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赤レンガ倉庫と、守る人の物語。

「赤レンガ倉庫」と聞くと横浜が有名ですが、実はJR菊川駅前にも立派な赤レンガ造りの建物があるんです。

今回私たちが取材させて頂いたNPO法人菊川まちいきの大橋隆夫さんは、15年前から菊川の赤レンガ倉庫の保全活動をされています。

ただの倉庫と侮るなかれ。建物にまつわる物語も、地域への誇りも、どちらも大切にされている大橋さんの熱意を、皆さんに感じて頂ければ幸いです。(書き手:峯川大)

自分たちが一番びっくりしたんだ

菊川市で赤レンガ倉庫の保全活動をしています。でもね、ただの倉庫じゃないの。お茶の合組(ごうぐみ:荒茶のブレンドをする過程)をする施設ということで、登録有形文化財にもなったの。

だけどね、最初は「歴史的な背景」があるってわからなかった。最初はね、保全活動を始めたのが15年前くらいで...そもそも、レンガ倉庫ってあんまり目にしないじゃないですか。

日本にレンガ造りが入ってきたのが幕末(1870年頃)なんだけど、関東大震災(1923年)以降、日本の建築に向いてないんじゃないかってことでレンガ造りは一旦止まってしまったわけ。だから、およそ明治の50年がレンガ造りの最盛期なの。

その50年しか造られなかったものが菊川に残っているということは、それだけで価値がある。残すと面白いでしょ。でも、調べていくとお茶の歴史とか背景がすんごい出てきたもんだから。僕らもびっくりしてる(笑)。

時代の変わり目に生まれた菊川茶

えー、まず、お茶の歴史的背景を説明しますとね。江戸時代から菊川周辺でも細々とお茶は生産していたんです。ただ、大きな変わり目があるんです。それは幕府が崩壊して徳川慶喜が大政奉還後に駿府(現在の静岡市)に移り住んだ時のことです(※)。

※江戸幕府、最後の将軍である徳川慶喜は大政奉還後、駿府で20年ばかりの余生を過ごしました。1868年頃のことです。

慶喜を駿府へ無事送り届けたと同時に仕事もなくなった幕臣たちは、働かなくちゃいけない。なので武士たちが牧之原の大茶園を開墾したわけ。菊川は牧之原台地のふもとで、旧東海道から外れた場所で土地も余っていたので、お茶の大きい工場もできたわけです。工場ができる直前にはJR東海道線も開通して、ちょうど良かったんですね。

菊川にお茶工場ができたのが1892年のことで、この辺一帯がお茶の工場になりました。その後、1900年にはこの赤レンガ倉庫ができたんです。

職を失ったのは武士だけにあらず

明治時代、日本が開港するとアメリカがお茶を欲しがったのね。なんでかというと、緑茶はビタミンCが豊富なんです。その頃、アメリカは独立間もない激動の時代。内陸なんかだとビタミンとか野菜がとれないので、保存がきくお茶は貴重だったんです。

アメリカにお茶を輸出する時に、日本のお茶という印を茶箱に付けて出荷していたんです。その印っていうのが「蘭字」って言います。

↑蘭字には文字とイラスト両方が施され、色鮮やかなデザインです。

当時はカラフルな印刷のない時代でした。どうしてこういう印刷ができたか。これはね、浮世絵(錦絵)なんです。すごく綺麗でしょう。天下泰平の江戸時代に発展した浮世絵ですけど、明治時代に西洋技術などが入って衰退するんですね。なので仕事を求めて、浮世絵師が「蘭字」を描いたというわけです。

「JAPAN TEA」とか書いてあったりしてね。「蘭字」は日本のグラフィックデザインの走りだと言われているんです。

まちいき

保存活動を始めた15年前は、こんなに歴史的な背景があるとはわからなかったの。調べていくうちにすごく貴重だってわかったから、いろいろ難しいことも多くて紆余曲折あったけど、なんとか保存するだけでなく活用しようということでね。

10年前にNPO法人菊川まちいきを設立して、文化発信の拠点にして活動しています。ジャズライブやったり、展示会やったりして、いろんな人が使ってくれるようになって、今では年間2000人くらいが来てくれます。

NPOの理事が10人いて、毎週木曜日の19時から21時半頃まで定例会やってるんですよ。会議した後の飲み会が楽しみでね。だから、家庭では木曜は夕飯の支度しなくていいから喜ばれてるの(笑)。

「精神」だけでも伝えていきたい

「こんなちっぽけな倉庫、どうして残す価値があるの?」って保存活動を始めた当初は言われたわけです。でも、明治の時代に一生懸命に英語もわからず、稼ぐために頑張っていた。その、先人の精神だけでもPRできたらと思ってやっています。

これからも今までと変わらず同じことをやっていきます。特別なことはせずにね。地道な活動を続けていきたい。継続は力なり、ですよ。


ありがとうございます。 列島ききがきノートの取材エリアは北海道から沖縄まで。聞きたい、伝えたい、残したいコトバはたくさんあります。各地での取材にかかる交通費、宿泊費などに使わせて頂きます。そして、またその足跡をnoteで書いていければ。