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家族が離れ離れの祝日

 昨日、10/12はブラジルではアパレシーダの日と呼ばれるカトリックの祝日だった。今や宗教の選択肢は色々あれど、国民の約半数がカトリック教徒であるブラジル。例年この日を迎えると各地で宗教的な催しが執り行われる。

 特にサンパウロ市から170㎞に位置するアパレシーダ・ド・ノルテの街にある大聖堂での大規模なミサは有名。例年近隣の街から35000人もの信者が集まるという。アパレシーダ大聖堂の総建物面積は1万7千平方メートル。バチカンの聖ピエトロ大聖堂に続く大きさだと言う。

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アパレシーダの大聖堂がブラジルの聖地となるまでの経緯を調べてみた。 話は18世紀まで遡る。

 サンパウロのパライバ・ド・スル川で漁をしていた三人の漁師達は長く続く不漁に悩んでいた。ある日、いつものように川に網を仕掛けると、聖母像の胴体部分がかかった。次に頭部分が。漁師たちは聖母像を船に置いたまま漁を続けていた。すると今までの不漁がまるで嘘のように次々と魚がかかるようになった。

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 家に帰った漁師の一人が家の祭壇に聖母像を祀った。すると話を聞きつけた近所の人々が漁師の家を訪ねては聖母像に祈りを捧げるようになった。こうして奇跡は広がった。その後街のコケロスの丘に教会が建てられ、多くの巡礼者が訪れるようになった。そして1888年には聖堂が建設され、1930年にはこのアパレシーダの聖母(Nossa Senhora Conceição Aparecida)はローマ教皇ピオ11世によりブラジル守護聖人として認めらるようになった。1955年には新聖堂の建設が始まり、1980年には当時訪伯中だったヨハネ・パウロ二世により、建設中の大聖堂の献堂式が行われた。1984年、アパレシーダの大聖堂は晴れてブラジルの聖地となった。

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昨日の第一回目のミサは、近隣都市より集まる1000人の信者のみを受け入れ厳かに執り行われた。サンパウロ市長も参列し、コロナで亡くなられた15万人の方々に祈りを捧げた。現地へ向かうことが出来ない信者のために、ミサの様子がTV放送で流された。

一方、普段のミサの様子はこんな感じ。

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 10/12が宗教的な祝日である一方で、この日はブラジルでは「子供の日」としても知られている。もともとは別の日に設定されていた子供の日ではあったが、紆余曲折を経てアパレシーダの日に再設定された。これはおもちゃ業界の戦略による印象が強い。宗教的な祝祭日に家族で集う習慣のあるブラジルでは子供たちが祖父母、その他親戚からプレゼントを貰う絶好のチャンス。この習慣はあっという間にブラジル社会に定着した。

 子供達が小さかった頃の10月は、我が子や姪っ子へのプレゼントを探し求めて激混みの玩具屋さんを渡り歩いたもの。すっかり玩具業界の戦略に惑わされてしまっていた。幼子がいなくなった今となっては懐かしい思い出。特に息子は14日が誕生日でもあるので、10月は何かと収穫の多い月だった。

 今年の子供の日はどうだったか。。無論、もう子供の日を祝いはしない。しかし、10月が誕生月の義弟と息子のお祝いをする目的で義弟のアパートに集まった。集まると言っても、我が家の4人と義弟の計5人のみ。このご時世で80代半ばである義母は外出は極力避けているから、声かけは自粛した。

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 義弟の家族(お嫁さんと娘14歳)は一年余り前にカナダに移住した。一人娘の教育、将来を考えると、激しい受験競争が予想されるここサンパウロでの暮らしに疑問が湧いてきた、と言う理由からだった。カナダでは公立の学校に通うため、基本的に教育費は無料。私立の学校通いが当たり前で高い教育費が家計を圧迫するサンパウロより、のんびりと豊かな暮らしを送ることが出来るのかもしれない。治安の不安がある街暮らしより、自然の中でのびのび出来るのも魅力的だ。

 加えてカナダのモントリオール近郊の長閑な街には、お嫁さんの幼なじみが移住している。現地の方と結婚されているそうだ。お嫁さんは何度かカナダを訪ねてホームステイも経験している。モントリオール周辺の街では公用語がフランス語だから、移住のための競争率が多地域より低い。その上、カナダは50歳未満の移住者を積極的に受け入れていた。お嫁さんが40代なので義弟家族は移住を決意した。

 とりあえず義弟はサンパウロに残り、家族の生活の支援を続けながら移住の機会を窺っていた。そのさなかにコロナ騒ぎに直面した。義弟は本格的な移住の前に何度か家族を訪ねようと計画したが、それはいまだに叶っていない。イースターの時期に続き、10月出発の航空券も購入出来なかった。最愛の家族と離れて暮らして、一年余り。義弟の胸中を思うとやるせない気持ちになる。

 昨日はカナダの彼女たちと久しぶりのzoomでの再会を果たす予定だった。しかし、お嫁さんの試験期間と重なりそれも叶わなかった。あちらは急に秋が深まり、気温が1℃にまで下がる日もあると聞く。一度かの地で冬を越したとはいえ、ブラジルではなかなか経験出来ない冬の寒さ。これから先まだまだ戸惑いもあるだろう。。

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 彼女たちが去ってから、残された愛犬二匹のうちの一匹が虹の橋を渡った。昨日久しぶりに会ったラーラも心なしか寂しそうだった。ある日突然飼い主たちが姿を消し、姉妹のように一緒に育ったフィオーナを喪って。ラーラはどんな気持ちで義弟と毎日を過ごしているのだろう。

 子供の日を祝わなくなって早数年。大変ながらも賑やかだった日々を思い出す。あの頃の君たちはもうここにはいない。Feliz dia das crianças !!(子供の日おめでとう‼︎)とプレゼントを手渡す機会も失った。でも、この若者達が大陸を越えて再会を果たす日は必ず来ると信じたい。たとえ今すぐには無理だとしても。。

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