空想書籍紹介 #2

お久しぶりです。みんな大好き本の紹介のお時間です。相変わらず架空本紹介なのでそこんとこよろしくお願いしますね。

今日紹介する本は赤須秋水(あかす しゅうすい)氏の小説「丁字路の先」です。

これはあまりにも有名なので、読んだことがあるという人もかなりいるんではないでしょうか?僕は教科書でこそ見たことはないですが、国語便覧などでは必ずと言っていいほど紹介されている作者と作品です。作者は1910年、茨城県の出身です。プロレタリア文学の代表格、小林多喜二と親交があったと言われ、戦後となった晩年に書いた作品がこの「丁字路の先」です。この作品は田舎でひっそりと暮らしていた主人公が戦時中から戦後にかけて手記を綴り、それらを編集したものとして作中では紹介されますが、著者である赤須氏の個人的な経験とも重なる部分が多いものとして解釈されています。
本文の書き出しである次の表現は、本好きなら一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?

過失や蹉跌と云ふのは足らぬ言葉であった。過誤や犯罪と云ったところで同じであった。言葉で表せぬものがあるという実感が初めてみとめられた。私がここに書くことは、決して理解されないだろう。本当の意味に於いては。

風凧社出版「丁字路の先」P.1より

決して難しい文章ではないですが、それだけにストレートに彼の主張が伝わってきます。
さて、主人公自身は徴兵を受けず、終戦まで生き延びます。書き出しからもわかる通り、彼は戦争をこれ以上ないほど否定的に捉えています。超客観的で細やかな視点から描かれる「戦争」は、他の戦記や戦争体験談とは違い決してその悲惨な面ばかりが強調されているわけではありません。これが彼の、ひいては赤須氏の真骨頂ともいうべき点です。
主人公は戦争の終わりを喜びますが、やり場のない気持ちを抱え続けます。歴史は繰り返す。人類はまた同じ過ちを犯すのではないかと真剣に考えながらも自分の無力さに愕然とし、今を生きることに執着し始めます。

戦時中から戦後にかけて、書き手の視点がどのように変化していくかに注目するとより楽しめるのではないでしょうか。また、本文中にはほとんど「丁字路」に言及するシーンはありませんから「丁字路」はなにかしらのメタファーのはずです。あなたなりの「丁字路」そしてその「先」について、じっくり考えてみてください。

※この書籍紹介は架空です。著者、著書、事実関係は全てフィクションです

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