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半信半疑

「半信半疑」という言葉がある。

「信じられるものもあるが、疑わしいものもあり心が決まらない状態」

を指すのだが、

その言葉は、

日本人らしい日本語だと私は思っている。

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最近、よく外国人を見かけるのだが、

英語を母国語としているにも関わらず、

日本語を流暢に話すことができるので感心してしまう。

その人の話し方を聞いていると、

基本的に英語で考えた内容を、

日本語に置き換えた言葉になるわけで、

疑わしいけど真偽が分からない話、

つまり、日本人が使う

「半信半疑」

という内容があると

(I only half believe it.)→「半分だけ信じてる」

とは言わないのではないかと思う。

私は当然、日本語で考えるので

英語の表現は、詳しくはわからないのだが、

英語の言い回しの違いで

考え方のニュアンスが違ってくると思うので

「半分信じて半分疑う」

とは言わないし、そういう思考にたどりつけないと思う。

仮に、疑わしいけど真偽が分からないことを伝えたいのであれば

「100%信じないよ!」

(I can’t believe 100%)

と言うのではないかと思うのだ。

(※詳しく分かる人は教えて欲しい。)

しかし、私達日本人は

「半信半疑」

のニュアンスは理解できるし、

その言葉をよく使う。

「半分信じてるけど半分疑わしい」

なんて、よく考えてみたら、

どっち付かずで

素直に読むと、

意味が分からない言葉なのだが。

私達日本人が

「半信半疑」

を使うときの思考はというと、

・主張する相手の考え方は受け入れているが、何となく疑わしい内容だから

・信じるとは、はっきりと言いきれないから

・その主張が違うとはっきり伝えてしまうと、相手を傷付けてしまうのではないか

・疑わしいけど、信じられる内容も含まれている。または、信じられるけど、疑わしい内容も含まれている。

ということから

その言葉を選ぶのではないかと考える。

だから、

あえてどちらにも付かない

曖昧さを表現するために

「半信半疑」

を使うのではないかと思っている。

さらに拡大解釈をすると、

曖昧なものは

曖昧なものとして伝える

ということが

より正確に伝わるのではないか

と考えるのが、

日本人的考え方の根底があるのではないか。

つまり、

相手のことを想って

ひとまず受け入れて、

曖昧にしながら

その曖昧さそのものを伝えつつ、

自分の主張を

ニュアンスで伝える方法を選ぶのが

日本人なのではないかと思うのだ。

心理を言葉で表現することは、

きわめて難しいのは世界共通なことであろう。

しかし

「半分信じているけど、半分疑ってもいる」

という人間の心理状態を

そのままの言葉で表現するには、

「半信半疑」は、

まさに、

正確に伝えやすい言葉になるのだと私は思う。

だからなのか、

英語で伝えようとしても

伝え方を考えてしまううちに

全く伝わらないで話が終わってしまうので、

いつまでたっても

英語がしゃべれるようにはならないのだ。

きっと、英語ができないのは、

日本語の考え方せいなのだ!

と、勝手に理由をつけてみた。

……のだが、

これもまた「半信半疑」でしかない。

結局のところ、

私が英語がしゃべれない理由を探して

もっともらしく

日本人に当てはめて考えて、

逃げ道を作っているだけなのか。

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作品:「キジ」 金箔・テンペラ・インク/板
きはらごう

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