お題「部活」

今回は部活のお話。

ついこの間の4月1日から自分は新社会人になり、学生を終えた。部活というテーマということで、自分が感じた学生時代、最も大きなビッグイベント、青春、部活に対する想いを書けたらと思う。バスケ経験者ではない人にはよくわからないことを書いてしまうかもしれないがそのときは申し訳ございません。なるべく誰にでもわかりやすいように善処します。

まず部活動は中学生になったらほとんどの人は入ると思う。その中で運動部と文化部があって小学生のときからなんとなくこの部活に入りたいって思いを持ちながら入学する。もちろん、入ってから考える人も少なくないだろう。自分は小学生のときにバスケを始めていたため、そのまま中学でもバスケ部に入った。なんでバスケなのかというのは一つ前の投稿の自己紹介で軽く触れてるから、それも見てくれるとありがたい。今考えると、小学生のときにバスケと出会ってなかったら自分は何部に所属していたのか全く検討もつかないし、もしかしたら入ってないかもしれない(絶対に何かの部活には入っていないといけない規則だったから何かには入っていたと思う)。

最初に部活動見学をするところから始まり、入学式や授業以外で初めて体育館に入った。それは当然かもしれないがあの感じは今でも覚えている。まず第一印象は「人が多い!」だった。こんなにバスケ部人気なのかって思うくらいには体験入部でいた人数は多かった。対して広くない体育館でこの人数が入ったら邪魔だし、練習の流れも悪くなるし、なんならスタメンに入らないのではないかと焦りも出た。絶対この中に経験者いるだろって。自分はバスケをするのが当時は凄く楽しみを感じていたし、なんなら存在意義はスタメンになることだとも思っていたから少しやる気が出た。小学生のときにバスケをやっていたチームの先輩が1人いて、その先輩が言いふらしたのか他の知らない先輩にやけに注目された。部活漫画やアニメによくある期待の新人みたいな感じだったなと今思えばそのノリだった。でも、自分の他にその時一緒にチームでやってた友達もいてその子と一緒に注目された。

そして実際に軽くバスケの練習メニューに参加させてもらい、一つ一つこなしていたら早い段階で気づいた。「あれ?経験者が多いどころか初心者ばかりだ」と。その後も何日か続いて実際に本入部したのは15人くらいだった。それでも多い方だったけどほとんどが初心者だった。別にこの中学は強豪と言うわけでもないし、近くに強い中学もあったから多分他の小学生のときの経験者はそっちに行ったんだなってかなり残念だった。やっぱり経験者とそうでないとでは動きは違った。ドリブルで抜くことは簡単だったが、シュートは小学生の時とゴールの高さやボールの大きさが違うから慣れなかった。細身で身長もないし筋肉も他の人と比べてなかったからそこまでだし、そう上手くはいかなかった。それでも周りの同学年や先輩や顧問からはそれなりに注目を浴びた。少し気分は良くなっていたが、物足りなかった。

顧問の先生もバスケ経験者ではなく、先生になって一年目の若手の先生だった。たしか当時22、3と言っていたから今の自分の年齢で既に先生になってるって考えると凄いことだなってこの年齢になって考えさせられる。それは置いとくとして、その顧問の先生からドリブルをついて抜くことを禁止された。他の部員の練習にならないからと言われ、渋々言うことを聞いた。そうしているうちに3年生の引退試合が終わり、新しい代になった。3ヶ月も経てば初心者だった人も基礎はできるようになっていた。周りが上達しているのを見て上から目線だと思われるかもしれないが、人が成長していく姿を見て嬉しかった。このとき自分のスキルが停滞していることはその時は全く気づいていなかった。

入部して半年経ち、一年生の自分たちも相手の一年生と試合をさせてもらえる機会も増えていた。そのときには誰の上達が早いとか、運動能力があるのかというのも段々把握でき、顧問の先生も誰を試合に出すかというのも分かってきたらしい。その練習試合にはスタメンとして試合に出させてもらい、なんなら全部の試合に参加させてくれた。そのときはそれで満足していたが、役半年間、自分は練習でシュートやドリブルをさせてもらえなかったためかなりの衰えがそのときに感じた。それでも行くときは行かないといけないからそういったプレイをするが、その度に顧問に怒られた。いよいよ嫌になって自分からシュートを打つことやドリブルをして相手を抜くことはしなくなった。

その年の冬に1年生大会という大きなイベントがあり、そこでもスタメンとして出させてもらったが、動きが完全に人任せなプレイになり、自分で行くことはなかった。結果は初戦で負けたが、まぁ一年生だし自分たちの代になったらもっと頑張ろうと思い、少し適当な気持ちを抱いた。その後は冬のウィルスで体調を崩した先輩や同年代が多く、人数が少なくなり、自分は先輩と一緒に試合に出させてもらえたりした。そのときはついて行くのがやっとで楽しかった。

それからなぁなぁにバスケと向き合っていたら2年生になった。後輩も15人くらい入ってきてまた多いなと思った。上の代も10人いて、自分たちで15人、そこからさらに15人入ったら、隣でバレー部が練習をしていた場合、ハーフコートしか使えないからものすごく圧迫されるなと思った。そのときも期待の新人が数人いて自分もそんなふうに見られてたんだなと見る側になってワクワクした。そして月日は流れ、3年生は引退した。仲良かった先輩がほとんどだったから少し寂しかった。

そして自分たちの代になった。これからはもっと磨かないとと思っていたが自分のスキルはその頃には周りの人と差がついていた。ドリブルもシュートも周りはうまいし、かろうじて周りの人より体力はあったから、それで今のスタメンには保てていたと思う。そしてある時、今まで縛りプレイのようなものをしていたせいかその癖が体に染みついて即座に味方にパスを出したら顧問の先生に本気で怒られた。「自分で行け」と。自分で行かないとスタメンから外すぞと脅されてあのときは自分が好きだったバスケが少し嫌いになった。自分たちの代になったからか、顧問の先生も自分と同じに中学に入ったから先輩がいなくなったことにより何かが外れて本性が現れたようだった。かなり暴力的かつ横暴だったと。その時から顧問の先生に苦手意識を覚えたが、仕方ないと思って受け入れた。こう書くと変なイメージになるかもしれないが普段は優しく、部活の時だけ感情的になりやすい人だったからそこは弁えてるのだなと感じていた。今思うとありがたい。でも、周りの同学年とはやってる年数は違うため、勘やそういうのは本能的にわかっていた。ドリブルやシュートはみんなより劣っていたけど、パスを出すことならできると。なんか某バスケ漫画みたいな感じに聞こえるがあそこまで凄くはないため飛躍しすぎと思わないでほしい。あと、シュートも合間の練習で磨いているため遠くからのシュートは並には入れられた。でも、ドリブルで人を抜くのは一番苦手だった。そんなこんなでスタメンというものを何気なく死守できていたためバスケで病むことはなかった。むしろ学校生活の中で部活が一番楽しかったと言えるほどでもある。練習はキツイし、先生からの指導は理不尽だしって思って気が滅入るときもあったけど、バスケをすることと、チームのみんなに恵まれ、仲良くできていたから部活は学校生活で本当に生きがいみたいなものだった。普段の学校生活はそのとき自分は冷めてたし、クラスの友人は学年ごとで何人かいたけどその人たちと話してワイワイしてるだけであまり楽しくはなかった。なんなら勉強が本気で嫌いだったため授業は苦痛だった。そんな中での癒しは部活だったから本当にやっててよかったと今は思う。2年はそんな感じで自分にやれることも見つけつつ3年生と最後の試合をやってお別れ会をしたときはすごく寂しかった。そして自分が最高学年になった。

3年生になってまた新一年生が入った。その代は5人くらいしかいなかったため急に少なくなって物足りないなって感じたが、全員経験者だったためそれを飛び越えてワクワクした。引退する最後の試合がどんどん近づくに連れてやる気はみなぎったが終わりが見えてて部活終わりは毎回寂しい気持ちになった。自分たちのチームは強豪というわけでもないし、公式大会でも結果は出せず、練習試合でも負けっぱなしだったから多分最後の大会も初戦で負けて引退するんだなって密かに思っていた。そこから最後の試合が始まるまでただひたすらに練習した。
 そして最後の大会になり、色々感情は昂って精一杯試合をした結果としては二回戦負けで終わったが、一回戦勝てただけでも正直嬉しかった。でも凄く悔しかったしこれで部活を引退すると考えたら更に気が滅入った。部活が学校生活で一番の楽しみで、自分が一番羽を伸ばせる環境と空間だったのにそれがなくなったあとは地獄のような学校生活だった。クラスでいじめられるとかはなかったが、自分が冷め切っていたせいか話せる友達はいても楽しいと感じなかった。席はその時期から自由に決められたため自分はクラスの人気グループと真逆の席の一番後ろを陣取った。隣の席は女子とくっ付いて席が並ぶ形になっていたが、その席だけ隣に机と椅子はあるが誰も座らない席になっていた。そこは特別支援組の女の子の固定席だったため普段一緒に授業を受けることはなかった。つまり、隣に女子はいないため、他の男子はそのポジションは誰も取りたがらないから席替えをするたびにその席を選んだ。クラスの人たちはなんて思ったか知らないが、多分なにも思ってないから気にしなかった。そうして受験シーズンに入り、嫌いな勉強と向き合ったが結果はもちろん底辺だった。多分22年生きていて一番病み(闇)を抱えていた時期だったと思う。その頃は逃避なのかわからないがアニメや漫画により一層没頭していた。

そして受験の日。自分は小学生の時からの友人と同じ公立高校に受験したが自分だけ落ちていた。あのときは勉強できないししょうがないと思っていたが、一緒に受けた友人と一緒の喜びを分かち合えなかったのが今では悔やまれる。そしてその高校に入学したらまたバスケをやろうと思っていた。小学生の時のチームメイトと偶然受験会場で出会い、合格したらバスケ部に入ろうって話もしたのにそれもできなかった。
 こうして自分の中のバスケ人生は終わった。

別の私立の高校に入学したがそこはバスケの強豪校だったし、スポーツ科と普通科と分かれており、自分は普通科だったためバスケ部に入ることはできなかった。また新しい部活を見つけてそこで新しいことをやろうという気にはなれなかった。受験に落ちたこともだし、バスケはできないし、気持ちも病んでいたから結局パソコン部という全く活動のない文化部に入った。高校では友達や勉強もうまくいっていたため高校生活はすごく楽しかった。そのかわり、部活動はからっきしだった。ここで活発な部活に入っていれば更に高校生活が楽しめたかなと今振り返れば思うけど、特に後悔はしてない。

こんな感じで長々と文を書いたが、ここまで付き合ってくれる方がいましたら本当にありがとうございます。なんとなく初めてみたらこんなに時間もかかり、見ず知らずのよくありがちな学生生活の内容を読んでくれていたらと思うと、その人はきっと優しい人なんだなって思い感謝しきれません。この「部活動」というお題で自分を振り返らせていただきましたが、つまり何が言いたいかと言うと

部活は楽しんだもの勝ち


ということです。運動部も文化部もどちらも経験したし、さらにかなりの高低差のある活動内容を中学、高校という6年間でいろんなことを感じました。自分はバスケをして中学時代を華やかに過ごしましたが、もっと考えてバスケを見つめればもっと上達できたのではないかというのも今は思うし、それをモチベーションに勉強だってできたかもしれません。そしたら高校でまた新スタートすることだってできます。だからと言って文化部ではダメなのかというとそうではありません。文化部だって活発なところもたくさんあるし、活動が少ないところでもバイトをしたり勉強をしたり友達とバカやったりと別のところで時間を費やすことができます。天秤になると思いますが、部活動は間違いなくいい思い出が作れます。今でも当時の部活仲間と、ああだったこうだったと、話して思い出話に花を咲かせることができます。今はコロナウィルスで最後の大会が中止になって不完全燃焼な方はたくさんいると思います。自分にはそういった経験はこの先一生できません。また、その人の気持ちになることも難しいです。なので、どんな言葉をかけれるかというのは全く思いつきませんが、間違いなく同窓会で会ったときや、何年後かであのときはこうだったと語りあえたら今は悔しくても、その瞬間はきっと楽しいです。一番つまらないのはそれすらもない人です。自分もなにか特別に頑張ったこととかは少ないですが、そういう語り合える友人がいることはとっても素敵だなって思います。部活動をやることは正義!とまでは自分も引きもこもり気質だし、そこまでは言いませんがもし部活動で悩んでる人がいたら一回考えてみるのもいいと思います。ちなみに自分は大学の卒業式がなくなって今社会人になって自粛しているけど、学生気分が離れません。よくない社会人ですね。多分、同じように高校で最後の大会が中止になってそのまま大学や就職で進路を迎えていると思われますが、それでもその3年間は無駄ではないって思っているはずです。もし、これを読んでくれている学生さんや卒業生がいましたら文に書いてみるといいかもしれませんね。きっと友達と話さなくても感極まると思いますよ。こうして振り返って、やっぱりバスケをやってて良かったし、出会って良かったと思います。嫌な思い出もあるけど、このくらい年月が経つともはやいい思い出です。バスケを辞めて10年くらい経つけど、当時の自分が10年後にこんな恥ずかしいような内容の長文を書いてるなんて想像できないでしょうね。それも、当時の自分がそうしてくれていたからこうして文にすることができました。当時の仲間も当然ですが、ある意味自分に感謝かもしれませんね。

さて、自分がなにを書きたかったのか、なんだか途中で迷走して脱線しまくりだと思いますが、もう一度言うと、ここまで読んでくれた人は本当にありがとうございます。こんな長文、しかも誰かに向けてになるなんて、書き初めは思ってもいませんでした。せっかく書いたし、消すのももったいないのでこのまま投稿したいと思います。嫌な気持ちにさせてしまった人がいましたらごめんなさい。ここまで読んでくれてるかはわかりませんが…(謝罪が届かなくて焦ったいです)

ありがとうございました。お疲れ様でした。

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