暗黙知を通じて伝達する。

有能感、関係性、自律性とは上手くできている。やっていることを言語化するならばそういうことなのだろう。ただし言語化できるのはあくまで形式知であって、それは知のごくわずかの部分。知の多くは暗黙知だろう。その中の一部を抜き取って形式知として導き出す。文章としてはこうだが、現場は暗黙知に溢れている。しかも文章にするにも難しい。その場にいて空気を感じて、という具合。しかしながら形式知に助けられる時もある。人生の選択もそうだ。自分が何を考えているのか、それは言葉にできるか。おそらくずっと何か考えているが、それは言葉では表現できないことが大多数ではないだろうか。言葉以上の感情、ニュアンス、アイデアが頭の中にある。そしてそのほんの一部を言葉や文章として表現できるのだろう。相手に伝わる形式知として。ただ、空気や、エネルギーというもの伝わるものの一部である。言葉、文字だけが伝えることのできるツールではなく、ジェスチャーや表情もそうだろう。そしてここでいいたいのは、思いもそうだということだ。伝達者が何を考えているか、それは伝わる。強烈な思いか、脆弱化。伝わる。では伝達者はどうあるべきか。それは伝達者次第である。その者自身が、何者でありたいのか、この人生のミッションは何なのかをわかっていることだ。浅はかな環境に流されることなくこの宇宙で何を成すのか。伝達者の思考は暗黙知を通じて伝達する。

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