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墓石に刻まれた言葉を求めて

ボクの祖父の納骨がありました。先日。

祖父は生前に自分は無神論者だと言っており、「墓はいらない。骨は海に散骨して欲しい」と言っておりましたが、いざ亡くなられると、残されたボクたち親族はなにも形が残らないというのは、なかなか心もとないものでして結局残された祖母の強い意向でお墓を作ることになりました。

お墓は「樹木葬」という形式で、お墓の代わりに樹木をお墓に見立てて埋葬するスタイルで、祖父の主義を組んで無宗教形式で行いました。

お葬式とかお墓というのは故人の意向や宗教観はもちろん大切ですが、現世に残された家族にとっても大事なわけでして。何もないとコミュニケーション手段がありませんからね。草葉の陰とか、空に魂がとかいいますけど、やっぱし何か手に届く形になるものが欲しいんです。自然豊かな見晴らしのいい霊園に埋葬できて祖母は満足そうでした。ボクもそれでいいと思います。

さて、ここまで前置きでした。墓地に着いてから納骨まで時間があったのでボクは霊園を散歩していたのですが、お墓というのはかなりバリエーションが豊かということに気付かされました。多くのお墓は「○○家の墓」でしたが、本人や遺族の強い意向を感じるお墓がいくつかありましたので、この場でいくつかご紹介させてください。

「愛」

「いのち」

「永遠に あなたの 笑顔を 忘れない ありがとう LOVE」

「先祖に感謝」

「はばたけ」

「青い空に 白い雲」

「-イザヤ書- おまえを贖った(あがなった)」

「翔 和 絆」

取り急ぎごく一部上げました。
ボクはこのようないろいろなお墓を観ていて、何故か名画を観ているような感銘が心に生まれてた。なにより印象的なのはこれらお墓に刻印された文字の説得力だ。上述の通りほとんどのお墓は「○○家の墓」だった。一番無難でフォーマルな形。ボクの母方の先祖の墓もそうだし。

しかしこれら写真のお墓には、ボクの祖父が無宗教にこだわったのと同様に(完全には叶わなかったが)信念を感じる。一人の、もしくは一族の生命と結びついている強い思いが垣間見える。まだまだ素晴らしいお墓があるので続けてご紹介します。

「終わり よければ 全てよし」

かっこいい! かっこよすぎる! このお墓に眠る人はどのような人生だったのかはわからないが、飾られた仏花は新しく故人の人柄が伺えます。

「MEMENTO MORI」

メメント・モリ。ラテン語で「死を忘れるな」の意。聞いたことがあるフレーズとは言え、まさか本当にあるとは。このお言葉だが単なる戒めだけでなく「今を生きろ、楽しめ」という意味も含まれているそうだ。深い。

「無」

これを最初に観た時の衝撃たるや。ニヒリズムなのか、悟りなのか、そのお墓に魂は有るのか、無いのか。他を寄せ付けない凄みを持った存在感ある墓石です。

以上が墓石に刻まれたメッセージです。お墓は故人と遺族をつなぐ象徴と同時に一つの命を用いた表現でもあるだと思う。その命の重みがあればこそ墓石に刻まれた文字は真に心に迫るのだ。美麗なイルカの絵や美術館の裸婦像で感動している場合じゃないね。魂の鼓動を感じたければすぐに霊園に行くべきだよ。

しかし人間はメメント・モリ。いずれ死ぬのだ。死を考えるならばボクはどんなお墓に入るんだろう。なにか墓石に言葉を刻むのだろうか。それとも親族のお墓か。散骨?樹木葬?ひょっとして無縁仏…? とかく今は生きてるので、とりあえずは現世で頑張ろうと思う。

追伸:おじいちゃん。またお盆にはお墓参りに行きます。また会いましょう。

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