木立4

あなたの人生の物語

特別な友人がいる。「親友」という表現はなんだかしっくりこないので「特別」と言っておきたい。

先日、彼女がとある小説を読んで「死ななくてよかったと思う程度には良い…」と感嘆していた。私は迷いなくその小説を購入し、さっそく読み始めた。

彼女の「死ななくてよかった」は“本物”だ。鬼気迫るものがある。

というのも、彼女は3ヶ月ほど前までICU──集中治療室にいた。

10月の中旬、私は彼女と会う予定だった。ひさしぶりに東京にやってきた別の友人と3人で、懐かしの土地で。しかし彼女が待ち合わせ場所に姿をあらわすことはなかった。私たちは終始、喫茶店の窓際でそわそわしていた。空はどんよりと曇っていた。

LINEのメッセージはずっと未読のままで、電話にも応答がない。友人が過去に手紙を送った住所を訪ねインターホンを押すも、返事はなかった。

実は彼女は、その数日前に倒れて心肺停止の状態になり、以後3週間ものあいだICUにいたという。知ったのは11月頭。容態が安定してきたとわかり、安堵した。

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「死に損なった」

意識が戻ったとき、彼女の胸のうちに芽生えた思いだ。

驚かなかった。出会った頃から、彼女は生への執着や未来への淡い期待、きらりと瞳孔に光る希望といった都会に出てきたばかりの若者の体にいかにもみなぎっていそうな要素がすっぽりと抜け落ちたような雰囲気で、いつのまにか風のようにさっと舞い上がり消えていなくなってしまうのではないかという想像を掻きたてる子だったからだ。

いつも彼女はどこか儚く、なにかを悟っていて、なにかを諦めていて、私には計り知れない、ずんと深い孤独や悲しみを背負っているように見えた。 その儚さや危うさは、彼女の強さであり、魅力でもあった。たとえるなら、しんしんと降る雪を受け止める、冬の木立の細い枝。静かな瞳の奥には、たしかな熱が宿っていた。

そんな子だからだろうか。私は年に数回、ふとした瞬間に彼女を思い出しては、「生きているだろうか」とわずかばかり不安にかられる。と同時に、「いま、どんなことを考えているのだろう」と気になり、会いたくなってしまうのだ。

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彼女には溢れんばかりの知性がある。聡明で、ユーモアもあり、それでいて生まれながらの優しさをたずさえていて、繊細で愚直な人だ。

自身の生い立ちから沸き起こった問いを発端に、何年も研究に打ち込んできた。

彼女は生への執着がないように見えたと先述した。矛盾するようだが、彼女ほど自分の生と真剣に向き合って生きてきた人を私は知らない。

その思慮深さと意志の強さゆえに、彼女は苦しみの根元である家庭環境から物理的に距離を置くことを叶えたが、一方で、その知性と性格ゆえに、心は良くも悪くもずっと同じ場所に向いている、言い換えれば縛りつけられているようでもあった。

私は彼女に興味があった。興味がある。好奇の目からでなく、純粋に、人間として興味がある。なにを考えているのか。なにを見て、なにを読んで、なにを思うのか。頭のなかを、心のなかを、のぞいてみたい。彼女の瞳で世界をじっと見つめてみたい。彼女の脳みそを借りて本をゆっくりと読んでみたい。思考の沼に沈んでみたい。これは昔からずっと変わらない願望だ。

端的に言うと、私は彼女のことがとても好きなのだ。

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『あなたの人生の物語』。

彼女が「死ななくてよかったと思う程度には良い…」と感じた本のタイトルだ。

テッド・チャンの傑作SF短編として名高い作品で、数年前には映画にもなった。

地上にあらわれたエイリアンとのコミュニケーションを担当する言語学者ルイーズが、エイリアンの言葉を理解するにつれ影響を受け、彼女自身の世界の認知方法が変化していくというストーリー。

エイリアンの言葉を解析するシーンと、ルイーズと娘の温かくも胸がキュッと苦しくなる親子エピソードが交互にやってくるのだが、後者は娘の年齢がバラバラで、時系列で並んでいない。でも実はどのエピソードも意図的に配置されており、クライマックスに向かうにつれて伏線がものの見事に回収されていく。

一見地味なSFなのに、ひとりの人生の物語としても、母と子の愛の物語としても、言語やコミュニケーション、人間の意志にまつわる物語としても面白く読め、さらには世界のとらえかたや人生観・死生観までもをぐらぐらと揺るがしかねない、そんな不思議な作品だ。

もし、わたしが主人公だったら。

読み終えたとき、切なさと喜びと胸の震えを抱えながら、つい考え込んでしまった。

友人はとりわけ、構成の美しさに魅せられたという。文体やフレーズではなく、構成に感動する経験は、読書家の彼女でもそう多くはなかったそうだ。

たしかに『あなたの人生の物語』は構成の妙で読者をぐいと作品世界に引き込む。

文章の組み立てそのものが、主人公ルイーズが獲得していく新たな認知方法を体現しており、読者は文字を読むだけで自然と追体験できるのだ。混沌としているかのように見せかけて、あらゆる出来事や感情が結びつき、収斂していく美しさ。それをリアルタイムで味わう臨場感。新感覚の読書体験といってもいい。

そしてこの“美しさ”は、私の大切な友人の「いま」を支えるのだろうと思う。支えていてほしいと思う。

彼女は入院中を振り返ってこう綴った。

たくさんの美しい作品のことを考えた.私を耕してくれたアートを,テクストを,教養を,自由になるための藝術を.(中略)

そしてあふれる考えを美しい外観と感触を持つHHKBで記録に残しておけることの尊さを噛み締めた.何度も読み返すことのできるテクストの偉大さを.

美しいものにたくさん触れてきてよかった.自分の中のその記憶がいまの私を支えてくれている.そう思った.

これを読んだとき、ああ、やっぱり、友達になれてよかったなあ、と思った。

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「苦しくても生きていてほしい」

そんなこと、彼女には言えない。

彼女の目の前には、彼女にしかわからない「いま」があるだけだ。

けれど、少なくとも言えるのは、私は彼女に出会えてよかったと心から思っていて、いま、まさに、押しつけがましくその想いを綴っているということだ。生き延びた彼女が教えてくれた小説を読み、咀嚼するために何度も読み返し、その美しさを私なりに味わい、読む前よりもいくぶんか人生が豊かになった気がするということだ。

彼女の脳内で起こる化学反応、思想や感情の萌芽、彼女という人間を作り上げてきたテクスト、彼女を支えてきたテクスト、そしてテクストへの深い愛。

彼女と話したり、彼女が綴る言葉を読んだり、彼女の好きな本を読んだりするなかで、これらのほんの一欠片を取り入れられる、または取り入れた気になれるのは、私にとって大きな喜びだ。彼女がおすすめするものは私にはちょっと難しくて、唸ってしまうことも多いのだけれど。

幸か不幸か異なる言語に没頭するうちに世界の見えかたまで一変した、ルイーズのようになるのはちょっと怖い。でもだれかの脳内を探る時間は、ぞくぞくする。

『あなたの人生の物語』を読むことを通じて、彼女に会えた。ような気がした。

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現実の世界において、人生は小説のように前もってあらすじやレビューを読めるものでもなければ、一読してから好きな箇所だけ自由に読み返せるものでもない。かんたんに削除したり、修正したりできるものでもない。何度読んでも話の筋が変わらない、不変の存在というわけでもない。

友人の人生の物語も、私の人生の物語も、いまを連続させるうちに、移り変わっていく。時間や行動の積み重ねなど関係なく、突然死にかけることもある。美しく巧みなテクストには仕上がらないことのほうが多い。

わたしが目指しているのは歓喜の極致なのか、それとも苦痛の極致なのか?

ルイーズが呈した疑問について考える。

考えてもよくわからない。どちらでもあって、どちらでもない気がする。

いずれにせよ。美しいものに対峙した瞬間の全身の躍動や、くるおしいほどに愛おしい存在を見守るときの体温、なんでもないひとときに流れる音楽の煌めきは、心に焼きつけていこう、と思った。

死の淵にいるとき、友人がそうしたように思い出せたらいい。

大切な友人へ。

あなたの過去になにがあったとしても、未来になにが待ち構えているとしても、私はただのエゴで、こう言いたいです。


生きていてくれて、よかった。


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