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LA〜NYレコーディングの旅

今回のアメリカ旅は本当に手探り状態で、殆どの予定を現地に着いてから決めていった。
メインの目的はオリジナル曲のバンドレコーディングと、ゴスペルクワイアのレコーディングだった。
渡米直前まで仕事が詰まっていたこと、そして、まさかのESTA申請を忘れていたことで、3日のビハインドからスタートしたこの旅はまず、LAでバンドレコーディングから始まった。
LA在住のベーシスト、Linちゃんに連絡を取って、スタジオの予約とミュージシャンのスケジュールを確保してもらっていた。
レコーディング場所はLAの郊外にある、中庭がとても広い開放的なスタジオ。エンジニアのYanivはとても明るく、ハキハキとした情熱的な人だ。ドラマーのReggieが少し遅れてやって来た。セッティングが終わると、Linちゃんとジャムをしながら、ウォームアップ。そろそろあったまった所で、1曲目のレコーディングに進む。この曲はまさにSING FOR JOYを始めたことでできたゴスペル色満載の曲。絶対にこっちのミュージシャンで録音したかった。楽曲にどんどん命が吹き込まれていく。やっぱり本物のミュージシャンの演奏はソウルに溢れている。ドラマーのReggieは今Babyfaceのツアーで世界中を回っている超一流ミュージシャンだ。Linちゃんと同じバンドをやっていることもあって息がピッタリ。コントロールルームにいながら、思わず「Yeah!!!」と声が出てしまう。ドラム、ベースで何度か通して演奏し、その後Cliffがまさにスタジオが教会になったかと思えるほどグルーヴィーでソウルフルなピアノ、オルガンを録音した。

そして2曲目は、僕の活動をずっと応援してくれていた大切な人が亡くなったときにその人に捧げて創った曲。テーマとその想いをミュージシャン達に伝えて、録音する。
途中、雲間から光が差し込んで、その暖かさに包まれるような感覚があったのを鮮明に覚えている。一つ一つの歌詞の意味はわからないはずなのに、キーボードのCliffがまさにその歌詞を体現するかのようなフレーズを何度も弾く。その度に鳥肌が立った。
スタジオの時間もあったため録り切れなかったパートは後日、Cliffの自宅スタジオで録音することになった。
LAのダウンタウンにあるCliffの自宅は、音楽学校の高層階で、とてもクリーンで眺めのいい場所にあった。
Cliffのオルガンプレイは、寸分の狂いもないタイム感で、心躍るフレーズを次から次に繰り出す。もう、全てOKテイクにしたいような出来だった。
あっという間に録音は終わり、翌日ベーシストのLinちゃんの家で録音したテイクを選ぶ。基本的にどれも素晴らしいので、全体のバランスを考えながら、よりエキサイティングなテイクはどれかをセレクトしていった。
そして、その音源を持ってゴスペルクワイアのレコーディングをするために、ニューヨークへ向かった。

ニューヨークでは、以前住んでいた時に教会のクワイアで歌っていたので、シンガーはたくさん知っていたが、今回のレコーディングは日本語がメインということもあって、一から探さなくてはならなかった。
LA滞在中にNYの知人に聞いたり、インターネットで募集したりして、本当に手探り状態だったが、何人かからレスポンスがあった。日本語で歌っている音源を送ってもらって、日本語の発音は上手くても求めているような声ではなかったりする中で、とてもこのプロジェクトに積極的なFemale singerがいた。英語で歌っているオリジナル曲がとても良くて、日本語を歌っている音源も、オリジナルをそのまま歌うのではなく、とてもソウルフルで自分の世界観を持っていてすぐに気に入り、連絡を取った。「となりのトトロ」をソウルにしたらこんな風になるんだと、新鮮な驚きがあった。
そのシンガー、Jackieに他に日本語で歌ったことのあるシンガーの知り合いはいるか聞いてみたら、なんと日本にゴスペルのツアーで一緒に行ったことがあるという知り合いがいるとのことで、一人はすぐに見つかった。彼女の日本語はとてもナチュラルで、澄んだ歌声がとても癒しを感じさせるトーンですぐに気に入った。その彼女、Monicaが男性シンガーも知っているとのことで、音源を送ってもらった所、素晴らしい声だったので、すぐにその3人の予定が合う日でスタジオを押さえた。日本語の歌詞を全てアルファベットに書き直し、シンガーたちに送った。

その2日後、その男性シンガーが急に出来なくなったと連絡があった。アメリカでは良くある話ではあるのだが、レコーディングの日まであと3日というところで、正直焦った。最悪、女性シンガー達だけで録るという選択肢もあったが、やはり豊かな低音の男性ボーカルは楽曲には必須だった。
もう一度、インターネットで探してみたが、なかなか求めている声のシンガーが見つからない中で、Monicaから連絡があり、興味があるという男性シンガーの動画が送られてきた。彼の名はJermaine、往年のソウルシンガー達を彷彿とさせるような太く響く声ですぐに気に入ったので、全員の予定を合わせ、スタジオを押さえた。
録りたい曲は3曲。なかなか一日で録るのはハードルは高いなと思ったが、Jackieとは時間が合い、事前にスタジオを借りてリハーサルすることが出来た。英語圏の人には日本的なアルファベット表記ではなく、こういう書き方をした方が分かりやすいんだととても多くの気付きがあった。(例えば「き」というのはkiよりもkeyと書いた方が読みやすい等)
そして、迎えたレコーディング当日。朝10時にMonicaとJermaineが時間通り来ていたので、リハーサルをした。Monicaはかなり日本語の発音も自然で、ほとんどのパートをすでに練習して覚えていた。しかしJermaineは発音を含めて、あまり練習が出来ていなかったのか、思いの外一つ一つの言葉の発音を練習するのに時間がかかってしまった。その間にJackieと曲のアレンジをしてくれた岩城直也くんと、今回レコーディング風景とミュージックビデオの撮影をお願いしたLikaが来てくれた。エンジニアのAJはあまりこの手のレコーディングに慣れていないのか、セッティングなどに時間がかかって、結局スタジオに入ってから2時間後にようやくレコーディングスタート。
本来は一人ずつ録音していこうと思っていたのだが、やはり母国語ではないということもあり、スムーズにいかない。エンジニアのAJとはなかなかそりが合わず、シンガー達も彼の仕事ぶりに納得していない様子で、仲を取り持つのにかなり気を遣った。刻一刻と迫ってくるタイムリミットに焦りを感じる。結局プランを変え、僕も含めて4人でブースに入り、その場で発音や、アーティキュレーションをディレクションしながら4人一緒に録音することにした。
これが功を奏し、息ぴったりに各パートを録音していくことが出来た。ただその前の作業にかなり時間を割いてしまったため、予定より2時間オーバーし、しかもJermaineが別のセッションで先に出なくてはいけないということで、残りを今夜別のスタジオでやろうということになった。Jackieはニュージャージーに住んでいるので、夜のレコーディングは難しいとのことで、Monica、Jermaineだけで録ることになった。

実はその日、とある楽曲のミュージックビデオも撮影する予定になっていたため、Likaと急いで宿泊先に戻り、着替えを済ませ撮影の準備をして街に出た。この時すでに17時を回っていて、外は暗くなりかけていた。セントラルパークや、ハーレムの街中を歩きながら撮影する。レコーディングで、6時間休みなくディレクションしつつ歌った後だったので、正直かなり疲労も感じてはいたが、アメリカでプロのビデオグラファーとして活躍してるLikaと撮影できるということで、気合いを入れ直し、短時間で雨が降ってくる直前までなんとか撮影できた。

その後Likaと夕食を食べ、地下鉄とUberに乗ってブルックリンにあるスタジオまで行き、レコーディングの続きを始めた。その時すでに9時半、なんとか日付けが変わる前までには録りたいなと思っていた。
一曲目は、もうほとんど完了していたので、残りを少しのパートをMonicaに歌ってもらい、すぐに2曲目に取り掛かった。この曲は、LAで最初にバンドレコーディングした曲でそのエネルギーのまま録りたいと思っていた。Monicaの澄んだ声でどんどん重ねていくと、神聖な輝きが曲に灯っていった。そしてJermaineは発音に苦しんではいたが、エンジニアが素晴らしく手慣れた感じで、Jermaineの歌いやすいように声を重ねていく。教会のクワイアのような重厚な響きが曲をパワフルにしていく。
疲労はピークに達していたが、最後の力を振り絞ってディレクションを続けた。
その結果なんとか、3曲目のどうしても録りたい部分まで録音することができた。

この時点で夜中の1時を回っていた。エンジニアのFranに直前にも関わらずこんな遅い時間まで、プロフェッショナルな仕事をしてくれたことに心から感謝し、二人のシンガーにもお礼を言って、帰ろうとしたら「Kiyo!!」と呼ぶ声が聞こえた。外で先に出ていたMonicaが待っていてくれて、「泊まっているところまで送っていくわ」と言ってくれた。週末のこの時間の地下鉄は本数が極端に少なく、家に着くのは夜中の3時くらいかなと思っていたので、本当にありがたかった。Monicaは日本にも何度か行ったこともあって、この日本語はどういう意味なの?とか、日本の好きなラーメン屋の話をしたりした。そして僕の他のオリジナル曲を一緒に聴きながら、「本当にいい曲ばかりだわ」と言ってくれたりして、滞在先に着いた。
別れる時に、Monicaが「私もついこないだ、夜中にレコーディングがあって、友達に家まで送ってもらったの。本当に有り難かったから、Pay it forwardしなくちゃね!」と言ってくれた。Pay it fowardというのは映画にもなったことのある有名なフレーズで、「誰かからしてもらったいいことを他の誰かに返していこう」という意味で、自分が大好きな英語のフレーズの一つ。
本当に途中で心が折れそうになるくらい大変な一日だったけど、この言葉に救われた気がした。
家に着いたのが、ちょうど2時を回るところだった。今日の出来事を反芻する気力も体力もなく泥のように眠りについた。

翌日昼の12時に目が覚めた。何年かぶりに10時間も連続で寝ていた。