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「母と暮せば」2024年観劇記~亡き息子が母に与えた使命と再生の物語

1,はじめに

こまつ座「戦後“命”の三部作」のひとつである舞台「母と暮せば」が3年ぶりに再々演された。
しかも今公演は、原爆投下された物語の地である長崎市を含む九州公演と、戦場とされた沖縄での公演も初めて行われた。
九州公演は3年前に開催して各地を回る予定だったが、コロナ禍で長崎や島原など一部公演が中止となっていた。3年越しで実現した九州公演に、こまつ座の井上麻矢社長は「ずっと気になっていた忘れものをとりにきた感じ」と表現している。実は、3年前に九州公演が中止になったことが、今回の再々演を行う最大の理由だった。

私は2018年の初演はテレビ放送で観て、2021年の再演は東京で5回観劇した。今回の再々演は大阪と東京で計5回観劇したのだが、初演、再演と比較して演出に変化を感じた。
初演は「祈り」、再演は「怒り」が核となっているように私は感じているのだが、再々演は「使命と再生」が物語の核にあると感じた。
「母と暮せば」は、最愛の息子を原爆で奪われ、怒りと悲しみに暮れ生きる気力を失った母親に、幽霊となって出てきた息子が、助産婦としての使命を思い出させ、再度生きる力を与える物語・・・再々演を観劇して、スッとそう感じることができ、映画版とは異なる舞台版のラストが胸にすとんと落ちたのである。

2018年の初演から100回公演を東京公演中に迎え、東京大千穐楽は104回目の公演だった。
初演から浩二を演じてきた松下洸平さんは、おそらく今回が浩二を演じる最後だと思う。
私が観劇したのは大阪と東京公演だけだが、その感想をまとめ、洸平さんが最後だと感じた大千穐楽のカーテンコールの様子も記しておく。
さらに、記念すべき長崎公演と沖縄公演の様子も、現地の新聞等の反響をまとめておく。

★井上麻矢さんブログ ↓


【以下ネタバレあり】

2,物語の解釈

私は2021年の再演時に5回観た後、初演からのthe 座(パンフレット)や関連書籍を読んだり映画版を見たりして、自分なりにこの物語についてじっくり考え、noteに2021年観劇記を書いた。
その時の解釈は、再々演を見ても変わらなかったので、物語の解釈は今回は書かない。そのnoteをぜひ読んでみていただければと思う。
要旨は以下です。

・ハードルが高かった二人芝居の舞台版。再演のプレッシャー。二人の俳優の覚悟と凄み
・「なして、うちはあんたば止めんかったとやろう?」「連れていって」と慟哭する伸子と、「幸せは、生きとる人間のためにあるとやけん」と母に生きるように願う浩二
・印象的な「水」の使い方。原爆の熱さに苦しむ浩二に水を飲ませることができた伸子と、治療のための塩水を伸子に飲ませることができた浩二
・松下洸平さんの転機となった2018年の初演
・「母と暮せば」というタイトルの理由
・東京千穐楽のカーテンコールの様子
★「母と暮せば」2021年観劇記 ↓

3,2024年感想

〇ビジュアルの変化

同じキャストによる舞台の再演を観るというのは、私にとって初めての経験だった。
舞台は生ものである。同じ作品を初日、中日、千穐楽と日程を変えて観ると、少しずつ演技や演出が変化していく様子がわかる。3年ぶりともなれば、いろいろと変わっている部分があるのだろうと思っていた。
初演の2018年から6年。富田靖子さんも洸平さんも6つ歳を重ねている。

今公演は大阪で初日を迎えた。Skyシアターは1289席と大きく、私が3年前に観た紀伊國屋ホールは427席なのでちょうど3倍の広さである。この作品はキャストがマイクをつけずに生の声で演じるので、大阪の劇場で後方席まで声を届けるには多少は声を張る必要があっただろうから単純な比較はできないのだが、懐かしい伸子母さんと浩二は、やはり少し変化していた。

まずはビジュアル。
伸子はあまり変わっていないが、浩二は髪型が違った。初演と再演は短髪だったが、洸平さんの他の仕事(2024年10月期ドラマ)の都合もあったからだろう、長めの髪を七三分けにしていた。シュッとしていて大人びたかっこいいコウちゃんだった。
そして、初演と再演は浩二は白い靴下を履いていたが、今回は裸足だった。
これは演出だったのかもしれないと思っている。洸平さんの足指は長く表現豊かだ。原爆の「熱か!」のシーンで足の指も大きく開き動いている様子を見て、そう感じた。

教会とともにいる母と子  ↑

〇祈りとピエタ、使命と再生

また、物語の全体的なトーンとして、「悲しみ」をより強く感じた。
大阪で初日を観たときのX(旧Twitter)に「悲しみに満ちた90分だった」と私は書いている。
3年前は、伸子の「怒り」をより強く感じたのだった。「夕日が怖かー・・・」とつぶやく伸子は本当に怖かったのだけど、今回は息子を喪った悲しみがひたひたと伝わってきたのだ。

大阪初日を観た後に、「the座121号」を隅々まで読み、さらに「BEST STAGE」(2024年9月号)を読み、いろいろと考えた。
「BEST STAGE」には、お稽古のときに栗山さんが、「この舞台がときどき教会に見えてほしい」「2人の立ち位置によっては、マリア様がキリストを抱く“ピエタ”に見える」と話していたというエピソードが載っていた。
それを読んで私はハッとした。確かに、ピエタに見える瞬間があるのだ。
初演のときの「the座98号」の前口上で、井上麻矢さんがイタリア・ボローニャの教会にあるピエタを見に行ったときのことを書かれていたことを思い出した。それは、井上ひさしさん亡き後に「母と暮せば」を作り上げることに麻矢さんが苦悩していた時期のことだった。
初演をテレビ放送で観たときから感じていた「祈り」。伸子と浩二の2人がピエタに見えることも必然だったのだと、栗山さんの言葉で私は合点したのだった。

そう感じてから、大阪千穐楽で2回目を観たとき、より2人の姿から「祈り」「ピエタ」を感じた。
そして終盤、もう伸子を連れて行ってあげて・・・と泣きながら観ていた私に、「使命と再生」という言葉が天啓のように降りてきた。
深い悲しみと怒り、絶望を抱えながらも、「浩二の代わりに生きる。助産婦として人を救う」という使命を、浩二が伸子に気付かせ、再度生きる力を与えたのだと。
そして、再演時は、映画版のラストのように浩二のもとに連れていってあげた方が伸子は幸せなのではないか、という思いを払拭しきれない私だったのだが、再々演では舞台版のラストに心から納得したのだった。

ちなみに、ピエタに見える瞬間は、ごろりと横たわる浩二を伸子がひざまずいて抱くときだが、逆に立っている浩二に伸子がひざ立ちでそっと寄り添う姿も、十字架のように見えたりもし、ハッとさせられた。

また、これは栗山さんの演出なのだと思うが、「笑い」の要素を少し控えめに演じるようになっていたことも、「悲しみ」を強く感じた理由のひとつだろう。
たとえば、序盤で浦上のおばあちゃんの真似を浩二がするシーンで、初演と再演では出っ歯のような顔真似を浩二がしていたが、それが今回はなくなっていた。
悲しい物語でも随所に笑いを散りばめるのが井上ひさしさんの戯曲スタイルなのだと思うが、よりシンプルな今回の演出が私は好きである。

ポスターにはコップが描かれている ↑

〇よりリアルに描かれた「水」のシーン

さらに、初演、再演時との違いは原爆のシーンにもあった。
浩二の一連の「熱か!」「母さんごめんね。僕はもうここまでだ」「母さんに会いたか!」等の叫びの後、伸子が浩二に自分が水を飲みほしたコップを渡し、浩二が水を飲んだ後のシーンに演出が加えられていた。
コップを伸子に返すそうとするも、浩二の指が火傷のせいで硬直してコップからはずれなくなってしまっている。それを伸子が、浩二の指を1本1本コップからはずしてあげて受け取るのだ。よりリアルになっていてうなった。

原爆のシーンはこの作品のなかでもとても重要で、浩二の独白からの叫びを聴いて呆然と空を見つめていた伸子は、「母さん!」の声にハッとして、熱さから浩二を救おうとコップに水を入れて渡す。
しかし浩二は「僕には飲めん」と泣く。
そこで伸子は、瞬時に浩二の言葉を思い出したのだろう。陰膳を浩二自身は死んでいるので食べられないが、「母さんが食べてると“一緒に”食べてる気になる」と言い、それを受けて伸子は、まるで子どもの「ごっこ遊び」のように想像でおむすびとみそ汁を作り、想像だからこそ浩二は美味しく食べることができるという親子の共同作業を“一緒に”やっていた。
だからこそ、「伸子が飲んだ水」であれば、浩二も飲むことができたという感動的な場面である(ここの解説は2021版観劇記参照)。
それが、硬直した指をコップから1本1本はずすという行為が加わったことで、原爆による火傷のむごさがよりリアルに伝わるとともに、「コップの水を飲む」という儀式を親子で一緒にやり遂げたことも伝わってきて、この親子の絆をより強く感じ、感動した。

このシーンの水と、ラストの塩水。
再々演では、この物語において「水」が重要な役割を果たしていることがクローズアップされているようで、東京公演の劇場ロビーのポスターの周囲に、コップの絵がたくさん飾ってあったし、東京限定の物販として水筒が売っていたほどである。

東京で迎えた大千穐楽は、初演から数えて104回目の公演だったそうで、同じキャスト、同じ演出家で100回以上公演を行ううちに、少しずつ変化していくものがあるのだろう。
また、初演と再演の間は3年、再演と再々演の間も3年あり、その間に時代背景が変わっていることも影響しているかもしれない。
キャストの2人も3年ずつ、初演からは6年歳を重ね円熟味を増している。2人で乗り越えてきた作品であり、開演前には舞台袖で必ず両手を握り合ってから舞台に向かうという。親子としての阿吽の呼吸もできているだろう。

舞台は奥が深いなと思うし、正解はないのだろうとも思う。観る側の解釈にも正解などなく、いつも洸平さんが言っているように、観る者にゆだねられているのだろう。
私は、今回の「母と暮せば」が一番好きだった。

水筒が販売されていた ↑

4,洸平さんの最後の浩二だったのか~大千穐楽の様子

〇ラジオで語った「集大成」

演劇という表現手法において、俳優の年齢は本来は関係ないと私は思っている。名俳優が何十年、何百回と同じ作品を演じ続けるのはままあることだ。板の上では、俳優の年齢など軽く超える。
それでも、洸平さんは映像作品にもよく出るようになったからだろうか、自身の年齢と役柄の年齢を気にかけることが多いと感じる。
浩二は医大生。洸平さんは37歳。年齢の乖離を考えることもあるだろうし、いろいろな作品に引っ張りだこの現在、他の作品に出たいという気持ちもあるかもしれないし、この大切な作品を若手俳優が引き継いでいってほしいという気持ちもあるかもしれない。
なんとなく私は、浩二を演じるのは今公演が最後だろうと感じていた。

すると、大千穐楽の前日(2024年8月30日)に放送された洸平さんのラジオ番組「WEEKEND LIVING」で、洸平さんは、「母と暮せば」を思い入れの深い作品とし、「自分の演劇人生のひとつの集大成」との旨を語った。

そして迎えた大千穐楽の日。
伸子母さんと浩二の90分の逢瀬の物語が進む。

富田さんは余裕も感じられるような演技で、終盤の塩水を飲むときに、茶目っ気のある表情で客席を見ながら「しょっぱ」と言うので、それまでさんざん泣いていた会場も泣き笑いに変わった。
これは栗山さんの演出が途中で入ったのだろうか。富田さんも洸平さんもアドリブを多用する俳優ではないし、ましてやこの作品ではそうだろう。

「しょっぱか」と伸子がコップを浩二に突き返すとき、勢い余って水がちゃぶ台に盛大にこぼれた(そもそもこの日は浩二が水を入れ過ぎたようにも見えた)。これは事故のような偶然の出来事だが、富田さんは濡れた腕を演技でパパッと拭いたりし、浩二が消えていくラストの寂しい場面も、あたたかさが残る雰囲気となっていた。

浩二としての洸平さんは、幽霊として階段に戻ると、いつもそこから終演までは一切微笑まない。しかしこの日は、目を覚ました伸子が、浩二との逢瀬が夢ではなかったという証拠のコップの水を再度飲み、「しょっぱ」と優しく甘く言ったとき、かすかに、本当にかすかにだが微笑んだのだ。
口の端が少し上がった程度であるが、このシーンは笑わないのが幽霊としてリアルだなと私は思い、観劇のたびに浩二の表情を確認していたので、これまでとの微妙な違いに気付いた。
もしかしたら、浩二の母への思いが最後の最後であふれてしまったのかもしれない。受け取り方は、観客それぞれの自由だろう。

〇カーテンコールで見せた涙

終演し、暗転して再び舞台に照明が灯ると、キャストの挨拶前から割れんばかりの大拍手が会場から沸き起こった。
カーテンコールの様子が感動的だったので詳細に記録しておく。

1回目。
洸平さんは階段から降りて前に移動し立ってお辞儀、富田さんは演技の続きで正座したままお辞儀。2人とも真剣な表情。

2回目。会場の後ろ半分はスタンディングオベーションだった。
富田さんは2回目から微笑んだ。洸平さんは真剣な表情のままで、お辞儀のあと、2人で顔を見合わせたときだけ少し微笑んだ。

3回目で完全スタオベ。
富田さんはにっこり。洸平さんはまだ真剣な表情で、2人で顔を見合わせてから、やっと会場にも少し微笑んだ。富田さんは会場のあちこちに向かって丁寧にお辞儀をしていた。

4回目。
洸平さんは真剣な表情のまま登場し、何度もふーっと息を吐いていた。
富田さんと手をつなぎ、深々と長々とお辞儀。顔を上げたとき、洸平さんは泣きそうな表情に見えた。ふーっと息を何度も吐いていたのは、涙をこらえていたのではと感じた。

5回目。
洸平さんは「ありがとうございました」と口を動かしていた。泣きそうな感無量という表情。富田さんと目を合わせてにっこりし、退場のときは舞台袖で深々といつものようにお辞儀をした。
この舞台袖のお辞儀は洸平さんのなかでは、「カテコはこれで終わり」の合図なのだが、拍手はそれでも鳴り止まず、手拍子に変わった。
しかし2人はなかなか出てこない。洸平さんは舞台袖で今度こそ泣いてしまっているのではないか、出てこられるかしらとハラハラしていると、なんと富田さんが先に登場して6回目のカテコ。

6回目。
富田さんは洸平さんの位置になぜか立った。洸平さんが遅れて出てくると、富田さんは笑って定位置に戻り、2人でお辞儀。
そのあと謎の動きがあった。富田さんは塩水をこぼしていたちゃぶ台をささっと拭いて会場を見てお茶目な感じで微笑んでみせたのだ。会場からは笑いが上がったのだが、このとき洸平さんは後ろを向いていて、泣いていたようなのだ。富田さんは洸平さんを見て、機転を利かせてちゃぶ台を拭くなどして場をつないだのだろう。
そして、そんな洸平さんに、富田さんから手をつなぎにいき、2人でお辞儀して退場した。
洸平さんは舞台袖で再度深々とお辞儀をし、大千穐楽の幕が下りた。

私がこの作品をこれまでに観たときは、2021年公演も合わせると9回すべて、カテコでは洸平さんがリラックスし、なかなか役が抜けない富田さんをリードして手を差し伸べたり微笑みかけたりしていたのだが、今日だけは違った。
洸平さんの様子を見て富田さんのスイッチが入ったのだろう。富田さんはカテコでも「母さん」だった。

私は洸平さん出演の舞台の千穐楽を2020年からすべて見ているが、カテコで泣いたのは見たことがない。初の単独主演だった「カメレオンズ・リップ」では座長としての責任感からかキリっとしていた。
泣くよりも、喜びの笑みが勝る人なのだと思う。
悔し涙ではなく、感無量といった涙を私が見たのは、2021年3月のライブで再メジャーデビューの報告をしたときくらいだ。このときと同じくらいの感情が洸平さんにあふれていたのかもしれない。

初演から6年。104回の公演をやり遂げ、「集大成」と話していたようにやり切った感があったのかなと考えていると、その日の夜に洸平さんは自身のインスタグラムをアップした。
そこには、感謝の言葉と、芝居の奥深さ、そこに向き合う覚悟の言葉とともに、
「世界から戦争がなくなる日まで、『母と暮せば』は上演し続けて欲しいとそう思っています」と書かれていて、次の俳優に浩二のバトンを引き継ぐ思いのように私は受け取った。
やはり、やり切った感があったのだろうと思う。
素敵なカーテンコールだった。
(もしDVDを発売することがあれば、大千穐楽のカテコと沖縄公演の挨拶の様子は入れてほしいなと強く願います)

★松下洸平さん、大千穐楽の日のインスタ ↓


5,沖縄公演、長崎公演の反響

〇沖縄公演

沖縄公演は8月3、4日に糸満市にて。3日のソワレでキャスト2人の挨拶があった。
琉球新報の記事などによると、富田さんは「みなさんの胸に届いたものがあれば」と短く挨拶し、洸平さんは「沖縄には『木の上の軍隊』で来させていただいて二度目です。沖縄のお客様がどんな反応をしてくださるか楽しみと不安がありましたが、終演後の皆様の笑顔に救われました」との旨を話したそう。
洸平さんにとって沖縄は、舞台「木の上の軍隊」の役作りのために訪れ、2019年にはその公演のために訪れ、2022年に発売した自身初の写真集「体温」の撮影も沖縄で行い、思い入れの強い土地でもあるのだろう。自身のインスタグラムにも沖縄公演のことを投稿している。
★松下洸平さん、沖縄公演終了の日のインスタ ↓


★松下洸平さんが2019年6月23日、沖縄全戦没者追悼式に参加した日のインスタ ↓

〇長崎公演

長崎公演については、2021年に九州各地の演劇鑑賞会に参加する形で九州公演を行っていたが、コロナ禍でスタッフに感染者が出たため、長崎市、佐世保市、佐賀市、島原市、諫早市での公演が直前に中止になっていた。
「the座121号」や長崎新聞によると、長崎公演の前日に中止が決まり、そのときは洸平さんも富田さんも現地入りしていて、長崎の地で中止の知らせを聞き、その直後に、3年後に再々演をやると聞かされていたとのこと。

洸平さんは、2018年の初演の前に、役作りのために長崎を訪れていた。2021年は公演前日に長崎に入り、ホテルに着いて荷物を下ろしたタイミングで中止の知らせを聞き、長崎駅のロータリーの歩道橋の上でしばらく路面電車を眺めながら、長崎公演をぜひやりたいとの思いを新たにしていたそう。
富田さんは、2日前に長崎市に入り、迷子になりながら伸子さんが歩いたであろう道を通ったりしているときに中止の報を聞いた。既に舞台のセットも組まれていたそう。

富田さんは長崎で公演することの怖さも感じていて、3年前の中止にホッとした気持ちもあったと正直に述べている。
物語の土地で演じる怖さは、洸平さんは2018年の「木の上の軍隊」沖縄公演で経験していたので、富田さんに共感しつつ励ましていた。

やはり長崎公演には、2人とも特別な思いがあったのだろう。
長崎公演を終えたあと、富田さんは自身のインスタで、九州公演の全日程を終えた日、長崎市の歩道橋から街並みと夕日を眺めている写真を投稿している(2枚目の写真)。
洸平さんも、おそらく同じ歩道橋から撮った写真を、東京公演初日のインスタに投稿している。
★富田靖子さん九州公演終了の日のインスタ。2枚目に長崎の歩道橋の写真 ↓

★松下洸平さん東京公演初日のインスタ。長崎の歩道橋からの景色 ↓


「the座121号」の編集も担当した高橋彩子さんの記事によると、長崎市民会館の970余の座席は満席。観客は惜しみない拍手を送ったそう。
2人は12日の終演後に現地メディアの取材を受け、方言について「本当に自然な方言で違和感が全くなかった」と長崎の記者に言われ、安堵の表情になったそう。
また、「長崎についての映画も芝居も沢山ありますが、決定版のよう。長崎の気持ちを代弁してくれたのが、長崎人として嬉しかったです」とも言われたそうで、長崎の人からのこれらの言葉は、頑張ってきた2人にとってご褒美のような、本当に嬉しい言葉だったに違いない。


6,おわりに

沖縄公演の舞台挨拶で、洸平さんは「父と暮せば」もいつか演じてみたいと話していたそうだ。
2021年公演時の「the座108号」の、「母と暮せば」と「父と暮せば」のキャスト4人の対談でも、洸平さんは「20年くらい経ったら、(父と暮せばの)おとったんをやりたい」と話している。
いつかその日がきたらいいなと思う。
洸平さんは既に、「木の上の軍隊」も演じているので、こまつ座の「戦後“命”の三部作」をすべて演じることができるなら、それはお世話になったこまつ座への何よりの恩返しだと思うのである。

7,「母と暮せば」概要

こまつ座第150回公演
・キャスト
富田靖子(福原伸子)
松下洸平(福原浩二)
・原案:井上ひさし
・作:畑澤聖悟
・演出:栗山民也
・企画:井上麻矢
・公演日程
大阪7月25日~28日 沖縄8月3日~4日 佐世保8月7日 佐賀8月8日~9日 島原8月10日 長崎8月11日~13日 大村諫早8月14日 東京18日~31日 

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