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カフカースの祈りの山を歩く、犬になった王子の旅を辿るかのような。

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『シュナの旅』というその小さな本を手に取ったのは、私が13、4歳の時だったから、その、こころとたましいに深く深く刻まれるような場面の数々を、今も未だ覚えているのかもしれない。チベットの民話をもとにしたというこの小編は、貧しい山あいの小国の王子が、民を救うため辺境まで赴き、異化して戻ってくるという寓話である。

王子が訪れた西方の神人の土地では、人々の糧である麦の穂が、奴隷の生命を肥料として、豊穣な実りをもたらすという矛盾が繰り返されていた。そこでは時の流れまでもを操作する技術によって毎日麦を作り、人狩りを相手に麦と奴隷の交換をする。武力を獲得した少数の人間は、食糧生産の労苦から開放されるが、いずれは奴隷として対価する人間もいなくなり、人類は滅びてゆくのだろう。

様々な寓意や示唆に満ちた、その鮮やかな色彩の頁を繰りながら、私は深くため息をついた。温かな愛情に讃えられた物語の結末に反して。

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大方の話の筋は忘れてしまっても、その苦いような異臭のような微かな嫌悪の棘は、その後もずっと私の中に残った。それは不条理と矛盾と、生々しい生の匂いだった。

それからずっと後になって私は、世界各地で緊急支援を届けるための仕事に就いた。東西冷戦後の世界の混沌が民族や宗教の差異を巡る多くの紛争を生み、また産業の発展とバーターするかのように気候変動や自然災害が頻発し、多くの難民や避難民が生活の場を失っていた折だった。

当時所属していた組織の中には、人々が発散する明るく力に満ちた使命感の白いひかりが存在していた。しかしその裏腹で私が探していたのは、あの「生々しい匂い」だった。時に人が人を土台にして、その犠牲のもとに生きるという、人間の生々しい業や矛盾を体感することを求めていた。人の生死に近い場所に身を置きたいという願いが私の本意であり、青暗い修羅だ。人はたくさん産まれて、たくさん死ぬ、その自然を当たり前のこととして感じられる環境を希求していた。そして。私もまた、人々を救うための麦の穂の一片を、自身の倫理や正義という鎧を構築しながら、神人の国から力づくにも奪取すること模索していたひとりだった。

あの辺境の山あいの谷底に住む小国の王子が持ち帰った麦の穂は、人々を幸福にしたのだろうか。

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険峻なコーカサスの峰々が連なる、切り立った崖の上に建つ小さな古いその教会は、幾度の戦火も宗教弾圧も乗り超え、静謐な祈りの場を現在もその内部に留めていた。祠の壁には、びっしりと黄金のイコン画がかけられ、無数の蝋燭の仄かな明かりに照らされて、輝くようにその神性を顕している。人々が微かな波のように途切れなく訪れては、額の前で十字を切り、祈り、その姿にそっと唇をつける。

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その祈りの山で、あの犬になった王子の旅路と再び邂逅し、人間の血の匂いと体温を思い出していた。

あなたがもし、この創作物に対して「なにか対価を支払うべき」価値を見つけてくださるなら、こんなにうれしいことはありません。