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smashing! ここはぼくのいばしょ

佐久間イヌネコ病院。週一でここに勤務している理学療法士・伊達雅宗は佐久間鬼丸獣医師と喜多村千弦動物看護士の先輩。この病院の税理士・雲母春己と付き合っている。

雲母は朝早くから、自宅のペントハウスの掃除に取り掛かっていた。今日、伊達と設楽は夜遅くなるというので、久しぶりのソロ活動である。秋口から試みていた仕事の調整を終え、雲母の忙しかった毎日はかなり改善された。こんなふうに平日が空いたりして、やりたかったこともできるように。そして今日は浴室の掃除である。

「…特になにも汚れてない…僕の家はカビが生えないのでしょうか」

伊達もかなり綺麗好きだが、ああ見えて設楽は掃除魔。とは言ってもかなり大雑把ではあるが、目の届くところは自然に体が動くらしい。綺麗好きと大雑把掃除魔。両方いたら結果ピカピカなんである。

水回りに汚れは特になく、各部屋やリビングにホコリもない。物が出しっぱなしなところもあるが問題ない。汚れてもいい割烹着にバンダナとゴーグル。ゴム手袋を装備した雲母は重装備が仇となって汗だくになりつつある。部屋見て回っただけなのに。

「…なんか、お腹すいちゃいましたね」

とりあえず装備を外し、冷蔵庫の中身を物色。するとラップに包まれたいろんな「ご飯」がいくつも入っていた。唐揚げやルーロー飯、雲母の好きな焼きおにぎりまで。僕の好物ばかり入ってる。雲母は思わず笑ってしまった。その中で何皿か温め直して、皿のそばに並べられていたワイン入りのかわいいチューハイを手にリビングに向かう。

今日は思い切って外で食べてみよう。雲ひとつない晴天、思った通り風もなく問題ない天候だ。雲母はコートを羽織ってそのまま屋上庭園へ。庭師である小越が季節ごとに手を入れるここは、小さな菊や葉牡丹が可愛らしく植えられ、大きな鉢に入った梅が蕾をつけている。ああ、そういえばもうすぐ春。雲母のもうひとつの誕生日がやって来る。

伊達と設楽に出会ってから、もう以前の自分の考え方も価値観も、思い出せないくらいに遠ざかり、書き換えられてきた。そして、あの家族旅行中の事故で「消えてしまったはずの記憶」が、形や角度を変えて雲母の中に鮮やかに蘇るようになった。

うまく説明はできない、でもそう感じるのも確かで。雲母は屋上から遠くの空に目を向ける。あの二人の働く病院の辺り。よかった今日はいいお天気で。どこまでも青い空が続いている。

雲母はテーブルの上に置いた焼きおにぎりや唐揚げをそっと口に運ぶ。おにぎりと唐揚げを食べると、なんとも言えない懐かしい気持ちが広がっていく。そこへワインのチューハイが加わると、懐かしさが一変し、あの二人といる時の賑やかさや心地よさへと変わっていくのだ。

「さ、お二人のために僕は何をしよう…」

伊達と設楽の側にいるだけで癒され、そしてあの二人を癒して。何かしても、何もしなくても。ここに居てくれるだけでいいんよ。いつだったかあの伊達が雲母に言った言葉。


何度も何度も、幸せに満ちる心の中で反芻しているのだった。

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