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自分が知らないYOUTUBERの謝罪動画を見る

今回は僕が最近見つけた気持ちが軽くなるライフハック「自分が知らないYOUTUBERの謝罪動画を見る」について今回皆様に話していきたいと思います。

これだけ書くとすごく悪趣味な、他人の不幸を見てニヤリと笑ってコーラを飲み、自分はぬくぬくとした部屋の中でシコっているといった様な印象を受けるかもしれませんが、そういう意味ではなく「辛い時は宇宙規模で考えたら自分の存在などちっぽけに見える」というやつのかなりミクロ版のやつで、それでいて僕にとっては宇宙より気持ちが軽くなる方法なのです。

だいたい「宇宙規模で考えたら自分はちっぽけだ。なので自分が抱えている問題もちっぽけなものにすぎない」というのは僕はあまりしっくりきません。確かに宇宙の事を考えている時は気持ちは大きくなり、何となく視野が広まる気がしますが、それでいても困っているのはやはり自分自身で、一度意識を宇宙に飛ばしても、意識を少しづつ戻してきて地球、僕の場合は日本、東京、練馬区、練馬区の中にある男5人で3LDKに住んでいる不潔な家、その家の一部屋の中にいる自分、とどんどんフォーカスしていくと「夜勤を入れすぎてしんどい」「バイト先の社員さんに怒られた」「あの人に変な発言をしてしまったのじゃないか」「サミットに水を汲みに行きたいが、それより先に寝てしまいたい」などといった矮小な問題がぎっしり詰まった自分の体が見えてきます。そうなるともうまたまったく宇宙とかはどうでもよくなり、宇宙は宇宙だけど宇宙に俺の何がわかるというような気分になってしまいます。

さらにこれが先ほどあげたような内容ではなく、もっと切実に自身が「炎上」しているような場合(炎上というとネットの中だけのようなイメージになりますが、ネットだけではなくて現実の人間関係のトラブルも広さは違えど「炎上」の状態と同じだと思います)にはもうまったくもって意味を成しません。宇宙がたとえどうなっていようと、現実の自分が「炎上」しているのですからもう全然関係ないのです。

僕自身も本当に軽くネットで小火が起こった事はあるのですが、それ以外にもどちらかというと現実世界の「炎上」のほうが多かった気がします。中学生時代に”面白いと思って”クラスメイトの美人の吹奏楽部の女子に「帰ったら近奈良(近鉄奈良駅の事)の行基さんの前で待ち合わせな」や「次の日曜どこいく?」など付き合っている体で声をかけるというボケにハマっていた時期があり、自分としては太った白い僕が美人のクラスメイトにそんな声をかけるという冗談のつもりだったのですが、彼女からするとかなり辱めを受ける状態だったようで、ある日いきなり顔を真っ赤にして目を潤ませながら「こんなやつと私が付き合う訳ないやんか!!」と絶叫されてしまい、それまで笑っていた女子も男子も一斉にその子の味方、一瞬にして四面楚歌状態になってしまった事から始まり、高校、さらに専門、さらに最近と人間関係の「炎上」は大小問わず起こってきました。

しかしこんなこと僕に限った話ではないと思います。それこそ全員、なんらかの「炎上」は抱えているはずなのです。彼女と喧嘩した、彼氏と喧嘩した、親と口喧嘩に、なども立派な炎上です。こういう時、自分のしんどさなので僕たちははかなり深刻に受け止めてしまうと思います。しかしそれは自分の事だから当たり前で、自分が死んだら何もなくなるのだからその自分の問題は深刻に考えるのが当然、なのですが、もしかしたら、そこまでではない問題も深く考えすぎてしまうといった場合もないではないのかもしれない。しかししかしと言いますが、これもしかし、考えること自体は良くて、その先、こんなに苦しいのは自分だけではないか、そういうゾーンに進んでしまった時、ちょっと待ってほしいのです。ここで、皆で一緒に「自分の知らないYOUTUBERが上げている謝罪動画」を見てみましょう。これがすごくいい。おすすめは登録者数何万人~何十万人単位の人を見ることです。まず何万人~何十万人もの人が存在を認知している人を自分が全く知らないということで、いやおうなしに世間の広さを痛感させられます。何十万人が知っていて自分が知らない人、めちゃめちゃいます。どうしたって普通にしていると自分の興味のある範囲の情報しか入ってこないので、そんな人がいるというのは当然なのですが、ここですでに少しふわっとなる。

そして次にその人の謝罪動画です。謝罪動画というのは、ほぼほぼ「何かネガティブな出来事が起こる→謝罪、もしくは弁明のための動画を撮る」という流れで生まれるため、当然ですが初見だとまったく意味がわかりません。中には本当に法律的に悪いことをしてしまって、謝罪している動画もあるのかもしれませんが、そこまでいくと「謝罪動画」レベルでは落ち着かない話なので、だいたいが何となくのモラルや、外から見てもわからないが、その輪の中では無視できない揉め事についての謝罪動画がほとんどに感じます。

それがいいのです。逆の立場になると、自分だってそうするかもしれませんが、なんせまったく知らない人の知らない揉め事の話なので、見ている内に(こんなに謝らなくてもいいのに)という気持ちになります。そしてその次に、全員が全員自分の問題にめいっぱい向き合っているんだな、という当たり前の現実に体が包まれる感覚を覚えます。

当然ですが、一人一人が生きていて、色々な問題を抱えているのです。どんなに登録者数のいるYOUTUBERでも、それは僕たちと同じです。個人の悩みはどんなサイズであろうと、抱えている当事者でないとその違和感や重さはわかりません。それを意識を宇宙に飛ばして麻痺させるのではなく、横を見て、あの人も自分の問題と戦っているんだという姿を見る。全員、過去現在未来を含めると、大きなものから外から見たら大したことないように見えるものまで様々なサイズの問題を抱えて生きている、ということは自分のこれも、もしかしたら特別他人より重いものではないのかもしれない、という感覚を持ちながら、自分の問題と慎重に向き合うのが、良いのではないかと思うのです。

これが知らないYOUTUBERがいいのは、有名人とかだとテレビなどで見て何らかのイメージがついていてしまったりする事が多いのでフラットに見れないからです。画面や作品で見ているだけなのに、知っている人に対する怒り方や失望に近くなってしまうのは、怖い部分ですね。

僕は、失恋をしたら失恋ソングを聞くように、何か「炎上」してしまったら自分の知らないYOUTUBERの謝罪動画を観て「こういう時ってしんどいよね」と共感できる文化が根付くのを心の底の底の底から祈っております。

ここまで、読んでいただき、ありがとうございました!!!!!!!!!!

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