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「どこか遠くへ行きたい」という悲願を叶える為に


無力な自分に打ちひしがれている人や
今はまだ遠い夢を追いかけている人へ。

どうか貴方の想いが届きますように。



私は高校生の時に、留学を志しました。

東日本の、とある田舎の家庭に生まれた私。

物心ついた時には
叱られてばかりで、
褒められた記憶がありません。


どうして普通になれないの!

母からは
ずっと、今でも、何度も、
私は普通でないと言われました。

でも、私は母の言う「普通」にはなれなくて、いつも母を怒らせました。


人格を否定され、容姿を貶され、
頭を叩かれ、お腹を蹴られて…

挙げ句の果てには
学校でもいじめられて

先生からは「あなたが強く反発できないから、いじめられた」と母の前で言われ

母からも、「アンタが話をするのがヘタクソで、他の子と上手く付き合えないから、いじめられた」と言われました。


家族を信じられなくて

でもどこかで、自分はまだ愛されているのではないかと希望を捨てられなくて

小さな絶望を繰り返して命を繋ぐだけの
孤独な日々。


安心できる場所が無いから、
心は安定しませんでした。



小学生の頃から、
「ここから出るにはどうしたら良いんだろう?」
と考えていました。

それでも、小学生の私には自分で選択して生きることはできませんでした。

私はまだ働けない。

車を運転できないから、最寄駅にも辿り着くまで徒歩で1時間半くらい。

たとえ、ここを出ても、行き先がない。

どんなに苦しくても、親がいなければ、食べることもままならない。

1人では生きていけない。

何度も表彰台に登った。
誰かに私を見てほしかった。


小学校5年生くらいから、
家で笑わなくなりました。

感情を持ちたくないと思ったから。

そんな鬱々としている私は、
容姿だけでなく
中身まで可愛くない子供になったので、
母からの嫌味は増える一方でした。

今見れば美しいと思える景色も、
あの頃の私にとっては
「閉じ込められた世界の一部」だった。



中学からは寮へ入り、
家族と離れて暮らすことを選択しました。

学生寮では、外出が制限され、
一階の窓という窓には柵が付いていて
まるで脱走を許さない監獄のような場所でした。

それでも、大声で罵倒される家と比べれば、ずっと気持ちが楽でした。

私立校での寮生活には、多額の費用がかかります。
家族に費用を負担してもらっている負目を感じていたのもあり、ひたすらに勉強をしました。

AIで作成した画像だけど、
寮の部屋はこれをさらに簡素にした感じ。

2階の私の部屋には窓の柵がなかったので、
窓枠に足をかけたことがある。
羽が生えていたら飛んでいた。


中学3年生になって、修学旅行でオーストラリアへ2週間行った際に、ホームステイを経験しました。

金曜日になると、
森の中の小さなお家に泊まって
家族みんなで映画を見て、
夜食にホットサンドを食べ、
土曜日は気の向くままに寝て、
翌朝に遅起きする。

ホストマザーが朝ごはんに作ってくれた、
オートミールの甘いお粥は
優しくて幸せの味がしました。

オートミールのお粥。ポリッジとも言う。

私が食べたものはバナナが入っていて、
温かくて、やさしい甘さだった。

(画像引用 https://www.effortlessfoodie.com/banana-porridge/)


寝る前に
ホストマザーが私をハグしてくれて
おやすみのキスをしてくれた時に、
私はこんなお家に生まれたかったなぁと思いました。

高価な服や豪華なご飯なんて無くても良いから
優しく接してもらって、
私が大切だと言ってほしかった。



オーストラリアから日本へ帰ってきた私を
家族が迎えに来てくれたとき。

私を見たときの家族の最初の言葉は、

「デブ!!!
そんなに太ってどうするの?!」

でした。

2週間のステイとはいえ、
一気に太った私の体重は
標準体型の中でもやや肥満寄りだったことでしょう。

母は怒り、父は嘲笑し、妹からは憐れまれ、
私の夢の時間は終わりました。


誰も私を知らないところへ行きたい。

私を受け入れてくれる場所を探しに行きたい。

漠然とした逃避行的な想いが
ゆっくり、着実に、育っていきました。

心に余裕さえあれば
空は広く、夕日は綺麗になるのに。


高校2年生の時に、
学校のプログラムで
イギリスのオックスフォードで2週間、
ホームステイをしました。

オックスフォードの大学は
まるでお城のようで
薔薇の花が咲き、暖かな光が差し込んでいて
「この世界にはこんなに美しい場所があるのか」と、ただ見惚れてしまいました。

このお城のような場所で
あの角を曲がったら
私は別の世界へ行けるかもしれない

オックスフォードの街は
ずっとずっと前の過去の世界と、
今の瞬間がつながっているような、
不思議な場所でした。

ホストファミリーはビジネスライクな態度で冷たかったし、
何度も何度も道に迷ったし、
バスも毎日降りる場所を間違えて、たくさん歩きました。

特に良い思い出も無いはずなのに
自分でも不可解なくらい
イギリスに取り憑かれてしまいました。


あの美しい景色が忘れられなくて

私にとっては初めての親への反抗で

海外の大学に進学したい!

と伝えたのですが
予想通り、保守的な家族全員に反対され、「海外カブれの馬鹿者」という烙印を押されました。

寮生活をしていて、世間のことは何も分からない、「箱入り娘」状態だった私…

「留学に行くような人間なら、もっと全国的にも飛び抜けた人間であるはずだ。
お前は勉強も、学校で成績1位なだけで、全国的に見れば特別なことではない。」

「1人で交通機関も乗りこなせない。料理もできない。そんな奴に何ができる?
夢は諦めるものだ。」

と言われました。


それなら、
私に能力があるって証明してみせる!!

と思いました。

料理も、交通機関の乗り方も、今までやったことがなかっただけ。
やれば絶対にできる。

まずは勉強で、自分の力を証明する!


その思いを胸に、
もともと睡眠不足で勉強していたのに、
睡眠をさらに削り、勉強を続けました。

こんなに体に無理をさせたら、
きっと長生きできない。

でも、死んでも諦められない。

だって私は、生きているのに死んでいるみたい。

死にたくないって思えない。

だって、私は、幸せじゃないから。


塾にも行ったことがなかったので
効率的な勉強方法も分からないまま
独りでひたすら、
がむしゃらに勉強しました。

インスタントの粉を大量に入れた苦いコーヒーを
好きでもないのに毎日飲んでいた。

ネームペンを使って、英単語を腕に書いて暗記していたけれど、ペンのせいか腕が痛かった。

私の地頭は良くないって気づいていた。
それでも諦められなくて、勉強し続けた。



高校2年生の終わりに
英検準1級に合格して、
大学受験の模試で英語で県内10位を取りました。

やっと、少しは認めてもらえるはずだ!

一縷の希望を胸に、寮から実家へ帰り
家族へ結果を報告しました。


初めにかけられた母の言葉は、

「でも行かせないけどね」

でした。


留学に反対する為に並べていた理由は
母にとってはおまけのようなもので、
とにかく行かせない」という前提のもと
適当に言っていたのでしょう。

それを確認もせず、
ひたすらに勉強していた、愚かな自分。

人生で1番、悔しかった瞬間。

ダマされた…

と思いました。

「日本の大学へ行くなら金を出すが
海外へ行くなら一切の金を出さない」

それが家族の答えでした。


その時から、私の時間は止まってしまいました。


直後は半分パニックになりながら、
ネットで「留学 お金 自力で」などと
がむしゃらに検索をして
1人で生きていく道を探しました。

何かを勘付いたのか、
途中で部屋に母が乱入してきて、

「パソコンの画面を見せろ!!
変なことを考えるな!!!
夢は諦めるものなの!!」

と怒鳴られ…

最後の希望も、闘志も、消えてしまいました。



それまでは、「学費を払ってくれている家族の為にも、勉強をしないと」という気持ちもありました。

だって、勉強をしていれば、
たとえ一度も褒めてもらえなくても、

「お前は勉強しかできない。友達もいないくせに。」と否定されていても、

家族は私を見てくれる気がしていたから。


でも、高校生だったこの時に、家族への想いが折れてしまった気がします。


私はここにいる!
誰か、助けてください。

私は、こんなところにいられない。

中学生から
ずっとずっと勉強してきて
命を削ってきたのに。

もうずっと眠れていないのに。

やっと、叶えたい夢ができたのに。

私の中で燃えている想いを
どうやって伝えたら良いのでしょうか。

私はここにいるのに
誰にも気づいてもらえない。

気づいてほしい。

私はずっと独りぼっちで

一人で生きていけない子供で

何も成すことができない。

ここから出られない…

絶望の中で寮へ帰って、
泣き続けました。

それからは何もやる気が出ませんでした。


ずっとずっと眠くて、
高校3年生の1年間、ほとんど勉強をせずに過ごしました。


眠る時には、優しい誰かが
暖かくて安らかな場所へ
私を連れて行ってくれる気がした。



そうして時間を浪費し、
志望校が無い私は
先生からの推薦入学受験の提案は断り、
母に言われるがまま、
地元の国立大学を受けました。

そこで、
試験勉強をせずに受験したのに、
幸か不幸か、合格してしまいました。


過去を振り返れば
私を見てくれた優しい友達だっていたのに
当時の私は、感謝もできず
全て切り捨ててしまった。



大学へ入学してからも、
くすぶった想いのまま、勉強にも身が入らず
時間を浪費していました。

そんな中でも、
私を助けてくださる先生方がいて、
研究のお手伝いをしながら
バイトを3つ掛け持ちしてお金を稼いで、
少しずつ、自分を取り返していきました。


家族のお金で養われて生きている学生ではあるけれど、
「私はもう、何もできない子供じゃないのか…」と気づきました。

それでも、
すぐに「海外へ行って生活しよう!」と思えるほど楽観的ではなく、
掛け持ちしたバイト、試験勉強、研究、部活と、スケジュール帳をビッシリ埋めて、
忙しさで自分を惑わせていました。

「やりたい」「できるようになりたい」
という思いばかりで、
能力が追いついていない出来損ないだったけれど、
たくさんの挑戦の機会を頂きました。



私を受け入れてくれる人や
助けてくれる人にも恵まれて、
「もう十分に幸せなんじゃないか?」
とも思いました。

私はもう独りじゃない。

日本で暮らして、働いて、結婚して、
「普通に」人並みの生活ができれば
それで十分なんじゃない?


日本で感じる幸せのカケラの中で、
それでも、イギリスで見たあの景色が
私の中でまだ生きていて。


過去に抱いた夢と、
高校生の時の、命を燃やしていた自分が、
「決してあの時の苦しみを忘れてはならない」と
私を追いかけてくるのです。

絶対に、親を、家族を、許さない。

私は、絶対に、夢を叶える!



少し違う人生を歩んでいたのなら、
私は家出少女となって、
体を売って生計を立てていたかもしれません。

短期間でたくさんのお金を得たくて
キャバクラで働こうとしている私を
直前で止めてくれる友人もいました。

家族の希望する大学へ行ったことで
私は家族から絶縁されることなく
経済的な援助を受けられました。

だからこそ、バイトで働いたお金は、
全て貯金に回せました。

「学生の本文は勉強なんだから、働かなくてもいい」という家族の希望を聞かずに、
勉強は試験をギリギリ通過できる程度で、
ひたすらにバイトと研究に時間を費やしました。


大学2年時には、
ボストンで1ヶ月研究の機会を頂いた。
バイトで貯めたお金が役に立った。

ハイレベルな環境と自分の実力不足に苦しみながらも、刺激的な日々を過ごした。

それでも、イギリスが忘れられない。



振り返ってみれば、
私だって家族を利用して
お金を払ってもらって
勉強が好きなフリをして

本当は家族から離れたいだけだったのに
勉強がしたいからという理由で
中学校から寮生活までさせてもらって

私の家族だって、
私に騙された被害者なのでしょう。

私は自分のことしか見えていない、
独りよがりの子供で、
大海を知らぬ井の中の蛙でした。

母だって、母の望むように「普通に」私に生きて欲しかっただけで、
私が海外へ飛んで、外国で命を落とすことがないように、
誤った道へ進まないように、
必死だっただけなのかもしれません。

医学部の学費をさんざん払ってもらったのに、
「地元の病院で検査技師として働きなさい」という家族の希望を聞かずに、
今は都内の一般企業で働いています。

母も祖母も料理上手で、
今の私には、この味も幸せだと感じられる。


学生時代は、
無知ゆえに動き出せなかったこともたくさんあったと思います。

社会人になり、お金を安定的に稼げるようになり、自由に使える時間も増えました。

さて、何をしよう?
私が死ぬ前にやりたいことって何だろう。

真っ先に思い浮かんだのは
やっぱりイギリスの景色でした。


そして、英語の勉強を始め、
先月ようやく英検1級を取得しました。


今、過去を振り返ってみると
もっとたくさんの選択肢があったのに気づけなかったし、
もう無理だと諦めて浪費していた時間も、もっと有意義に使うべきだったと思います。


過去への後悔はたくさんありますが、
ようやく、高校2年生の時の英検準1級で止まっていた英語学習が、前に進みました。


あの頃の、高校生の私に伝えたい。

9年くらいかかってしまったけれど、
私は地道にやっているよ。

歩みが遅くなっちゃって、ごめんね。

生き延びてくれて、ありがとう。

怖くて結局自殺できなくて。
そんな弱気な自分が許せなかったけれど

耐えてくれて、ありがとう。

催眠を削って、命を削って
勉強をしてくれて、ありがとう。

私はようやく、
死にたくないと思えるようになったよ。



夢を諦められたら、
楽になれる気がした。

でも、逃げようとしても、
夢からは逃げられなかった。


親を赦すのも、時間がかかるよね。

でも、母は、あの頃と比べたら、少しは寛容になった気がするよ。

その他の家族からも、親への感謝が足りていないって非難轟々で、たしかにそうかもしれないけれど。

私は私の味方だから。


私はやっと、自分で選んだ道を歩んでいて、
失敗も成功も、私のもの。

まだ、私はイギリスに辿りつけていなくて
道半ばではあるけれど

これからも、いろんな思いをゆっくり消化しながら、前へ、進んでいこう🍀


貴方の夢も、きっと叶いますように。




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