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「よりよいインターネット」のためにできること

タイトルからもわかる通り、今日はだいぶ主語が大きい話をしますね。インターネットに誰もがアクセスしている今、「よりよい世界」と言い換えてもいいかもしれない。

noteの中心でnote愛を叫ぶひとたち

10月6日に開催されたnote酒場の一企画として、弊社のホールを開放して「noteの中心でnote愛を叫ぶ」というイベントが開催されました。我こそは!という猛者たちがプレゼンを展開し、とても熱くて中身の濃いイベントとなりました。登壇された猛者各位、そして弊社オフィスにお越し下さった皆様、本当にありがとうございました。

その中の一人、Saeさんというクリエイター(と言っちゃいますよ)が、noteとの関わり方について以下のようなプレゼンをされていました。

・200日以上連続更新をしてきた
・最近何を書こうか正直困っている、ぶっちゃけ書くのも楽しくない
・私はそもそも(※狭義の)クリエイターではない
・だから「作品」を作ろうとするのではなく、こうやって悩んでいる「私」を見守ってもらうために書こう

これを聞いて、一緒に話を聞いていた広報のもりもとさんと思わず首をぶんぶん縦に振ってしまったのでした。いい、とてもいいと。

世界の解像度と「追試」

話は変わって、先日僕は娘の名言をSlackbotで流しまくるという話を書きました。

正直いって技術的には大したことなく、やってることも特に斬新ではありません。上の記事にも書きましたが、車輪の再発明以外の何物でもない。加えて僕のnoteを読んでくださってる中にはつよつよのつよなソフトウェアエンジニアも多数いる中、彼らの参考になる内容を書くことは極めて難しい、というか多分無理。(それもあり、いの一番に他社のエンジニアであるqsonaさんにスキ!してもらえたのが嬉しかった。)

それでも、これを書く意味があると思って書いたんです。

自然科学、特に研究室で実験をするタイプのアカデミズムの世界に「追試」という概念があります。追試といっても落第寸前に受けさせられるアレではなくて、「私Aは、Bという方法でCという発見をした!」という宣言に対して、「本当に同じ方法でできるのか」とか「なんかAのいる場所で有利な条件があったんじゃないか」とか「Bでできるって言ってたけど、できなかった。何か書き忘れてる項目ない?」とかいうことを検証する試みです。つまり、「Cという発見の解像度を上げる作業」ということになります。この作業を経て、Cという発見は定説・定論として社会に広まっていきます。

僕は上のnoteをこの「追試」の意味を込めて書きました。

Slackbotに関する記述はもう既に世の中に沢山あります。しかし、そんな中でも僕は「ハマった」んですね。(技術者用語で、「なんかよくわかんないけど上手くいかない」という意味です)。

ハマった原因はGoogleのUIが変わったせいかもしれないし、Slackのトークンの取り方が変わったせいかもしれないし、単純に自分の技術力が低かったせいかもしれない。それでも情報を集めて精査し、今の自分にマッチしそうな方法を色々試した結果上手く行きました。

要するに僕がやったことは「既存の情報を「僕の」枠組みを使って再編集した結果の、「僕の」ベストプラクティスをパッケージ化してインターネットに返す」ということでした。こうすれば次にSlackbotを作りたい誰かの参考になるかもしれない(この通りに作れたら、定石に一歩近づく)し、このパッケージをもっと洗練された手法で再現できるかもしれない。だから僕はこの「追試」を通じて、「Slackbotの作り方」に関する世界の解像度をほんの少し上げたと言えると思うのです。※

※思うのです、と書きましたがLinuxをはじめとするソフトウェアコミュニティはまさにこの考え方で発展してきましたよね。

インターネットをよくするということ

アウトプットしたものが何らかの情報を含む以上、自分のフィルターを通した何かをアウトプットすれば、その分だけ世界に新しいものが加わります。そしてそこから得られる有形無形の情報により、それに触れた人はまた一つ世界を把握する解像度を上げることができます。

これをこういう捉え方をする人がいるのか(ちょっと違う側面から見てみようか)、とか、自分と同じように考える人がいるのか(やっぱり自分の考えていることは間違ってないのかもしれない)、とか。もちろん全てのアウトプットを無条件によいと言うつもりはありませんが。

だから上述のSaeさんのように苦しみながらでも何かを書き続けるというのは意味のあることだと思うし、その文章の内容(有形の情報)やスタンス(無形の情報)は必ずどこかで誰かの助けになるものだと思います。そうやって「自分がやってきたことや思ったこと」をみんながちょっとずつでもアウトプットして、世の中にシェアしていった先に「よりよいインターネット」が広がっているんじゃないかなあ、と思うのです。

僕自身のポジションについて

こういうことを書くと「それってポジショントークじゃん」と言われてしまいがちですが、めんどくさいので先に言っておくと思いっきりポジショントークだと思います。

しかし、こういうサービスを提供しているこういう企業でこういう職を得て生活している時点で、誰がどう見ても「インターネットで世の中がよくなる」という方向に人生と生活をベットしているので、それを特に隠そうとも思いません。

note酒場の本会場もそうだったのでしょうが(僕は残念ながら入れませんでした。笑)、「noteの中心でnote愛を叫ぶ」にいらした方の約半数は地方からの参加だったようです。(いつも読んでくださっている池松さんillyさん、遠くからいらした上に登壇までお疲れ様でした。)気仙沼からお越しになった方もいらっしゃいました。(じゅんこ3様、わざわざご挨拶いただきありがとうございました。)

このイベントのトリで登場した弊社の徳力さんが話したように、かつてインターネットが理想とした境地はそのアンチテーゼたる勢力にハックされてしまった歴史がありました。それでも、このイベントの盛り上がりや、そこに様々な犠牲を払って参加する人の表情を目の当たりにしてしまった以上はやはり、インターネットがどうかよきものでありますように、と願わずにはいられません。

最後に

本旨である「追試」の箇所は「娘bot」の時から既に別口で書こうかな、と思いつつもあえなく放置され、順調に熟成されていた感じだったのですが、イベントの熱気に触れてエモさ特盛りなあまり自分らしくない文章に仕上がってしまいました。

夜に書いた文章だし朝まで寝かせたほうがいいかなともちょっと考えましたが、まあ、たまには勢いで出しちゃってもいいかということで、今回はあんまり推敲せず出しちゃいます。今回のネタは鮮度も大事なので。

より長く走るための原資か、娘のおやつ代として使わせていただきます。