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気学「System」

みなさんこんにちは。気学Style 西島です。

いよいよ本日は立春です。
大きな自然の流れの中で今日から新しい一年が始まって参ります。
その良き日にこの投稿の日が巡ってきたこと、本当に素晴らしい巡り合わせをいただけたことに感謝です。

今年も一年、いろんな皆様にまたお世話になるかと存じます。
どうぞよろしくお願い申し上げますとともに、改めてまた、このnoteをご覧にいらしてくださった皆様をはじめ、日々お世話になってきた方々に感謝いたしながら、2021年のnoteを開始してゆきたいと想います。

気学の立ち位置

このnoteを書き始めてからいろんなことを考えさせられます。
コロナに導かれての辛の年。
様々なお話をいたしましても現実問題としてコロナ禍にあえぐみなさまも多くいらっしゃいます。

半分趣味的な様々な考察を書かせていただいている文章は別に致しましても、そのほか様々な気づきとともにお伝えしている気学の知恵の部分のお話は机上の話になってしまっていないか、折々振り返ってしまいます。

気流や気勢、つまり運気や運勢の話はそれを目にした時には心の慰めなどになることもあるかもしれません。
ですが、以前のコラムでも書きましたようにこうしたお話は日々の生活の歯車の一つとして組み込まれてこそという部分もございます。

気学や易はその場面場面における心の持ち様を教えてくれます。
そして問題解決のために手当てを行うべきヒントも与えてくれます。
この二つが偏らないように日々の生活の中で生かされてゆくことはとても大事です。

例えば怪我をして血が出ている時に
「気合で我慢しろ」などと心の持ち方だけを伝えられても血は止まりません。絆創膏・消毒薬など当座の止血のツールは必要です。
そして、なぜ怪我をしたのかという部分において、根本となる行動パターンを変えてゆかねばまた怪我をしてしまう危険がございますのでその部分にも手当てが必要です。

気学という立場からは上でいう絆創膏など、その場のツールを提供できる役回りになれることは少ないかもしれません。
例えばコロナの状況では絆創膏は当面のサポートとして持続化給付金などになってくるでしょう。これはどちらかというと政府の提供するツールです。

ですが、残った二つ。
・心の持ち様、考え方
・根本的な行動パターンへの手当て
…は気学や易の得意とするところです。

こうした部分が、より皆様の生活の中で活用されてゆけばと想います。

「システム」

少し話は変わりますが私の前職は「シスステムの人」でした。

システムのプログラムから、ヘルプデスク的なことまでいろいろと経験させていただきましたが、その名残で現在もHPの制作などもさせていただいたりしております。

ヘルプデスクなどしていますと特に思うのですが、「システム」と聞くとそれだけで物事をブラックボックスに入れてしまう方が多い様です。

もちろん、プログラムを組んだり、HPのHTMLを書いたりすることは分野の専門家に任せて仕舞えば良いことですが、例えば普段使うパソコンやソフトの表面上の取り回しなどは冷静になれば意外とできることも多いものです。

ですが、往々にして「システムのもの」となってしまいますとそこで思考が止まってしまう。

かつてそれこそヘルプデスク時代に、

「画面が消えなくなった…」と内線があり、「すわウイルスか!?」と駆け付けましたら、そのウィンドウの「×(閉じる)」ボタンが画面の外に行っていただけだったというお話がありました。

一般的にエクセルでもなんでも、作業ウィンドウの右上もしくは左上にそのウィンドウを閉じる「×」ボタンがあるものですが、作業中画面を動かしたりなどしているうちにそれが画面外に出てしまった様です。

一旦落ち着いて画面の端をつまんでウィンドウを移動させればボタンも画面内に戻ってくるのですが、
「『システム』が何かおかしくなった!」
…とこのケースでは思考停止してしまわれた様です。

これは極端な例ですが、似たようなことで思い当たる節が皆様にもおありかもしれません。
しかし「システム」だからと思考停止せず、すこし考えて推理してみれば意外と簡単に解決することも多いものです。

そのあたりは最近携帯端末が主流になる中で若い世代は得意かもしれませんね。

簡単な原理さえわかって冷静に見つめてみれば、取り扱う部分においては「システム」は台所道具や工具を扱うのとさほど変わりはしないものです。

そして私は気学もこうした「システム」の一つだと考えています。

システマティックな暦

ここで気学的なお話に戻ってみましょう。
厳密には気学のものではなく一般的な話ではあるのですが、こうしたシステム的なものの考え方は暦を見るととてもよくわかります。

ちょうど本日は立春です。
例年と違い、今年は1日早い2月3日が立春ということですこし話題になっております。

この立春をはじめとする各種節気がございます。
季節の節目をまとめて二十四節気などとも言ったり致しますが、こちらは全て計算で求められています。

地球は一年で太陽の周囲を一回りしますが、これを逆に地球中心に考えますと、太陽が地球の周りを一年かけて回ってゆくというふうに見ることができます。これを図にすると下の様になってくるかと思います。

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出典:https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=607671による

図の中にも書いてございますが、
例えば
・「夏至」は地球から太陽を見て真南(90°)になったとき。
・「冬至」は同様に真北(270°)になったとき

…というふうに地球から見て太陽が特定の位置に来たタイミングを節気にあててゆきます。

「立春」は、同様の考え方で、地球から見て太陽が315°になったタイミング(日付)で厳密に「立春」と定義され、以降次の節目までの期間を「立春の期間」と言うものと定義されております。

一年365日という期間の中で太陽が地球から315°の位置に来るタイミングは毎年ほぼ変わりません。
ですが、地球の公転周期は厳密には「365日06時間09分09.765 秒」ですので、年々そのタイミングは少しずつずれてゆき、またその修正計算(閏)などが入ってゆきます。

こうした関係から、今年2021年は「2月3日14:59」が「315°」のタイミングであると算出され、暦がその様に定まったというわけです。

「暦」と聞きますと、なんとなく「昔のもの」っぽく響きます。
ですので、立春をはじめとする節気の割り当ても何か「科学」というよりは「よくわからない風習」的に決められていたりするのではないかと思ってしまいがちですが、実は暦とは非常にシステマティックに決められているものなのです。

気学をお伝えする中で、「気学は天文学である」というふうにいうことがございます。

こうした暦の話もそうですが、気学を考える中にあって地球と太陽の関係を下敷きにした概念がはいっていたりなど、気学の中には結構「宇宙を見る科学的な人の目」が入っております。

気というものは確かによくわからないものです。
ですが昔の人たちはその分一生懸命にその動きの原理をさまざまな形で推理・推測・実験し、体系的にまとめあげてきました。

「暦」の感覚と似て、気学の原理はいまやむしろシステマティックなものに感じられることもございます。
ここまでくると気学も一つの大きな「システム」であると考えて良いのではないかと私は考えております。

気学という「システム」

実際問題として気学で扱う「気」というものは確かに目には見えないものです。
ゆえにどういう理屈で動いているかを機械の蓋を開けて観察するようなことはできません。

ですが、何か起きた現象を基に、そのシステム内部(プログラム構造)への推察・推測は可能です。
上にも書きましたように気学や易といったものはこの推測・推察、およびそこからの実験・体験の集積で成り立っているとも言えるでしょう。

そしてその積み重ねの中で

「気というシステムはブラックボックスではあるけれども、こうすればこう動くという部分も多々わかってきた」

というのが今の気学です。

もちろん詳細なシステム構造が分かってどこをどう押せばどういう結果になるかが明確にわかればそれはそれで楽です。

ですが、実際にシステムを「使う側」としてはプログラムの詳細仕様は把握しておく必要はありません。

使う側にとって必要なのは

「●」というボタンを押したら「○」という結果が出る

という知識に尽きるでしょう。

例えばパソコンに入っているExcelなどの表計算ソフトなどを思い浮かべてみてください。

私たちはソフトに数字を入力して計算することができる、そのプログラムの内部構造を意識することはまずありません。
もっといえば、なぜ数字を入力できるかすらも考えないことでしょう。
もしこそこに関心を持つケースがあるとすれば、強いて言えば、それは何か不具合が起きた時ぐらいなものです。

数字を入力して何かのキーを押すと、計算結果が出てくる
…ユーザーとしてはその「やり方」だけ分かっていれば良いのです。

さらに言うならば、

表計算ソフトで数式の知識が増えるとより高度な計算ができて、グラフを作る用法を知ればきれいなグラフを作ることができるなど、ソフトに熟練するにつれ、できることは増えてゆきます。

気学においても、使い方の知識が増えればより深い洞察ができ、できることも増えて参ります。
(確かに気学の方は未知の領域も残っているということはございますが、現在気学で伝えられていることは経験値的に確度は高いものになっています)

…こうしてみてまいりますと、ユーザー視点において気学と表計算ソフトのシステムはさほど大して変わりはありません。

普段使いのシステムとして

表計算ソフトも気学も、使い方を知れば普段使いのシステムになり得ます。
確かに気学など、その内容はとても大きい部分はございます。
(一方で気学には哲学的な側面もございますので、学美が深まるにつれより人生も豊かになってゆくと想いますから、できれば隅から隅まで知っていただきたいとは想います。)
が、どこまで学ぶかは自分で枠組みを決めることもできます。

表計算ソフトで言えば「集計・平均」の計算式まで分かればよい
…と言うようなことです。

いずれにしても共通して言えますのは、
これらは何も限られた人・選ばれた人だけしか扱えないものではないと言うことです。

もちろん、プログラムそのものをどうこうすると言うのであれば専門家は必要でしょうが、ユーザーとして使う分には、使い方がわかれば誰でも操作しうるものです。

ですので、おわかりいただきたいことは気学は使い手にとって
「何か恐ろしいシステム」
「一般には難解なシステム」
では、基本、ない。ということです。

もちろん、これを使うにあたって覚えることはございます。
ですが、他の、いわゆる占術に比べて九星気学はそうした内容も少なめなのではないかと思います。
そしてこれゆえに私は気学は万人向けのものであると思いますし、そしてこれを万人向けのものにしたいと考えております。

スマホに入っている便利アプリのように、気学に皆が気軽にアクセスできてそれを活用することによって人も自然(宇宙)も豊かになる。

…これは気学を扱う、私の目指すところの一つです。

2021年、辛の年が始まりました。

気学でどう言うことをどう伝えれば気学が
…皆が普段から活用しやすくなるのか?
…皆がより楽になってゆくのか?
…皆が使えるシステムになってゆくのか?

この立春にあって改めてこの原点に立ち返り、
今後の記事を綴ってゆきたいと想います。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。


次回の投稿は2月9日です。


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