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針葉樹 短編


年に何度か同じ夢をみる。
同じ夢と言っても連続放送のドラマやアニメみたいに前回見た夢の続きを見られるわけじゃない。

小学校6年生の僕は知らない学校の校庭にいる。
その校庭はとても広い。
どれくらい広いかと言うと、運動会を同時に二つ開催できるくらい広い。

僕が実際に通っていた学校はそんな広い校舎ではなかった。

その校庭はぐるっと針葉樹の並木に囲まれている、おそらくは学校を作るのに合わせて植樹された木だろう。
その校庭で僕は1人の女の子と話している。
何を話しているかはどの夢もわからないのだが、一つわかるのが彼女はとても悲しそうに笑っている。
夢の中で僕は転校するのだろうか、それとも中学校が別々なのだろうか、彼女はとても悲しそうに笑う。まるで最後の別れを涙で迎えてはいけないと思うかのように笑う

彼女が何か振り絞るように僕に何かを告げた時に夢が覚める。
その一言をもう何年も聞けないままだ。

僕は今食品関係の営業をしているサラリーマンだ。
正直今の現状に満足しているかも言われると辛いところではある。
昔から1人で黙々と何かをするのが好きだった僕にとって、色々なところを周り初めての人と話すのは苦痛だ。
人と話す時に作り笑顔をする自分も嫌いでならない。

僕の下手な話を聞く時の相手の苦笑いを見るたびになぜか僕はあの夢を思い出す。
学生時代の恋愛なんて、大学生になってからだから小学校の頃の好きな子が彼女と重なることなんてないはずなのになぜかいつもあの少女を思い出す。

5月15日今でも覚えている。
営業先でミスをした僕は菓子折りを持って謝りに行った。
もちろんミスをした僕が悪いのだが、心無い言葉をたくさん受けた。
謝罪が終わり会社に帰ろうとした時、僕の中の張り詰めた糸が切れた音がした。

その日は会社に戻り謝罪の結果を報告する予定だったのだが、僕は会社に戻らず、車を走らせを始めた。
憂鬱だった。会社に着いた後の上司の顔、同僚の気の毒そうに僕を見つめる視線、心に刺さった言葉の数々、すべてが僕にとって憂鬱で死にたくなる。

またあの夢を思い出した。

何時間走っただろう。夕方になり、会社からは何度も呼び出しの電話が来ているが、携帯の電源を落とし知らないふりをした。

車を走らせていると知らない住宅街に着いた。見たこともない定食屋さんや個人経営の酒屋さんどれも知らない流れる景色に少しリラックスした頃
なぜか見慣れた針葉樹の並木が見えた。

「あ」

思わず声が漏れる
このまま進むと校舎が見える。その予想は当たりグレーの学校の校舎が見えた。
思わず僕は車を止めその学校の門に近づく

【〇〇市立〇〇小学校】

聞いたこともない学校の名前、何度も見る夢を前世の記憶ではないかと考えたこともあったが、真
新しい校舎を見るとその考えも違うことがわかった。

「何か御用ですか?」

不意にかけられた声に思わず体が驚く。
70代ぐらいの白髪の老人が僕の目の前にいた。おそらくはこの学校の校長先生が非常勤の先生だろうか。柔らかい笑顔をした老人は白いワイシャツにクリーム色のセーター、グレーのズボン。落ち着いた雰囲気を出している。この人が僕に対して敵意がないことが伝わるくらいだ。

冷静に考えると僕は今不審者だ。
校門から学校を覗く僕は、車の中で泣き腫らした目、かき乱した髪の毛、乱れたスーツを着ている。営業中のサラリーマンというよりは頭のおかしくなったまるで犯罪者予備軍だ。
ましてや夢の中でこの学校を見たなんて話した日には、そのまま警察を呼ばれてもおかしくない。

「あ、いえ」

しどろもどろになる僕に老人は優しく声をかける。

「生徒は午前授業でもういませんし、少し中で休まれていきますか?」

中に入れるなんて思ってもいなかった。学校なんてセキュリティ上、部外者が中に入るなんて絶対にいけないし、ましてや招き入れるなんてもってのほかだ。
老人は続けて言った。

「何かあったのはわかります。それを話したくないのもわかります。そして学校に関係のない人間が入るのがダメと思うのもわかりますが、少し休む場所が必要な感じがしますよ。」

あまりにも図星で、僕はその言葉を聞いてまた少し泣いてしまった。
泣いている僕を横目にに老人は校門を開けた。

当たり前なのだが、学校の敷地に入ると僕にとっては全てが初めて見る光景だった。
たくさん並ぶ靴箱や大会優勝のトロフィーが飾られたショーケース、卒業生が寄贈した大きな姿見。全てが見慣れない。
老人に聞くとこの学校は数年前に改築されて新校舎になったらしい。
仮に前世の記憶があったとしてもわからないのは当然だった。

職員室の横の応接間に通され老人が出したお茶を飲む。温かいお茶は少し僕の心の緊張を溶かしてくれたが、今度は校庭に行ってみたいという欲求が出てきた。

ふと窓の外を見る。
僕がいる応接室と横の職員室からは子供たちが遊ぶ様子がわかるように校庭が見えるように窓が並んでいる。

子供の自分からは大きく見えたのだろうか。
住宅街の中にある学校の校庭は僕の想像の何倍も小さかった。
僕は意を決して老人に言った。

「良ければ校庭に出てみてもいいですか?」

僕が落ち着きを取り戻したことに少し安心した様子の老人は、このお願いを断ることなく受け入れてくれた。
老人は何かを察してくれたのか、校庭の真ん中に向かう時にそばにおらず、応接室の窓の近くから僕を見ていた。

校庭に立つ。あの夢で見た同じ景色だ。校庭の大きさは何分の1だが、小学校6年生の僕と比べると身長が高くはなっているため目線は高いが、あの時と同じ景色だ。

彼女は何を伝えてくれたんだろう。
僕にはわからない。
ただ一つ確かなのは、彼女は目の前にいないということだ。
あの夢を見た時と同じ懐かしさと寂しさ、そして居心地の良さを感じる。
僕が彼女のようにここに立ち悲しく笑う時何を言うだろうか。
思わず考えた言葉が口からこぼれる。

僕は老人にお礼を言った。
老人は僕がなぜ校庭に行きたかったのか、なぜ僕が犯罪者予備軍のような姿をしていたのかを聞かなかった。ただ一言「気をつけて」と笑顔で言ってくれた。

日が沈み、車の中で会社に電話をかけた。
怒られることを覚悟していたが、なぜか憂鬱ではなかった。
部長が電話に出る。とても心配した様子だった。
僕は今日あったことを話した。
心無い言葉に傷ついた事。そこから会社に戻ることが憂鬱だった事を全て話した。

部長は少し笑いながら、自分も同じ事をしたことがあることを話してくれた。
どうやら同僚が帰った後も心配で1人会社にいてくれたらしい。
明日仕事を休むかと聞かれ、明日起きてから決めたいという旨を伝えた。
僕のわがままを部長は笑いながら承諾してくれた。

車だけは明日返して欲しいとこの事だったので、自宅に社用車で帰り部屋のベットに寝転がる。

年に何度か見る見た夢を見た。

実際に見た校庭の広さは夢に反映されていなかったが今日見た景色と同じだ。
一つ違うのは目の前に彼女がいる事だ。

彼女は変わらず悲しそうに笑う。
何度も見る夢と同じ内容だ。

ああこの後彼女は何か僕に告げ、僕は夢から覚める。
彼女は笑いながら言う。

「ありがとう」

今日見た夢は何度も見た夢と違う夢だ。
目が覚めると朝だった。
朝6時半。習慣とは怖いものだ、どうやらスーツのままねてしまっていたらしい。
車を返すために会社に行く準備をする。
いや、正確には今日も働くために準備をする。

なんとなくもうあの夢は見られない気がした。
ただ、なぜか寂しい気持ちはない。
あの校庭で僕は彼女と違う言葉を考えていた。

「さようなら」

夢は別れの場面だから、もう2度と会えない事を告げる言葉にはピッタリだと考えていた。
別れの言葉の代わりに彼女は僕になぜ感謝の言葉をくれたのだろうか。
その答えはもうわからないし、知りたいとも思わない。
ただ僕は今までよりも今とこれからに向かい合える気がした。
空いた窓から心地よい風が吹く。

「ありがとう」

僕はそう言いながら風を受け、微笑みながら窓を閉めた。

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