神や仏について、率直な(罰当たりな、うがった)意見
普通の物語がありまして、登場人物の名前の後に、「神」をつければ、神の出来上がり。
つまり、
物語 + (登場人物名+「神」) = 神話
神話 = 聖書
である。
もともと、プレーンな物語があって、その登場人物に逐一、語尾みたく、神をつければ、神話になるという、この発想、
我ながら、神っているとおもう。真理だと思う。
神話の出来上がり。
this is how to make myth. how to make SHINWA.
Easy Easy Very Very Easy🤪
ギリシャ神話と古事記は、神フィルターがペランペランで原始的。
まじで、人間の物語があって、その名前の後ろに、神をつけただけの、物語。だから、人間くさい。人間のにおいがする。
あまりに、人間くさすぎて、尊敬に値しない。
登場人物の人格も、破綻している。およそ、どこにも、すばらしさや、尊敬ポイントが見つからない。
そこが、おもしろいところである。
しかしながら、神格化がエスカレートすると、神秘臭がしてくる。
神秘臭がしてくると、尊敬の義務が生まれる。尊敬を前提としているというか。尊敬してもらおうという、意図のような、匂いが、神秘臭ともいえる。尊敬をカツアゲしていくような。
この物語を、信じていれば、褒められる。連帯できる。共同体に入れる。
そういう感じ。
仏教、キリスト教、日蓮正宗になってくると、
元の物語が見えないくらいに、神フィルターが厚くなり、脚色が増えて、厚着すぎて、
もはや、実際の物語が、見えない。
実際の人間に見えない
↓
不信感
「ちんのちんちん」という、
昭和天皇渾身のギャグがある。
「すげえ人。神がかったすげえ人がいる。」と思いたい人にとっては、神秘臭の強いものは、いいのだろうけど、
ふみこは、いまは、古事記と昭和天皇くらい、人間的なものに、共感する。
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