会したみなさんは、漫画の話をしたりカレーを食べたり、誰もがいつもの日常を過ごしていて。そっか、そりゃあそうだったな、と気づかせてもらった自分がいます。
隣には、水たまりのようににごった奥多摩湖と、吸い込まれそうなダムの放流があるけれど。
ダムができる何年も前からこの山の中で暮らしがつむがれてきて、きっとこうやって奥多摩湖がにごったことも一度や二度じゃなくて、でもまたいつかエメラルドグリーンの湖面になることをどこかで知っていて。
圧倒的な自然のエネルギーを前にしたときに、自分の力だけじゃどうにもならないことがある。だから地域で一緒に生きていく。
隣にいるあのひとと手を取り合えるからこそ、システムが多少崩れても、その非日常を自分たちの日常に戻していけるたくましさがある。
そのことを、奥多摩で過ごした今日という一日から、もう一度思い出させてもらったような気がします。
一大イベントの真ん中にあるのも「日常」だった
はい、かんせんせい、おひさしぶりです。
前回お手紙を書いてからもう2か月も経ってしまいました。その間に八百屋さんに並ぶ顔ぶれがすっかり変わって、さつまいもとにんじん、だいこんが揃うようになりました。
田んぼでもすべての稲刈りが終わり、あれだけ青々としていた田んぼも、今は次の春を迎える準備中。
都心にいた頃とは比べものにならないくらいに、全身ではっきりと秋のおとずれを感じています。
先々月、かんせんせいと酒井さんに奥多摩でお会いしたのは、小河内の一大イベント「まちおこしモンスターフェス」でしたね。
お二人が主催しているモンスターフェスのことを、お二人の取材でずっと聞いていたし、かんせんせいとOBCキッズのライブを見るのも初めて(!)で、どきどきしながら会場に向かいました。
動画でライブ映像を見るだけで泣けてしまう私だったので、どうなることやらと思っていたら、やっぱり当日ライブが始まった瞬間からぼろぼろ。(でも、だべだべロックでは舞台に上がりましたよ!すごく楽しかったです)
ライブを含め、初めての「まちおこしモンスターフェス」は忘れられないシーンばかり。かんせんせいと酒井さん、OBCのみなさんが大切に積み重ねてきた活動がぜんぶ今につながっているんだろうなって。
ちゃんちき堂のてつさんが書いていた
まちをつくるのは「日常を作ること」。
だって、街は毎日住んでいる場所のことだもの。
だから、ゆる~く日常が解放されて、参加してみたり、参加した気分になれるOBCの活動はホントすごい
の言葉が凝縮されたようなひととき。
お二人がつむいできた関係がぎゅっと詰まった、とても大切な時間をご一緒させていただいたんだな、とつくづく思いました。あの瞬間をずっと心に描いておきたいくらいに。
外から入るメディアは、地域の日常を大切にできているか
この多幸感をしみじみかみしめながら、私が「これはちゃんと持ち帰らなければいけない」と思ったのは、自分自身の仕事への絶望だったのです。
かんせんせいと酒井さんを取材させていただいてから、私が住んでいる滋賀県長浜市を含めて、地域で生きるひとに取材でインタビューさせていただく機会が少しずつ増えてきました。
都心で個人を取材する場合と地域で個人を取材する場合、違うことがたくさんあります。
その一つ、地域で取材を受けてくださるみなさまが公開前の原稿をチェックした後に、必ずおっしゃることがあるのです。
「地域で活動されている方がたくさんいて、他の方々がいてくれて初めて私の活動が成り立つのであって、自分だけが頑張っていたり注目されていたりするのだ、と受け取られるように書かないでほしい」、と。
これ、都心での取材では一度も言われたことがありません。
東京暮らしで地域に住んだことのない一年前の私は、これ、謙遜だと思っていたんです。閉じられているコミュニティの中ではどうしても、メディアなどに取り上げられて目立つと動きにくくなるのかもしれない、と。
でも、東京から滋賀に引っ越して一年、これは謙遜じゃないのだとつくづく実感しています。
これまで私に関わってくれたすべての人。会ったことがなくても、数千年間この地で暮らしをつむいできて、私にこの街での暮らしをつないでくれた人。かつてこの街でまだ移住者が珍しかった頃に飛び込んで、この街で移住者が生きる道を切り拓いてくれた先輩たち。
彼らがいなければ、誰一人として知り合いがいなかった滋賀に引っ越してから一年で、滋賀で過ごす時間がこんなにもいとおしいと思えていなかったはず。かんせんせいと酒井さんに出会わなければ考えられなかったこと、書けなかった言葉がたくさんあるように。
本当にたくさんの人に支えられて生かされていて、生かされているどころの騒ぎじゃないんだな、と心の底から思うようになりました。
だからこそ。
「自分だけが頑張っていたり注目されていたりするのだ、と受け取られるように書かないでほしい」
この言葉の意味を、身を以て実感している今。
まちおこしモンスターフェスで聞こえてきた、「かんせんせいだからこんなに人を集められるんだね」「OBCだからこんなに素晴らしいイベントができるんだね」という声を聞いて、勝手ながら心がちくちくしてしまいました。
どんなに気をつけて書いたって、地域に生きる個人をメディアで取り上げることは、特にメディアに出た人と同じ地域で暮らす人にとって「あなただからできるんだね」、つまり「あなたと違って私にはできないや」という線引きを加速させることになる気がするから。
以前私が書いたかんせんせいと酒井さんのこのインタビューを、酒井さんが紙に印刷してまちおこしモンスターフェスの会場に置いてくださって。それを持って帰ったり「読みました」と声をかけてくれたりする方々がいて。
とってもとってもうれしかった。
だからこそ、勝手ながら責任を感じたのです。
お二人は、
奥多摩でやりたいことがある人が、自分を踏み台にしてチャレンジしてほしい
自分がここに住んでいることをきっかけに、奥多摩に足を運んでくれる人がいたら
と、おっしゃっていたのに。
お二人がいなければ、まちおこしモンスターフェスのようなイベントが開催されなくて、小河内が盛り上がらなくなっていくなんてこと、望んでいないはずなのに。
お二人をメディアで取り上げることが、お二人の次を担うハードルをあげたり、「あなただからできるんだね」と聞いて「じゃあ自分にはできないや」誰かに思わせているのではないか。
お二人の願いとは、真逆のことなんじゃないか。
真摯に、祈りを込めるしかないのかもしれない
最近は地域をテーマにした雑誌を書かせていただきながら、まちおこしモンスターフェスで感じた矛盾は、今でも消えることがありません。
流動性の高い都心で個人を取材しても、例えば「会社」に属する個人として取り上げれば、何かあれば会社が守ってくれます。
そもそも「会社」というラベル自体が流動性の高いものだと認識されているから、採用インタビューに取り上げられている人が退職することも珍しい現象ではありません。
でも流動性の低い地域で個人を取材することは、都心で取材するときと違ってその個人に大きなリスクを背負わせることになる。
地域と暮らしをセットにして取り上げたら、まず住んでいるエリアが特定される。その「住んでいるエリア」というラベルは流動性が低いから、あまり変わらない。会社のように組織的に守ってくれる存在もない。
それでも地域で生きる個人のみなさんが取材を引き受けてくださるのは、「自分が目立ちたいから」「個人の名前を売りたいから」ではありません。
ひとえに、「それが、この地域のためになるなら」。
そうやって利他的な理由で取材を引き受けてくださった方々の思いを、私は自分の仕事で踏みにじっているんじゃないか。
個人をメディアで取り上げて、「メディアに取り上げられているあの人だからできるんだ」と地域内外の人が受け取る。
そこから、地域の中の人が「自分にはできない」「あの人に任せておけばいいや」と思う。
地域の外の人がメディアの情報だけでわかった気になったり、「あんなところに人が住んでいるらしい」だとか好奇の目を輝かせながら地域に土足で入り、地域を消費したりする。
たとえ地域の「個人」の活動を際立たせることができても、もともと取材を引き受けてくださった理由である「それが、この地域のためになるなら」の思いとは相反しているじゃないか。
そして「地域に土足で入り、地域を消費し、地域で生きる個人を消費すること」と、私がしている「外から入ってきて取材をし、メディアに掲載する」行為は、何が違うのだろうか、と。
かんせんせいが前回のお手紙で書いてくださったような
何のためにやっているの?って聞かれるのがどうも苦手です
というお話は、まさにこの矛盾をかんせんせいが嗅ぎ取っていらっしゃるからじゃないのかな、と思っています。
外から入ってきて「何のためにやっているのか?」と聞き、解釈を付与して分かった気になって発信し、受け取った人も分かった気になって消費して。
そうやって矛盾に満ちた仕事をしている私が、それでもこの仕事を続けるとするならば。
信頼している仕事仲間と話してみたら、「ただただ真剣にやっていくしかないのかな」、という答えじゃないような解にたどりつきました。
たまたま読んだ地域に関するコラムにも、長野に引っ越して一年ほど経つデザイナーさんが、地域に外部要因が入ることを「アクシデント」と称して
だから、今までのことこれからのこと、論理的なこと感情的なこと、都市のこと地方のこと、経済のこと文化のこと、自分のこと相手のこと、いろんなことをしっかりと勉強して、考えて、その上で、一人ひとりが自分にできることを一生懸命にやっていくほかない。そしてそれが、ーーいや、それだけが、ーー良いアクシデントの確率をほんの少し高めるのだと思う。
「ヨソモノ」の受容によって地域に新たな文化の種が生まれる より
と書いてあって、似たものを感じました。
私は外からやってきて「何のためにやっているの?」と聞きたくなってしまうし、好奇心で地域に土足で入っていないとは言い切れないし、地域で生きる個人の話を分かったような気になって発信することをなりわいとしている。
でもやっぱり、地域で生きるひとの言葉を聞きたい。その言葉を、かつて東京で暮らしていた私のように、これからに迷っている一人に届けたい。
それならやっぱり「自分がやりたい仕事が、自分が一番大切にしたい人の役には全く立っていない」という矛盾を引き受けて、この矛盾に誰よりも向き合って、真剣に一生懸命に、仕事していくしかないのだろうな、と思うのです。
まちおこしモンスターフェスで気づかせてもらい、そして真正面から引き受けようと決意できたこの矛盾。
これからも抱きかかえながら、自分の仕事と向き合っていこうと思います。
という宣言文になってしまいましたが、まずは今夜、かんせんせいと酒井さんにお会いできることをとっても楽しみにしています!
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