「受援力」って言葉知ってる?
こんにちは。橘吉次です。
先週、NPO法人を主催しているかたのセミナーに参加して、「受援力」という言葉を知りました。
この言葉から、様々思うところ考えるところが発生したので、記事にしました。
「受援」それって能力なの?
受援という言葉は昔からある。
あんまり使わないけど…。
これはそのまんま、
援助や支援を受けることを意味し、主に災害発生時の被害者を支援する活動などで使用される言葉だ。
ところが、この「受援」という言葉に「力」をつけた、「受援力」なる言葉は聞いたことがなかった。
えっ?援助を受ける力?
それって力?能力な訳?
災害時にボランティアの支援を受ける、勇気と決断か…
私は幸いなことに、災害被害者になった経験がないが、赤の他人の援助を受け入れるにはある種の壁があることは想像できる。
そうだよねー。赤の他人だもんねー…
と思って、腑と気が付いた。
あっ、「ふと」を「腑と」になってますが誤字ではありません。意図的なんで…
頭で気づいたんじゃなくて、腑脳が気づいたということです。
(腑脳って何?と思った方は下記の記事をご参考に…)
えーと、腑ときづいたこと
それは…
私、受援力ないわ…ゼロだわ…
だった。
人に頼るな!女性社会進出の初期設定
子供の教育において、
「自分でやってごらん。きっと一人でできるよ」と、
その能力を認め励ますことは、積極的な精神を育むものとして推奨されている、と思う。
人に頼るな。自分でやれ。
も、人間社会の常識だ、と思う。
特に、吉次が大人になった70年代後半からの日本は「自立」のプロバカンダが吹き荒れていて、経済的自立&精神的自立はいい女の必須条件だった。
だから、みんな頑張った。
親に頼らない
男に頼らない
自分で考え、自分で決断行動し、自分で始末をつける
誰の助けも借りない
それが強さだったし、大人の女の初期設定マインドだった。
お陰様で男社会に鍛えられ、見事に
<誰にも頼らず独りで生きていくスーパー自立ウーマン>ができあがった。
吉次のまわりは、そんな独身女がうじゃうじゃいる。
逆に、
何かトラブルや精神的ダメージを受けた時に
「ねぇ聞いて、私今つらいの。お願い助けて…」と男や強いものに頼る女は、前時代の世渡り術を引きずった女だというレッテルをはった。
いわゆる「ぶりっ子」だ。
だから、受援力と言われると違和感を覚える。
ちょっと待って、それって能力なわけ?
これからの日本社会「受援力」はマスト!
しかしながら、今還暦を目の前にして腑と思う。
私の受援力ゼロって超やばくない?
人を頼ることができない
助けを借りることに抵抗がある
「わかりません」「出来ません」と素直に言えない
これ、今後の日本社会を生き延びるうえでは致命的な欠点となる。
なぜなら、経済的成長が頭打ちになった日本は、
これからは相互援助的コミュニティの時代になるからだ。
自分と似たような価値観を持っている人々が小さなコミュニティを創って、助け合いながら、その心地よい居場所を維持発展させる。
時代はそうなる。
ってか、もうそうなっている。
SNSプラットフォームで構築された多種多様なコミュニティ。
これが、これからの文化・生活・経済の共同体となっているのだ。
「無料でこれあげるけど、欲しい人いる?」
「わー、私それ出来なかったの。欲しい!ありがとう!」
で、コミュニティの芽が発生し、
「ねぇねぇ、教えてー」
「いいよ。ここまでは無料。ここから有料で教えてあげるー」
で、経済が活性する。
こんな時代では、受援する力がなければ生き残れない。
受援力はマスト能力となっているのだ。
オジサンたち!生まれ直しだ!
こんな時代、取り残されるのは50代以上のオジサンたちだろう。
特に企業で部長とか取締役とかの、管理職をやってた人々が一番ヤバイ。
「わからないので、教えてください」
「出来ないので、助けてください」
これが言えない…
気持ちはすごーく良くわかる。
でもね、そのブロック外さないと、これからの日本ではやっていけない。
いや、やっていけるだろうけど
なんか淋しく、
なんか孤独で、
なんか空虚な毎日になっちゃう。
まあ、吉次も他人事じゃないから、
これから受援力を鍛えるというか、
「助けてください」と言えないブロックをもっと手放さなきゃならないんだけどさ。
これなかなか頑固なブロックだよ。
ホントにそう思う。
だから、ブロックを外して受援力を育てるコミュニティを創るから
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では。
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