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“メンタルモデル”を自分の言葉でまとめてみた



適合の世界

今のこの世の中で、多くの人は無意識的に本当の自分を見せないようにし、外側の世界に合わせて作った偽物の自分を表現し、どうにか日々を過ごしています

分かりにくいと思うので、僕の例で説明します
僕には、子供っぽい一面を見せてしまうと認めてもらえない 
たがら、影で努力して、仕事で成果を上げて、出来る大人っぽい自分を認めてもらおうとしてきました 
それが、僕なりの外側への適合でした

うまく適合でた人は、金銭的に裕福になったり、高い社会的地位についたり、一見、幸せそうに見えます 
でも、自我の意識に限界はなく、どこまで裕福になっても、地位が高くなっても、安心できず、心からの幸せを感じることができません
もっと欲しくなり、頑張って、その結果、もっと得ることが出来ても満たされず、もっともっと欲しくなります
外界への適合によって得られるのは一時的な安堵感、効力感、または現実逃避的な快楽だけです
心から安心出来ず、本当の幸せは手に入りません
むしろ、どんどん負のスパイラルに陥って、本当に大切なものを失っていき、不幸になっていくように思います

僕の場合、雇われ院長として勤務している時、業績を伸ばして社長には認めてもらえましたが、スタッフとの関係は微妙でした 
それが不本意で、仕事が楽しいとは思えませんでした
「自分は雇われの身だから、スタッフから軽視されるんだ」と勘違いしていました
そして、開業し、経営者兼院長としてがんばりました 
幸い、業績は右肩上がりでしたが、やっぱりスタッフとの関係に悩まされます
「経営者になったけど、小規模の弱小病院だから、スタッフに軽視されるんだ」と、また勘違いをしてしまいます
自分の身体やプライベート、家族を犠牲にしてもっと働き、病院の規模を大きくすることが出来ました
でも、スタッフとの関係はむしろ悪化していったように思います
たぶん、周りからは順風満帆に見えていたと思いますが、心も身体もボロボロでした
これが、適合の世界の行き着くところだと思います

適合の世界における内面の構造

適合の世界では、不本意な現実が繰り返しやってきます
先程の僕の例では、仕事の面でステップアップしても、「やっぱりスタッフとうまくいかない」という現実が繰り返しやってきました
なぜかと言うと、心の奥に刻まれた痛みが関係しています
その痛みを味わうことから逃れるために、無意識的な信念(思い込み)を作り出します
その信念が回避行動を引き起こし、結果、不本意な現実がやってきます

僕の場合、「ありのままの自分を出したら受け入れてもらえない」「ありのままでは愛されない」という痛みが根っこにあります 
その痛みを味わいたくないので、
①「進化し続ければ受け入れてもらえるし、嫌われない」
②「こちらから人に関わらなければ、嫌われることはない」
という信念が形成されました
その信念を元に、
①勉強熱心で、仕事をがむしゃらに頑張り、成果を出す
②知らない人には自分からアプローチせず、話しかけられるの待つ
という回避行動パターンを生み出しました
回避行動には、克服行動(①)と逃避行動(②)の2種類があります

僕の場合、①の克服行動で、仕事を頑張って開業し、事業規模を拡大することはできました それによって一時的な効力感は得られましたが、スタッフとの関係は変わりませんでした
一方、②の逃避行動では、スタッフへの関わりを避けるため、当然、良い関係を築くことが出来ません

スタッフとうまくいかないというのは、僕の一方的な解釈であり、思い込みです
スタッフが僕のことを嫌っていたり、軽視している訳ではありません(たぶん) 
でも、関わりを避けられたスタッフとしては、僕が何を考えているか分からなかったでしょうし、避けられ、嫌われてると思ったかもしれません
そうすると、僕には、ますますスタッフとうまくいかないと感じるという結果が待っているのです

このように、適合の世界では、回避行動が強化されていき、その結果やってくる不本意な現実もより深刻になっていきます

ライフミッション

僕たち一人一人には、生まれながらに、その人生で成し遂げたいこと、ライフミッションとも呼ばれる、願いのようなものを受け持っているように思います
それを発見し、周りの目を気にせずに、見たかった世界を創造するために人生を歩める人は幸せだと思います

痛いと感じるポイントは人それぞれであり、その人が一番痛いと感じることの正反対にあるのが、その人のライフミッション、創造したい世界です
夜は暗いから輝く星が美しいのと同じで、「ない」を体験することで「ある」を実感できるんです

そのライフミッションを見つけるために、人生の前半、適合の世界でのさまざまな不本意な出来事を通して、不快感を感じるという体験を繰り返します
回避しようとしても、その度に心の底にある痛みが刺激されます
痛みは願いの裏返しです
その願い、実現したい世界は早く気づいてほしいと待っているのでしょう

僕の場合、「ありのままの自分を出したら受け入れてもらえない」という痛みがあります 
その反対にある僕の願い、それは、「ありのままの自分を表現しても大丈夫だと安心できる」そして、「分かり合える」ということです 
そんな世界を創造したいということが、僕のライフミッションなのだと思います

スタッフミーティングで「何でも言い合えるチームを目指そう!」と繰り返し言っていた時期があったことを思い出します 
なぜ、そのことにこだわってきたのか、その時は分かりませんでした 
でも、心の底からそういう願いが湧いてきている感じがありました 
自分のチームを「ありのままの自分を表現しても大丈夫だと安心できる」「分かり合える」場にしたかったんです
そして、自分自身がチームの中でありのままで居たかったんだと思います

痛みの回避が原動力である適合の世界において、自分の心の奥底にある痛みを思い出し、それによって、ライフミッションを知る 
そして、外側に合わせるのではなく、自分の内側から湧き出るエネルギーを原動力に、ライフミッションを実現するという世界を味わいたいです

適合の世界の対極にあるのが、自分の内面から湧き出る思いを原動力とし、ありのままの自分を表現する創造(源)の世界です

でも、まだ僕はその世界を体現出来ていないので、残念ですが、実体験をお伝えすることはできません

次はその世界の入り口について

創造(源)の世界へ

適合の世界の最終段階を直面期といいます
適合の世界で増幅しながら繰り返す不本意な現実が我慢の限界に近づき、精神的に追い詰められる時期のことです
ちょうど一年前くらいまでの2年間が、僕の直面期のピークだったと思います
そして、昨年の秋ごろ、創造(源)の世界の入り口が見えました

創造(源)の世界の入り口にあたる時期を統合期といいます
直面期→統合期というステップが現代人にとっての大きな関門だと思います
適合の世界は、能力主義、成果主義、競争主義であり、あるがままの自分であることよりも、この世界で生き残ることが優先されがちです
戦後の高度経済成長期ではそれで良かったのかもしれません
でも、物質的に豊かになった現在、そのような考え方に違和感を感じる人は少なくないと思います
本当の幸せとは何か?ということを考え直す時期なのだと思います
直面期→統合期という変化に、そのヒントがあると思います

統合とは、本当の自分と自分の言動を統合するということ、言い換えると、こんな自分を出したらダメだと無意識的に判断し、隠してきた自分の一面に気づき、認め、受け入れ、ありのままの自分を表現することだと思います
適合の世界は生きるための能力を身につけるステージ、統合の世界は本当の自分に帰っていくステージだと思います
どちらのステージも進化しているのですが、後半は力を抜いていくステージ、大人から子供に戻るステージだと思います

あるスタッフに言われたたのですが、僕の本当の姿は「シャイで、よく動き、気前のいい、でっかい子供」だそうです(笑)
それを認め、受け入れて、そんな子供に帰っていくのが統合期なのだと解釈しています

本当の自分に帰るという第二の進化をしながら、ライフミッションを実現していく世界が創造(源)の世界なのだと思います

僕のライフミッション、それは「ありのままの自分を表現しても大丈夫だと安心できる」だと思っています
それに向けて、具体的に動き出しましたその

一つは僕が学んで良かったと思う内容を拡散することです
このブログもその一つです
さらに、セミナー運営を今年から始めました
それらの活動により情報を発信し、それを受け取ってくれた方に気づきやポジティヴな変化があればと思っています

もう一つは動物病院経営者をサポートするための個人セッションです
より積極的に関わって、適合の世界から抜け出し、本当の自分に帰り、ライフミッションに向けて進んでいくお手伝いをしようと思っています
動物病院経営者の苦労や悩み、僕も体験したことなので共感できます
まずは、彼らに関わりたいと思いました

それらの活動によって、まずその人自身が、そしてその人の周囲に変化が生まれることを願っています
その結果、安心してありのままの自分を表現できる世界が広がっていけば最高です
その次の展開として、自然の中での体験を通して、本当の自分に帰れるような場を作りたいと考えています
どんな展開が待っているのでしょうか?
楽しみです

メンタルモデルの紐解き

長々と書いてきましたが、このような内面の変化を生み出すためには、自分の内面、特に痛みや信念、回避行動のパターンを理解する必要があります
事実として実際に起こっている不本意な出来事から、回避行動、信念(メンタルモデル)、痛みを導きだします
対話によって、それらを紐解くことが可能です

僕は今、その紐解きのトレーニングに励んでいます
まだ10名ほどしか実施出来ていませんが、今年中に100名の紐解きをさせてもらいたいと思っています
紐解きの練習につきあってくれる方を募集しています
お付き合いいただける方は、ぜひメッセージをお願いします!

4つのメンタルモデル

このように、紐解きのプロセスを通して、内面の構造が明らかになり、信念も明確になります
その信念を大きく四つに分類したものがメンタルモデルです
・価値なし
・愛なし
・ひとりぼっち
・欠陥欠損

これらの解説は色々なところでされているので、ここでは割愛します
そのうち、僕なりの言葉でまとめようとも思っていますので、お楽しみに
 
メンタルモデルが明確になった、で、どうすればいいの? という疑問を抱く方が多いと思いますので、最後にそのことを書きたいと思います

メンタルモデルの活用

また、僕の例で説明します

僕の内面の構造
不本意な現実:やっぱり仕事が楽しくない
回避行動:①努力して仕事の成果を上げる ②人との関わりを避ける
信念:①成果を出せば、進化していれば認められて、嫌われない ②自分から関わらなからば嫌われない
痛み:ありのままの自分を出せば受け入れてもらえ

例えば、すれ違いにスタッフが挨拶をしてくれなかったことにモヤモヤするという不本意な現実があったとします(不本意な現実)
そのことに対して、あいつは自分のことを嫌っているかもとか、あいつは社会常識がないという風に、良くない思考が働いたとします(思考) 
それを何とかして解決しようと、社会常識を身につける社内研修を実施したり、挨拶をしないことにペナルティを課すという策をとったとします(回避行動) 
そうすることで、スタッフの反感を買い、関係が悪くなってしまいます(不本意な現実が強化されて繰り返す)
このパターンの思考を生み出すのが、痛みや信念です
自分から関わり、思うようなリアクションが返ってこないことを恐れるため、自分からは挨拶をしない傾向が僕にはあります
根っこは、「あるがままの自分では受け入れてもらえない」という痛みです
ただの挨拶なのに、その表現ですら、相手のリアクションによって、愛されているかどうか?、つながりがあるかどうかを判断してしまうのです
要するに、「相手のリアクションによって、つながっているかどうかが決まる」という信念(思い込み)があるのです

対策としては、不本意な現実を体験し、不快感情を感じていると気づいたら、そのような思考に頭を支配させず、信念や痛みを思い出し、俯瞰的に捉えます
僕の場合、挨拶をしないスタッフに不快感情を抱いてしまったら、それは「あるがままの自分を表現したら受け入れられない」という痛み、それを避けるために生み出した信念「相手のリアクションによって、つながっているかどうかが決まる」から起こっているに違いないと考えます
そうすると、すれ違う時に挨拶をしなかっただけで、繋がっていないわけでもないし、愛されていないわけでもないと理解できます
こういう構造をイメージし俯瞰的に捉えれば、イライラは鎮まります

そういうトレーニングを積み重ねることで、今まで不快を感じてきた出来事が気にならなくなっていきます

これまでなら反応してしまっていたような出来事を体験しても、起こっていることをただ見ていられるようになっていきます

とは言え、常に平常心でいられる訳ではなく、時には心がザワつくことはあります

そういう時は、思考を働かせて何とか解決しようとするのではなく、不快な感情から逃れようとせず、その感情を味わうようにします

不快な感情が湧き上がったこと受け入れて、それに向き合い、理解すると、ザワつきは収まり、自分のニーズが見えてきます

リアルタイムでそれが出来なければ、後から思い出して内省しても構いません
それでも良いトレーニングになります

これが僕が意識的に行っている、日常的なメンタルモデルの活用(トレーニング)です

また、痛みの裏側にあるライフミッションを知ることが出来ると、本当の人生の道標になると思います

メンタルモデルを学ぶ意味は他にもあると思いますが、今の僕が特に意識していることはこういうことです

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました

自分の書いた文章を読み返してみて、統合以降のこと、創造(源)の世界のことを書いている文章には力がないと感じがしました

たぶん、頭で理解しているけれど、僕自身がまだ体現していないこと、おそらく完璧には腹落ちしていないことを書いているからだと思いました

もう少し時間をおいて、改めて書き直したいと思います

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