ネットでは今、戦争と同じことをやっているのかもしれない
働き方改革が進められる今。みなさんの働き方には、何か変化が起こっているでしょうか? そもそも、どんなふうに改革されれば、みなさんはもっと豊かな働き方ができると思いますか?
このコーナーでは、「働き方」に関するさまざまな話題を取り上げて、「幸せな働き方って何だろう?」ということを考えていきたいと思っています。
■知らない人、考えの違う人になら、何をしてもいいの?
今年も終戦記念日が終わりました。みなさん、戦争と平和についてさまざまに思いを巡らせたかと思います。
ここ数年この時期に思うのは、今の日本は戦争がなく平和な時代ではありますが、私たちの心のあり方は果たして平和なのか、あるいは平和であろうということに意識を向けているかということです。
ちょっと働き方というテーマから外れるかなと思いましたが、働き方の問題をどういう方法で考えていくかということにもかかわるので、今回はこのお題で書いていきます。
令和に入ってから、川崎殺傷事件、京都の放火事件など多数の被害者を出した事件、吉本興業やあいちトリエンナーレなどの騒動がメディアで大きく取り上げられてきています。これらが報道される度に、ネット上ではさまざまな議論が巻き起こり、そして誰かの発言に対してとげとげしい言葉を投げかけたり、またそれに対してさらに険のある言葉が返されたりして、ギスギスした空気が蔓延していきます。
戦争では、互いにまったく知らない相手を殺し合うということが行われます。今、インターネット上で起こっているギスギスしたやりとりというのも、それとよく似ているように感じます。話題に取り上げられる事件そのものにも、今の社会の空気が背景として存在しているようにも感じます。
知らない人だから、会ったこともないし今後会うこともないだろうから、相手に何を言っても何をやっても、自分の人生にその言動がそれほど大きな影響を及ぼすことはない。それよりも、自分の信条や意見をより多くの人に認めてもらうことのほうが大切だし、認めてくれない人に対して不快感や憎しみを覚える。国がそれぞれの都合を押し通そうとして、相手国の人々がどのような感情をもとうと力で押し込め、命まで奪う、そういう戦争の形と、ネット上でのマウントの取り合いは、似ていると思いませんか?
ネット上だけでなく、脅迫状を送りつける、暴力的なやり方で抗議するといった人々の過激な行動が、ここ数カ月だけでもいくつか報道されるに至っています。それに対して「よくやった」という声さえ見かけます。
本当にそれでいいんでしょうか。
■働き方についての議論でも同じです
このように、見ず知らずの人を傷つけたり、言葉という力を使って相手の主張をねじ伏せたりということが「やってもいいこと」だと知らず知らずのうちに認識してしまうと、私たちの社会はますます生きづらいものになっていってしまいます。
働き方についても、正規・非正規雇用の格差、最低賃金、労働時間や環境、出産育児との両立など、さまざまなことが議論されてきましたが、なぜかネット上での議論を見ると、議論ではなく「戦い」になっていることが多々見られます。
これまでの制度や大多数の価値観によって理不尽に虐げられてきた人が、声を上げやすくなった点はよいと思いますが、その声の上げ方を見ていても、誰かを「バカ」「古くさい」「頭が悪い」といった言葉で攻撃するような言葉がとても多く、げんなりしてしまいます。被害者であることにフォーカスしすぎるあまり、相手を必要以上に悪者扱いするような言葉の使い方にも、なんだかなぁと思ってしまいます。
誰もが幸せに働ける世の中をつくるには、それまでのシステムや価値観でやってきた人を攻撃・非難するのではなく、そういう人たちにも「確かに今は変えたほうがいいよね」と納得してもらえるように、丁寧に言葉を尽くす必要があると思います。その相手がどれほど権力をもっていたとしても、どれほど鼻持ちならないと感じたとしても、汚い言葉でののしってしまったら、納得してもらうところには至りません。
そもそも、旧来の働き方で権力やお金を得てきた人たちというのも、その人たちなりに時代のシステムの中で苦労を抱えたり、努力をしたりして生きてきたわけで、それらをいきなり否定されたら不安や不満、恐怖を感じてしまい、対立はより深まるばかりです。
■立場が違うからこそ「攻撃しない」ことを考えたい
何か物事を変えたいときには、特にその物事が大きなものであればあるほど、戦争のようになってはいけないと思います。互いに何人かの死者を出し合い、最終的に強い武器を持っていた人が勝ったり、人数の多いほうが勝ったりするという物事の変え方は、豊かな知恵と感情を身につけてきた人間にしては、おそまつです。
私たちはつい、自分と違う考え方や立ち位置の人たちに対して、ほのかに敵意を感じてしまったり、理解を拒んだり、警戒してしまったりする生き物ではあります。正規労働者と非正規労働者の間にも、働く男性と女性の間にも、20代の若手社員と50〜60代のベテラン社員の間にも、民間の会社員と公務員の間にも、雇う側と雇われる側の間にも、壁は多かれ少なかれ存在しています。
でも、そこで「だからアッチは頭が固いんだ」「ソッチがそういう目に遭うのは自業自得だ」「アイツは世の中をわかってない」というようなスタンスで言葉を吐き出してしまうと、その壁はより強固なものになって、あとは力尽くで壊して、力のあったほうが壁の向こう側を占領するしかなくなります。戦争がやっていることと同じです。
戦争を経験した国では、戦争を起こさないためにはどのようなことが必要かという知恵が、積み重なってきているはずです。その知恵が私たちのものの考え方やふるまいに活かされているかどうか、終戦の日に思いを馳せて、考えてみるのもよいのではないでしょうか。
今回は少し概念的な話になってしまいましたが、この時期ということで書いてみました。
大西桃子
1980年生まれ。出版社2社、電子出版社1社の勤務を経て、2012年よりフリーのライター・編集者として活動。2014年より経済的に困難を抱える中学生を対象にした「無料塾」を立ち上げ、運営。
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