見出し画像

偶然をポジティブに。withコロナが生み出した「余白の時間」を豊かにする考え方

2020年も半分を過ぎました。コロナウィルスの感染拡大に端を発する諸問題は4月に発令された緊急事態宣言でピークを迎えたように思えたものの、解除から約2ヶ月がたち、都市部を中心に、じわじわと感染者が増加している状況が続いています。

私達はこれまでの生活様式から大きな変更を余儀なくされました。夏でも健康でも、マスク着用が求められたり、いわゆる「三密」の回避のために人と距離をおくことが求められたり、通勤も見直されたり…

特に「ステイホーム」と呼ばれた、不要不急の外出を控え、家にいることを推奨されたあの期間は、これまで毎日出勤や外出が当たり前だった方々にとってはとても大きなライフスタイルの変化だったのではないでしょうか。

様々な状況の方がおられるため、一概には言えませんが、今回の出来事を受け、いわゆる「余白」の時間が生まれたという人も少なくないと思います。
ステイホームにより家に滞在せざるを得なくなった人も、急な対応の連続に忙殺された人も、背景は違えど、これまでの生活ではなかった「空きの時間」が出てきたのではないでしょうか?

今回は、私が主にステイホームの期間から通常勤務に戻るまでの2ヶ月間の生活を振り返りながら、「空きの時間」を「良い時間」にする考え方をお伝えしたいと思います。現状、通常の生活に戻った方にも、きっと気づきになることもあるかなと思っています。

余白の時間、どう過ごしていますか?

画像1

突然うまれる余白の時間って、使いづらいと思いませんか?予め決められた休日のように、事前にわかっていれば趣味の時間や休息として計画しやすいと思いますが、突然生まれた余剰の時間って、何かに当てるにはなかなか難しく、気がつけばスマホでネットサーフィンしたりゲームに手を出していたり…

それ自体を「無駄」と断じるつもりはありません。脳を休めたり、気晴らしという点においてそうした行動はとても大事なことでもあります(僕もスマホでマンガ読んでます)。一方で「できればちょっとでも良い時間にしたいなあ…」と思う方も多いのではないでしょうか?しかし、実際にはなかなか難しいのが現実。

なぜかと言うと、突然の意識の切り替えというのは人が思う以上に難しいということがあるからです。特に、自分の脳に負荷をかける「勉強」「メールチェック」といったことを、突然の隙間時間や余白の時間を使ってスムーズに行える人はなかなかいないのではないでしょうか。


しかしここで言いたいのは「メールや勉強をスキマ時間に行うtipsをお伝えするので頑張りましょう!」ということではありません。
無理なく、罪悪感(?)もなく、でも少しの「喜び」を得るための考え方とその実践について、私の経験を元にお伝えできればと思います。

「予測にない偶然の幸運」=セレンディピティを知る

画像2

まずはじめに考え方からご紹介したいと思います。「セレンディピティ」という言葉を知っていますか?近年、何かと取り上げられることが増えているため、聞いたことある方もいらっしゃるかもしれません。

“セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。”- https://ja.wikipedia.org/wiki/セレンディピティ より引用


ここに書かれている「偶然」「予想外」というキーワード、これって「余白の時間」が生まれる経緯と一緒だなと思ったのが、私が今回考えたことのきっかけになります。

「余白の時間」の多くは「偶然」「予想外」にできるもの。すなわち、そもそも計画してでてこない時間なので、そうであれば、その時間のすごしかたも「偶然と予想外」にゆだねてしまえばよいのでは?と考えてみました。

実例1:ネットサーフィン中にいつもと違うアクションを

画像3

余白の時間、スキマ時間の過ごし方の一つはネットサーフィンだと思います。
ネットサーフィン自体は前述のとおり問題ありませんが、「セレンディピティ」を意識して、ひとつだけ、違うアクションを起こしてみます。例えば、

●見ている画面にある言葉で「気になる」「あまりよくわかっていない」といったニュアンスを感じるもので検索する
●ニュース記事やwikipediaの場合は、「関連項目、記事」を見てみる

私の場合はこの2つを、普段ぼーっとやっているネットサーフィンの中に意識的にやってみました。人は過去に比べると非常に大量の情報に触れてしまっていると言われます。そのため、普段私達は興味関心のあることしか実は頭にはいっておらず、気がつけば自分の知っていることだけで日常が回っている、そういう覚えはないでしょうか?
でも、その殻をほんの1枚、破ってみましょう。そうすることで、あなたの世界はちょっとだけ、もしかしたらおもいっきり拡がります。

私の場合は、
●ステイホームで普段の通勤時間がまるっと自宅待機になり、いつも見ていたwebサイトにリンクの貼られているページをたまたま見たらドハマリしてその分野に詳しくなった
●電車の待ち時間でニュースサイトを見ており、タップミスで関連記事が開かれてしまったがなんとなく読むととてもおもしろくそのままその著者の記事を乱読。帰宅後wikipediaで関連項目を更に読みまくり、新しい領域の知識がついた

といったことが実際にあります。日々のルーティンワークを過ごしているだけでは間違いなく出会うことのなかった話でした。また、「セレンディピティ」を意識しなければ、そういう心持ちでなければ、例えばタップミスの話しは、こんなことにならず、すぐに元ページに戻ったことでしょう。

実例2:一本だけ違う道で移動する

画像4

「セレンディピティ」の意識を持った上で、家に帰るまでの道中、ひとつだけ違う道を通って帰ってみるのも発見があります。普段より少し早く帰宅できる、でも何か用事をこなすほどでもない、くらいの余白時間に特におすすめです。

私の場合、
●時短勤務になったので一本違う道で遠回りして帰ったら良い雰囲気の定食屋があり別日にお昼食べたら大当たりだった
●バスを乗り過ごして1駅先の停留所で降りたら目の前に本屋があり、「そう言えば最近本屋で本を買ってないな」と思いなんとなく入ったら良い本に会えた
●あえてスマホを見ずに帰宅してみたらとても気持ちの良い夕日スポットを見つけて嬉しい気持ちになった(そこで初めてスマホを出して撮影しました)

これも「セレンディピティ」の意識をもちながら、というのがポイント。普段と違う、いつも見ていない、感じていない視覚情報に対してあえて敏感になってみる(帰り道かならず1枚スマホで風景を撮影する、というルールを入れるのも、視覚に敏感になれるのでおすすめです)、すると一本道が違っただけでまるで違う町に来たような気持ちになれたり、もっというといつもの帰り道も、違った発見が生まれてきます。そして、その「発見」をセレンディピティ=偶然が生んだ価値ととらえると、自分の人生に新しい気付き、豊かさを生んでくれたと思うことができるはず。

「偶然=ラッキー」と思うと余白がカラフルに

withコロナの時代となり、人と人の距離が変わってしまい、このような生活は残念ながらしばらく続く可能性が高そうです。日々のニュースもポジティブな内容が少なく、ある程度日常の生活が戻ってきても、何かすっきりしない気持ちになることが多くなると思います。

「セレンディピティ」の考えに加え、偶然生まれた余白の時間をそのまま偶然にゆだねる、この2つのことを意識して過ごしてみることで、その時間に得られた景色や知識をシンプルに「自分の知る世界が広がった」と思えることができます。

不要不急の外出をポジティブに行いづらい中で、日常生活の中に心を豊かにする仕掛けをいかに取り入れるか。今回の考え方が、あなたの「世界が豊かになり、心が満たされる」ことに少しでも役立ち、日常の隙間の時間を偶然の幸運で埋められたら嬉しいです。

Text by アババ(フリーランス:企画デザイナー)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?