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暴力は許されるのか

先日のアカデミー賞の授賞式で、ウィル・スミスがクリス・ロックを平手打ちしたことは、みなさんご存じだと思う。

この出来事から、「暴力」について考えた方も多かっただろう。

簡単に言えば、暴力は許されるのか?許されるとすればその条件はなにか?という問いだ。

そしてネットのニュースや情報などでは、日本と欧米などでは、この問いに対する考え方が大きく異なるという意見も多かった。

ニュージーランドで長い間留学生を見守ってきても、同じようなことを感じる。

ニュージーランドでは、日本よりも、特に身体的な暴力に対しては、強い拒否反応を持つ人が多いし、制度や法律でも厳しく制限されているように思う。

中学生の年齢の留学生が現地生徒と喧嘩をして、相手をポンと軽く突き飛ばすようなことがあっても、それは「暴力」として、「絶対にやってはいけないこと」と言われ、厳しく対処される。理由はともかく、身体的な暴力はいけないのだ、という考え方だ。

もちろん、学校でも家庭でも体罰は許されないし、法律でも罰則が定められている。

クリス・ロックが何を言おうが、たとえそれがそもそも許されないことだとしても、身体的な暴力で反応するのは、絶対にだめだ。ニュージーランドの多くの人はそう考えるのではないか。

こう言うと、じゃあ、ラグビーのタックルはどうなんだとか、ボクシングの試合は許されるのかとか、そんなことを言う人がいるし、愛があれば、信頼関係があれば、体罰もOKだ、という人もいるかもしれない。

私は個人的には、身体的な暴力は絶対にダメだということを基本にするのがいいと思う。

その上で、例外として、「暴力を受ける人が、事前に、その暴力の内容を正確に理解して、かつ、その暴力を受け入れることに事前に同意している」場合に限り、認められる、とするのがいいと考える。

ラグビーやボクシングは、この例外に当てはまる。けれど、ウィル・スミスは当てはまらないし、中学生の喧嘩も、体罰も、家庭内での暴力も、例外には当たらない。

たとえ愛や信頼関係があっても、暴力をふるう側が「OKだ」というのも例外には当たらないし、愛や信頼関係があるということを、暴力をふるう側が主張するのも違う。

こういうふうに話を進めていくとどんどん、「では、これは例外に当たるのか?」というところにはまっていくけれど、基本的には、身体的な暴力は絶対にダメだというところに立ち戻るのがいいと思う。

では次には、国家権力としての暴力はどうなのか、という話になるだろう。ここではそこまでは触れないけれど、戦争はもちろんのこと、国の中で国家権力が行使する身体的な暴力についても、もう一度考えるのもいいかもしれない。

今回のウィル・スミスの平手打ちで、留学生たちも、暴力は許されるのか?許されるとすればその条件はなにか?について、一度考えてみてもいいだろう。

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