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文章を書きまくっていた日々のこと

所信表明noteで書いた通り、ここではnoteの中の人としてではなく「個人としての自分を知ってもらう」というテーマの下、好き勝手にいろいろと書いてきました。(もちろん、職業倫理的に線を引いているところはあります。)

そんな中で「どこかの媒体で書いてたんですか?」とか「副業でライターやってたりしませんか?」とか(九分九厘お世辞だと思います。念のため)言ってもらえる機会がたまに出てきたりしました。

noteであまり自分語りをするつもりはなかった(大して需要もないだろうし)のですが、今回はその辺り、文章を書いてきた過去のことを少し書いてみようと思います。

高校生の頃

高校生の頃、将来はスポーツジャーナリストになりたいな、という漠然とした夢がありました。座右の書が「スローカーブを、もう一球」と「一瞬の夏」だった千葉の高校生は、今思えば「漠然」と言えてしまう夢に向かって謎の驀進を見せていました。思い込みが強めのタイプだったのでしょう。

そんな高校生だった僕は文章修行として、サッカーの試合の観戦記を書いてクラスメートに送りつけて読ませるというかなり迷惑なことをやっていました。しかも中二病の罹患が長引いていたため、観戦対象は常にヨーロッパ。当時WOWOWで見れた欧州チャンピオンズリーグをご丁寧にもベスト8から生中継で観戦し、「この感動を文章に落とし込むんだ!」とか言って試合終了後2時間くらいかけて(つまり、友人に送るのは朝5時くらい)ケータイでぽちぽち書くという、男子ってほんとバカだなと言わざるを得ないことを嬉々としてやっていました。

※ちなみに男子校でした(今は共学になっちゃった)

しかし若さゆえに、客観的に対象を捉えるという視座が全くなく、クラスメートからは「お前のレポート、カンナヴァロとネドヴェドのことしかわかんねえよ!」とか言われる始末。この時点でライターとしてはともかく、ジャーナリストとしてはあまり適性が無かったことがわかります。文句を言いながらも読んでくれていた友人たちには感謝しかありません。

そんな無茶苦茶な時代でしたが、それでも未だにこの時一生懸命文章を書いていてよかったなと思っています。というのも「自分の書いたことに説得力を持たせるために、必ずソースにあたる癖」「自分の意見とファクトを書き分ける癖」がついたからです。

先ほど「クラスメート」と雑に括りましたが、送りつけられる相手も大概なサッカーオタクだったりするので、下手なことは書けなかったのです。類は友を呼ぶ、で、人の間違いや矛盾には鋭いツッコミを入れてくる奴らばかりでした。こういったプレッシャーがあって、幸運にも誠実に文章と向き合うためのスタンスが形成されました。

また、これらの癖がついたことによりSNSで滅多なことを言わないようにしているところもあるので、若き体力を投資して得たあの時間は、図らずも現代的なリテラシーを会得したという点でも全く無駄ではなかったのでしょう。

大学生の頃

ひょんなきっかけがあって、大学二年生の終わり頃からとある法律予備校の模擬試験問題※を作るライターのアルバイトをしていました。自分が書いた文章が印刷されて、何百人もの年上の人たちが一生懸命解いたり読んだりする、というのはなかなか不思議な感覚だった思い出があります。バイトとはいえ、曲がりなりにも文章を書くことでお金をもらっていた時期でした。

※今は無き、法科大学院適性試験の模試。

法律予備校という場所柄、バイト仲間には法曹を目指している人も多く、その圧に押されて最初のうちは目を白黒させるばかりでした。とにかくみんな弁が立つ、会話の応酬が早い、共通認識としての論理的な飛躍がそこかしこにあって会話についていけない。

それを見かねてか、ある日バイトリーダー的な人に「ヒガシくんさ、なんかロジックの足腰が弱いから、ノヤちゃん読んどこっか」と言われて、本をドサっと渡されました。

ドサっと渡された「ノヤちゃん」。その実は論理学の入門書として名高い「論理トレーニング」と「論理トレーニング101題」の2冊でした。いずれも哲学者の野谷茂樹氏による著作で、あまりにも定番だったので2冊まとめて「ノヤちゃん」と仲間内で呼ばれていました。

もしこの時「ノヤちゃん」を読んでなかったら、と思うと今でもゾッとします。脳味噌のスペックと根暗な性格はどうすることもできず、結局「ノヤちゃん」を会話に生かすことは叶いませんでした。しかしそれでも、何回も読むうちに、接続詞の重要性であるとか、なんかこの話変じゃない?という嗅覚とか、大局的に見てトピックを構成する癖だとか、知的に生きていく上で重要なスキルを(なんとなくだけど)身に付けることができました。

一方、このバイトのおかげでお金のために文章を書くことの大変さが身に染みてわかったので、プロの物書きになるのは無理そうだなと、こざっぱりとした諦めがつきました。とはいえ職場の居心地はよかったので、結局大学卒業までの2年間ここでお世話になったのですが。

初めて文章をチェック(校正・校閲の前段階)に回したとき、赤が一切入らず(つまり全ボツ)切なかったのもいい思い出です。

そして、まだ書き続けている

その後社会人になっても、ごく私的なブログを書いてみたり趣味のブログでアフィリエイトをやってみたりと、なんのかんのでまとまった量の文章を書き続けてきました。

ここまで書いて改めて思い到るのは、僕はとにかく何かを書くのが好きなんだろうな、というシンプルな結論です。もちろん、何かを書くことで不愉快な思いをしたこともありますし、誰にも読まれない文章を滔々と書いていた時期もありました。それを越えてなお(特に頼まれてもないのに)書き続けるのは純粋に好きだから、としか言えません。

そんな人間がnoteというソーシャル・インクルーシヴな性質を持つプラットフォームに出会い、しかも気がついたらそれを作っている会社で働いているというのはなんというか、不思議な磁場を感じます。今の状況を、夜更けにケータイにかじりついて文章を書いていた16歳の自分自身が見たら何を思うでしょうか。

「お前、17、8年後に超有名な編集者と日々やり合いながら働くことになるからな。楽しみにしてろよ。」

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