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往復200メートルの世界で起こっていること

最近、箱の外に飛び出そうとしている娘が眩しい

学校がスタートした先週、珍しく寄って来て、興奮気味に話してくれました。

美術の授業ときに先生が
「美術は、絵を鑑賞するとか何かを作るだけじゃなく、そこから発想力やコミュニケーション力など、これから先に必要な力を身に付けることができる教科です。」
と仰ったそうです。

それについてどう思ったか尋ねると
「お母さんと同じこと言ってて、やっぱりそうなんやって思った。」
とのこと。

国語の授業のときは
「妖怪の妖と、妖精の妖は、なぜ同じ字なのか?」
という問いについて、みんなで考えたそうです。

このことも興奮気味に話してくれました。

「こういうこともこれから授業の中でやっていくんだって。こんな風に考えたり、起源を知るのは面白くて、今からすごく楽しみ。」
と言っていました。

そして、今日、一緒に外を歩いていると
「最近、上を向いて歩いているんだ。」
と話してくれました。

これまでの娘

子供のころから、歩くときはいつも下を向いていました。

視野が狭くなり危険だし、姿勢も悪くなるので、度々注意していましたが、なかなか改善されませんでした。

上を向き始めた理由を尋ねると
「これまでは日差しが眩しくてあまり上を向けなかったけど、上を見たら空とか綺麗で、いろいろなものが見えるし、そんなに眩しくないって思った。」
とのこと。

娘は、光を感じやすく匂いにも敏感。(これは最近になって分かりました)しかも、小さい頃にしなくてもいい経験をさせてしまったせいか、自分のさまざまな経験から導き出されたものの見方と、自分の創り出した世界をとても大切にして生きています。

彼女の感性がギュッと詰まった世界は強くて面白いのですが、親としてはもっと広い世界に出て行って羽ばたいてもらいたい思いもあります。

でも、最近の彼女は、外の世界を柔軟に取り入れ、自分の世界とすり合わせたり検証しながら、少しずつ自分の箱の中から出ようとしているように見えます。

往復200メートルの生活の中で、彼女の世界はどんどん広がっています。

そんな彼女の姿が眩しくてたまらない今日この頃。

私の中に起こるこのワクワクは娘の成長が嬉しいから?


それだけじゃない。

娘が自分で生きていける兆しが見えたから。

安心したのです。

自分ひとりでは生きていけない世の中で、他者とつながること、他者の考えを受け入れることはとても大事だと考えています。

私が大事だと考えていても、彼女に押し付けるわけにはいかない。

でも、親がいつどうなるか分からない(これは母子家庭時代に沁みついたものです)中で、外の世界を信じられなかったら、生きていくことはできません。

だから、今の彼女の在り方は、とても私を安心させたのだと思います。

彼女を取り巻く人たち・環境に感謝しつつ、娘との距離感を改めて考える日曜の夜でした。

<Photo by Sharon McCutcheon on Unsplash>



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