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毛利元就も生前整理を実践!?「三子教訓状」【歴史から見る生前整理】

相続などを通して受け継ぐものは、「物」だけとは限りません。
これまで思ってきたことや後々のことを気遣った想いも
とても大事な遺産です。

特に、想いの部分は、声に出して直接伝えたり、紙などに書いて残すなどしなければ、絶対に相手に伝わりません。
それは今も昔も同じです。

戦国時代、安芸の国(広島県)に毛利元就という人物がいました。
動乱の中、小さな領主から一代で中国地方全域を治めるまでに領土を拡大。
織田信長や武田信玄、上杉謙信などに匹敵する大大名となりました。

その毛利元就にまつわる数あるエピソードの中で多いのが、元就と3人の息子たちとの話。
最も有名な話が、「三本の矢」の話です。
元就が臨終のとき、3人の息子を呼んで、それぞれに1本ずつ矢を与え、「折ってみよ」と言い、3人とも簡単に矢を折ったものの、次に3本を束にして折らせたところ、容易に折ることができなかった。そこで元就は、「1本の矢なら折れるが、3本束になると折れない。兄弟3人が力を合わせるように」と遺言したという話です。

ただこの話は、長男のほうが元就より早く世を去っていたため、後世に創作された話だとされています。
実は、この話の元になっているとされているものがあり、それが「三子教訓状」と呼ばれるものです。

「三子教訓状」は、元就が60歳を超えていた時に書いた自筆の書状で、3人の息子たちに一族が結束して毛利家を盛り立てていくように諭した内容となっています。なお、この教えは14条からなり、長さは約3メートルにも及んでいるとのこと。
元就がこのような書状を書いたのは、兄弟仲が良くなかったことが関係していたようで、また、お家の毛利家が危うくなることも憂いていたようです。その他、元就の政治構想を伝える公式文書だったという見方もあります。

元就は、元々筆まめで多くの書状が残っていますが、相当な苦労人だったこともあって、子どもたちへの手紙は説教じみたものが多かったようです。この「三子教訓状」もそのうちのひとつです(教育パパだったようですが、子どもたちにとっては、ちょっと煩わしかったかも!?)

また、元就は織田信長のように天下統一を目指すのではなく、毛利家という家名を残すことを一番に考えなさいとも教えていたようです。
その他、大名として組織の体制も万全に整えて、家督相続(長男がすでに亡くなっていたので、孫(長男の子)が継承)なども問題なく進めることができました。
これらは当時としてのしっかりとした生前整理だと言えるでしょう。

そして元就亡き後、一族は結束して数々の苦難を乗り越えて戦国時代を生き抜き、江戸時代の260年間も存続し続け、明治維新の原動力となった長州藩として幕末まで家名を保つことができました。
元就が自分の想いをしっかりと言葉に残して伝えていたおかげだと思います。

日本人はよく、「言わなくてもわかるだろう」と言いがちですが、
やっぱり大事なことは言葉にしなければ相手に伝わりませんし、わかってもらえません。
直接言ってもよし、ノートなどに書いてもよし。
必ず言葉にして伝えましょう。
これも大事な『生前整理』です。

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