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福井裕孝「からっぽの劇場祭について」

 5月上旬、キュレーターの綾門さんから今回の企画について初めて連絡をいただいた。劇場の中のモノが移動したり増殖したりするイメージで、劇場空間全体が日々変容し続けるようなことを何か考えられませんかというような内容だった。当時吉祥寺シアターにはまだ行ったことがなく全然馴染みのない場所だったので、ネットで調べて劇場の内観写真をいくつか見た。これまでなんとなく吉祥寺シアターだと認識していたのは世田谷パブリックシアターだったことがわかった。まだ自分に何ができるかは全くわからなかったが、ちょうど京都の劇場のTHEATRE E9 KYOTOの箱馬を他人の家に送って三週間預かってもらうプロジェクトの準備を進めていたので、何か関連させて考えられたらと思って、その企画書を添付して返送した。 

  5月中旬、最初の打ち合わせがあった。綾門さんから企画内容についてあらためて説明していただいたあと、こちらからは他の参加者と他のプログラムの内容について伺った。どうやら吉祥寺シアターの空間全体は舞台美術家によって設計され、奈落には人が住みつき、屋上の緑地は農地開拓され、舞台上では何かしらパフォーマンスが行われるらしい。はじめに連絡をいただいた段階で期待されていたようなことは、既にこの時点でなんとなく出来ないような気がしていた。もっと言えば、この中で自分ができるようなことはかなり限られていると思った。前提となる吉祥寺シアターの空間全体が大胆に書き換えられる以上、劇場に属するモノを移動させ続けたところで、ただ空間を掻き回すだけのパフォーマンスにしかならない。かといって外から人やモノやシステムを持ち込んで何かしら運動や変化を引き起こそうとするのも、普段の劇場利用と変わらない感じがしてあまり気乗りしなかった。誰もいない無人の状態(またはそれに近い状態)の吉祥寺シアターをイメージしながらどういうことができるかを考えていたが、実際には他の参加者の手が加わっていくらか改変されている状態の吉祥寺シアターを想定して考える必要があった。そこでE9の方のプロジェクトと今回の吉祥寺シアターでの取り組みが初めて結びついた。E9の箱馬を他人の家に送って一時的に預かってもらうのと同じように、吉祥寺シアターの箱馬を会期中どこか別の場所に一時的に持ち出して、改変された吉祥寺シアターから、『からっぽの劇場祭』から避難させようと考えた。モノと場所との関係を劇的に再演出するようなことではなく、既にあるモノと場所との関係を切り離すこと。加法(+)や乗法(×)ではなく減法(-)的なアプローチが成り立つなら、劇場の中で実施される他のプログラムとも共存できるし、このフェスティバルの問題意識の本質にも触れることができるように思えた。それからE9の[家]の方と合わせて『シアター・マテリアル』という一連のプロジェクトとして取り組んでいくことにした。

 最初にホームページに掲載された綾門さんのコメントを読むと、劇場に対する何か一方的なはたらきかけが求められているような感じがする。特に「劇場を使い倒す」という表現に個人的には違和感を覚えた。「からっぽ」の劇場は使い倒されるべきなのか。単なるスローガンやキャッチコピーということだったら、その熱量だけを汲み取って「頑張るぞ」という思いで精一杯臨むのだが、劇場と関わる自分たちの創作の姿勢や態度を表明するステートメントなのだとしたら、選ばれた数名の作家が「からっぽ」の吉祥寺シアターを巨大な舞台セットにして自由に使い倒す企画なのだとしたら、自分がやろうとしていたこととは相容れないし、その方向性で頑張ることができる自信もなかった。

 7月上旬、下見で吉祥寺シアターを初めて訪れた。劇場は何もない空間であり、何かがある場所である。稼働していない吉祥寺シアターは、何かが保管されている倉庫だった。舞台空間だけでなく、なんでもない廊下や階段、楽屋やトイレ、どこも既に意味やイメージで満たされた、完成された場所であった。「からっぽ」の劇場は「からっぽ」ではない。既に形成されている劇場の中の時間と空間の流れに沿うようにして、自分たちが足を踏み入れる前からそこにある何か、そこに現象している何かと向き合うことから始めたいと考えた。

 吉祥寺シアターの箱馬全てを東京郊外の山に移送して保管し、会期終了後また劇場に復元させるという方向性で作品のプランは概ね固まった。会期中、劇場には移送した箱馬分の空白が生まれている。それは吉祥寺シアターのスケールからするとほんの僅かな空白に過ぎないし、この期間箱馬が出て行ったことで劇場内での活動に影響が出るわけでもない。箱馬の不在は2、3日でもすればおそらく忘れ去られる。最初はそれでいいと思っていたが、劇場空間の変化としてはやっぱり見えにくいし、まだ劇場の中に観客や鑑賞者が入る可能性も捨てきれなかったので、箱馬の不在という事実を何かしら形にとどめて保存しておきたいと考えた。そこで、箱馬が出て行ったことによって生まれた劇場の「空白」を、箱馬がやって来たことによって生まれた山の「余剰」で置き換えて埋めることにした。山に置いてきた箱馬と同じ分量の「山」を設置場所から抽出して劇場に置きなおす。つまりは劇場と山を部分的に入れ替えるようなイメージだった。

 まず、吉祥寺シアターの所有する箱馬49個を劇場の内と外の境界に位置する搬入口のスペースに7×7のグリッド状に並べ、そこから間抜きした24個を山に移送して配置する。箱馬を配置した箇所から大地や植物、木、岩、水、空気など「山」を構成する要素を素材ごとに適当な手段で箱馬と同じ分量抽出し、劇場へと持ち帰る。持ち帰ったそれらを箱馬の規格(303×333×182mm)に合わせてオブジェクト化して固定し、間抜きした箇所にそのまま配置する。結果、吉祥寺シアターには箱馬25個と箱馬24個分の体積の「山」があり、劇場内の物量は変わっていない。ということになる。「山」の後ろには箱馬が、箱馬の後ろには「山」が控えていて、二つの素材は互いの存在を補完し合うような関係で並置されている。劇場に何かを持ち込むだけでなく、何かを持ち出すだけでもなく、持ち出した分だけまた持ち込むこと、劇場の「からっぽ」を「からっぽ」のまま再編成しようとすることが、「からっぽ」の劇場に対する、また「劇場を使い倒す」ことへの自分なりの応答になればいいと思った。

 劇場祭の会期中、劇場の箱馬と山の自然物を物理的に入れ替え、また元通りに復元する。その一連のプロセスをもって一つのプログラムとなるように設計していた。なので、山での入れ替え作業や劇場に並べて保管している状態は全体のあくまで一過程にすぎない。写真や映像や文章などの記録を編集したドキュメント的なものから事後的に作品の全体像が見えてくればいいと考えていたので、リアルタイムでの観客や鑑賞者の存在はあまり想定していなかった。その上で、劇場祭の会期中は「換気」という名目で、箱馬と「山」を設置している搬入口の扉を午前・日中・日没の一日三回、20分ずつ開放する予定だった。設置場所の空気を入れ替えるために扉を開けると、中の様子が通り沿いを歩く通行人に「見える」状態になる。吉祥寺シアターの前を通過する誰もが中のそれらを作品だとは思わないだろうし、中のそれらも「見られる」ものとして観客に向けられているわけではない。中のそれらには触れることなく、ただ内と外とを隔てている扉を開け、外から「見える」ようにすること。こうするしかなかったとは思わないが、観客や鑑賞者未然の劇場の外にいる人たち、劇場の外の世界との関わり方について、今の自分にはこうすることしか考えられなかった。

 今回自身のプログラムを完遂することはできなかった。それ自体はとても心残りではあるが、諸々見通しが甘かったことが原因であるし、まずは自分自身に帰する問題として真摯に受け止めたいと思っている。失敗したことは「失敗」として正しく認識した上で、今後につなげていきたい。

 劇場祭全体についての所感。「からっぽ」や「劇場を使い倒す」といった言葉の漠然としたイメージや、コロナ禍において開催する演劇祭というビジョンが先行し過ぎていたが故に、中身が空洞化していた。タイトル通り「からっぽ」なオンラインイベントになっていたように思う。京都からリモートでの参加だったので、現場にいる人たちの間で共有されている空気感はよくわからなかったし、抱えている問題意識のズレもあったと思うが、個人的には、TwitterやYouTube上で発信されている内容以上に想像力が喚起されることはなく、この期間遠く離れた吉祥寺シアターに思いを馳せることは一度もなかった。今度の振り返りの場では、実際に何ができて、何ができなかったのかということ以上に、これまで何について考えてきたのか、何について考えてこれなかったのか、もっと前提の部分について話し合う必要があると思う。『からっぽの劇場祭』をきちんと終わらせることができるように、これから時間をかけて向き合っていきたい。

福井裕孝

いただいたサポートは会期中、劇場内に設置された賽銭箱に奉納されます。