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スマホとストレス

スマホの悪影響について、これほどに言われているのに、もはや離れられないし、noteだってスマホで見たりしている。やめたいのにやめられないのは完全に依存といっていいと思う。

言い訳としては、「やめちゃったら人と連絡をとれなくなっちゃうし」というのが主なものだけど、一歩外に出れば人と会えるし、以前はこんな頻繁に人と約束をして会って・・・というのがなかったのかもしれない。だれか人と会う時間と時間のあいだはずいぶんとあった。

子どもがいるから、「○曜日に遊ばせる?」という約束の連絡がめちゃくちゃ入ってくる。「今公園きてるよー」「誰か行かせてますかー?」とかとか。相手も自分の動きも全部公開できちゃうから、子どもを見守らないといけない立場であるわたしとしてはありがたいこともある。でも、小学校にあがった子どもがいつも親の監視の下で遊んでるというのも、不健全だな、とも思う。

「子どもは、親と先生の目がないところで成長する」と何かの番組で武田鉄也さんが言っていたことがあった。当時親でなかったわたしは意味がよくわからなかったけど、今となってはよくわかる。きっと、子どもは自分の力が100%試せる状況がいちばんいいのだ。(親が見ていると見られているという邪念が働いて確実に100%でなくなる)

スマホに話を戻します。

スマホがいけないんじゃない、SNSがいけないんじゃない。それを見ずにはいられない自分の体勢がいけない。実際、スマホでニュースやXをザッピングしながら「あー、つまんないなー」と感じているもうひとりの自分がいる。スマホをいじりだしたら退屈している証拠だ。

でも、一度スマホを置くと、何をしていいかわからないときがある。置いてすぐ本を読んだり、ピアノを弾いたりできるときもあるけど、なんかモヤモヤした心理状態だったときには、どうしてもスマホに手がのびる。ストレス回避にはとてもいい。なんでもいいから流れてくるニュースやテキストを読んでストレスを忘れようとしてしまう。

本を読むのも同じじゃないか、と思うけど、本はその本をセレクトした自分がいる。ピアノを弾こうと決意した自分がいる。スマホニュースの場合は、30%は自分でセレクトしているところもあるけど、ほとんどが「たまたま目に入ってしまった」ものを読んでいる。完全なる能動的な行動ではない。それって、たぶん気がついてないけど自分にとってはストレスなんだと思う。

「つまんないのに読まされている」「興味がないのにそそられている」こういう受動的な行動はついついしてしまうけど、内なる自分にとってはそれはすごいストレスで、スマホ見ているときはたいていちょっとイラついてしまう。

だったらやめればいいじゃんね。つまんない時間も、ぼんやりして過ごしたほうがいいってことだ。ストレスと向き合ったり、向き合わずにモヤモヤしてたりして、その状況から逃げないほうがいい。さんざんこの1年強いストレスにさらされたわたしはそう思う。ストレスが思考に向かわせてくれる。しんどいけど、たぶんまちがいない。

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