キッチン

キッチンの孤独と光

襖がぴしゃりと閉まる音は、すこし淋しく、物悲しい。向こうには人がいるというのに、地球の裏側くらいに遠く思える。でもどこか心地よく感じてしまう身勝手さを、真空パックのような静寂が後押ししていた。

昔、迫りくる朝から逃げるように夜更かしをした日もあった。でも今日はちがうんだ。

しんと静まり返ったリビングで、読みかけの文庫本を手にとった。

吉本ばななの『キッチン』。言わずと知れたベストセラーは、昨年末まで実家の本棚に眠っていた。15年前に一読してからずっと。

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彼女の作品は、中高生の頃に5、6冊読んだことがある。

休日の午前にソファにすわって口に含むミルクティーのようにふわんと漂う、ゆるく気だるい雰囲気があるのに、ストーリーは意外と重い。ずっしりと、しっとりと、肩にのしかかり、肌にまとわりついてくる。人の死が絡んだ作品が多い。

というのが当時抱いたイメージだ。当たっているかどうかはわからない。

まだ私には早かったのかもしれない。一見暗い内容に身も心も引きずり込まれそうになってからは、自然と避けるようになった。


『キッチン』。ストーリーも登場人物もなにもかも、うろ覚えだった。読み始める前、私の頭の中にはミルク色をしたワンシーンがぼんやりと浮かんでいた。

ほの暗いキッチンに薄っすらと朝の光がさしこんでいる。そこでは眠そうな目をした少女が冷蔵庫にもたれかかり、か細い身体を震わせて甘い夢を見ている。孤独にうちひしがれながら。

記憶の断片にあるのはその映像だけだった。


15年ぶりに読んだらどんな景色が見えるのだろう。どんな音が聞こえるのだろう。興味本位で、パサパサに乾燥しきったグレーの表紙を開き、みかげと雄一、えり子さんのいる世界に没入した。

この世にひとり取り残されたのではないかと疑ってしまうほど、不思議な静けさに包まれながら。


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やはり人が死んだ。あっさり死んだ。

ひとつは静かな死で、ひとつは激しい死だった。ちがう。やさしい眼差しを思わせる生と、ほとばしるエネルギーに満ちた生だった。

それらは、生を思わせる死であり、死を思わせる生だった。


身寄りがなくなり、たった「ひとり」になった者たちは、寄り添いあい、惹かれあい、慈しみあい、傷を舐めあい、世界の底まで落ちそうになり、ときに離れようとし、消えようとし、食べようとし、立とうとし、生きようとする。

彼らの命は、今にも消え入りそうなマッチの火のようでいて、暖炉でごうごうと燃え盛る炎のようにも見えた。

描かれる世界は一つひとつが美しい。花が、土が、風が、雲が、雨が、闇が、光が。どれも儚く、強く、残酷なほどに息をしている。


読み終えたとき、ああこれは、絶望と希望を描いた話だったんだ、と思った。

真冬のこたつのような家族のハートフルストーリーでもなければ、梅雨のように湿度の高い恋愛ものでもない。雲の向こうのファンタジーでもない。

絶望と希望がギリギリのところでせめぎあう、この世界の話なんだ。人がひとりで生きながら、同時に人のあいだで生きていく、リアルな人間の話なんだ、と。


暗くてぬるい沼底のように感じて遠ざけていた小説は、実は圧倒されるほどに強くまばゆくて、でも、つんとした淋しさのなかにやさしい一筋の光がさしこんでいる、そんな物語だった。

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私は極めて個人的なことを思った。

ほんとうの絶望を知らない人間に、絶望は描けるのだろうか。苦悩は描けるのだろうか。ううん、絶望や苦悩じゃない。ほんとうの希望も歓びも幸せも、この世の美しさも、すべてを包み込むようなやさしさも、ため息が漏れるほどおいしいものも、くらくらするほどにまぶしい光も、描けるのだろうか。そもそも見たことがあるのだろうか、なんて。

ほとんど触れたことがないのだ。この世の汚いものにも醜いものにも、底なしの深い悲しみにも、だれかの死にも。守られて、与えられて、ぬくぬくと生きてきた。人並みの失恋やいくつかの挫折はあれど、苦手なことは数え切れないほどあれど。心から大事な人やモノを失った経験も、血を吐くような苦労をしたこともない。

仕事を続けられなくなったって、だれかとぶつかったって、自分で自分を縛りつける日々に嫌気がさしたって、孤独にさいなまれる日があったって、そんなもん。そんなもんだ。

いいことだ。素晴らしいことだ。

つまらないなんて、口が裂けても言っちゃいけない。

でも。


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読み終えて、キッチンに向かった。意図的でなく、仕方なく。水道の蛇口をひねるとシンクに水がつーっと落ちていった。小皿とスプーンを洗う。食器棚に皿を置くと、ちゃきんという音が響き渡った。

使い終わった紅茶の茶葉が、ティーポットから流れ出て、小川に浮かぶ落ち葉のように銀色のシンクにさらりと広がっていく。広がって、排水口にぐるりと収束していく。ネットにかかった落ち葉を集めてゴミ箱に捨てにいくのは、なんだかすこし、もったいなかった。

私は流し台の前に座り込んだ。突然鳴り始めた冷蔵庫のじーっという音は思いのほか大きくて、耳にじんじん響いて残る。


明日は月曜日だ。ただの月曜日。明日は月曜だからと夫は早く寝た。たぶん私と彼は、同じようでちがう日曜を生きていた。

パリッとしたシャツを着る月曜と、いつものセーターを着る月曜はちがう。

それは、ほかの人や世界や時代との関係においても同じだ。


だから私は想像しなければならないのだと思う。話して、聴いて、読んで、書いて、歩いて、触って、においをかいで。その人と、その人が生きる世界をのぞき、想像し、あわよくば体験するのだ。

洗濯物がぶらさがっている。明日この洋服たちは、太陽のあたたかい光を浴びるのだろうか。あのカーテンの隙間から、白い光はさすのだろうか。


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絶望なんて知らない。希望なんて知らない。

でも、朝、花びらにちょこんとのった水滴のかがやきとか、鍋底の黒いこげ模様とか、いさかいのあとの、心がヒリヒリするような痛みとか、夕暮れ時のチョコレートのほろ苦さとか、だれかといても簡単には埋まらない淋しさとか、泣きっ面をゆるませてくれた明るい色の冗談とか。

大事なあの子の体全体からにじみ出る、宇宙ほどに果てしない孤独とか。

めぐりあってきたものたちを大切に抱きしめて、歩いて、また出会って。そんなふうに毎日のページをめくっていったら、なにが見えるんだろう。

なにも見えないとしても。

愛せるだろうか。

よくわからないけれど。


愛したい。

それだけは、きっとずっと、変わらないんだ。


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