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【ワーママ11年目】娘に伝えておきたいこと②~違和感を感じ続けること

2017年、東京大学を会場に行われた尾竹永子さんのリベラルアーツのワークショップに参加した。

細かい内容は端折るけれども、尾竹さんのワークショップで印象的だったのは、自分が実際に体験していないことや目の前にないことを目を閉じて具体的にイメージして触ってみたり、感じてみたりすることで共感から理解へ向かおうとうする再現性の高いアプローチ。

私にとっては身体性に向き合うことで自分と向き合う、社会と向き合うということを実際にやってみる講座だった。課題テキストを読み、議論し、それをカラダで表現する。戦争や福島をテーマにした扱われる課題は、抵抗がある人がいるかもしれない。正直あまり得意ではないしこれまでやってきたかと言えばやったことがないことへの挑戦だった。

以下はその時に提出したレポート。40を超えて週末にクラスに通いながら大学生とこんなレポートを書いていた自分がいつも滑稽に思える。

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前回のワークショップでは林京子さんの幼い日の経験を描いた「黄砂」、少女時代の原爆体験を描いた「祭りの場」を読み、今回は晩年になってからの「トリニティからトリニティへ」、福島の原発事故を被ばく者として経験した日常の思いを描いた「再びルイへ」を読んだ。

(中略)

「共感」とは、「他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること」。

ワークショップの中では耳を傾けたり、目を閉じて感じたりすることで今まで経験したことのない「共感」の方法があることや、「共感」の深度の違いがあることを体験した。

中でも、第2回目の「幼稚園」の課題から、身体の景色を知る、測る、観察する課題への一連の体験は、今まで体験したことのない「共感」の方法だった。

この授業のとき、私は夏休みの祖母のことを思い出していた。夜、遊びつかれた孫たちを寝かせ団扇であおぎながら毎夜原爆の日の体験を話す祖母だ。

目を閉じて団扇で扇ぐイメージの中の祖母の顔を手で測ってみた。祖母に思い馳せて測るとまず心に流れこんできたのは、祖母の愛情で、それを感じて涙が出てきた。

そこから、涙と埃と汗でざらざらの原爆の日の祖母の顔や、二次被ばくして寝込み死ぬ直前の曾祖母の足をさする祖母の手や腕がどんどん感じられ、当時の祖母の怒りや切なさや寂しさや不安が自分の中に流れこんでくるような気がした。

文章や頭の中だけで想像するのは全く別の共感の体験だった。

自分では経験していないことや経験できない体験をしている人や出来事に対して人が態度や姿勢を決めるとき、その根底には「共感」の深度や内容が否応なく関係する。

「戦争」に、「原爆」に、「慰安婦」に「福島」に対して、当事者でない絶対的な多数の人たちが姿勢や立場を決める素地には、その出来事への「共感」や知識の深度や内容がある。

「戦争」と「原爆」「慰安婦」に対して、私は3度態度を変えた経験がある。
最初はごく幼い小学生のころ。「はだしのゲン」や「ガラスのうさぎ」を読み「黄砂」で娼婦と通わせる幼い日の林京子さんのように主人公に共感した。

次は広島で過ごした中高6年間。通っていた学校が広島にあるキリスト教系の学校ということもあり、原爆体験者や慰安婦問題の活動家、ハンセン病での隔離された人々と触れ合う集中講座が年に2回用意されていた。ここでは、カリキュラムの内容もキリスト教教育に基づいた反戦的な方向性のものだったため、私の中にも同じような気持ちが芽生えた。

そのため、役人の父に戦争や原爆や原発についてどう思うのかを問いかけ、怒りをかい「お前は国際関係についてなにもわかっていない」と一蹴されてへこんでしまった。

最後は、結婚して大阪へ赴任したとき。
大阪では関東では想像もできない極端な思想のテレビ番組が上手に面白く作成されていた。「たかじんのそこまで言って委員会」などの番組だ。

これらの番組の中では、多くの場合、「戦争」や「原爆」、「憲法九条改正」に反対をするのは無知であるという文脈が主流で、番組の面白さもありなるほどと思いながら見ているうちに、なんとなく自分でもそんな気持ちになっていた。

私の揺れ幅は非常に大きい。そんな時、福島の事件が起きた。

福島の事件が起きたとき以来、胸の中に澱のようにたまっているのは、高校のとき父に「広島に生まれ役人になっているのに、原子力発電に問題を感じないの! 自衛隊はありだと言うの! お父さんは人間としておかしい!」に言ったときの父の怒りに簡単にしっぽを巻いてしまった自分への情けなさだ。

簡単ではない問題の多くは、反面、答えが明快なものが多い。

戦争はしないほうがいい、少女たちを慰安婦にしてはいけない、原子力発電は解決策が出ていないためだめだ。

それが、立場や歴史を鑑みると明快な答えとは逆の風潮がまかり通ることが多い。また、立場や意見を持たない人は更に多い。

今回のワークショップの中で最も強く感じたのは、この「共感」についての子どもたち向けのプログラムとはどうあるべきなのか。自身の経験の中で子どもたちにどう伝えていくのかだ。

ここで立ち上がってくるのが「『共感』と『行動』」の『行動』だ。

林京子さんが「トリニティ」に行ったように、私は「原爆資料館」や「靖国神社」をやはり子どもと回りたい。それも定期的に回りたいし、自分とは違う場所にいる子どもたちの状況や体験を素直に感じとれる体験を子どもとしていきたい。

問題は、日常に流されて本当に大切なことを伝えないで毎日を積み重ねて10年や20年が過ぎてしまうこと。
「行動」の前にたちはだかる健全な「日常」におしつぶされないうちに、仕組みをスタートさせたい。
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結局、私は3年前に感じたことを行動に起こせていない。
ただ一方で、感じ続けている違和感はふとぶり返して、なんとなくの思いだったものが少し形を見せることもある。もうすぐ何かが見えそうだけれど、見えない今はそんな感覚がある。

最近娘を見ていて思う。
何をつかんで生きていくかはわからないけれど、ママはあまり器用に生きる方法をあなたに伝えられない。

キラキラした夢に最初から決めて進む道もあるけれど、違和感を少しずつ形にしていく生き方もある。原爆の日を迎えると、いつもこのことを思う。

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