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note1本書くほどでもないけれど:バンバンバザール/教育のアウトカム

誰が始めたのかもう忘れてしまったのだけど、割と近しいところにいるnoteクリエイターの方が始めた気がする「note一本書くほどでもないけれど」。日記とも違う、よしなしごとを気軽に書けるフォーマットなので、こういう、断片的な考えが拡散してるときに便利だ。

トップの写真は、こないだマザー牧場で撮ったなんとかっていう珍しいらしい牛の写真だ。牛の名前は完全に忘れたが、どことなくピンク・フロイドの「原子心母」みたいな画で気に入っている。

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最近、またバンバンバザールをたくさん聞いている。バンバンバザールっていうのは、バンドの名前だ。20代のある一定の期間、かなり中毒的に聞いていたバンドで、ある一定の期間は日本で活動しているバンドでNo.1だと思っていた。少なくとも自分の中では。ある一定の期間というのは、ベースに黒川修氏が入った2001年から、ギターの富永博之氏が脱退した2012年までのうち、自分が聞いていた期間のことだ。スタジオよし、ライブなおよし。ちなみに今バンバンバザールのホームページのBiographyを覗いてみたら、富永氏がいた痕跡が完全に消えていてちょっと引いている。

またたくさん聞いているのも、その年代のアルバムだ。なぜか帰り道によく聞きたくなる。行きはトム・ミッシュみたいなやつを聞きつつ、帰りは夕暮れやとっぷり暮れた中をバンバンバザールを聞きながら歩くのだ。たまに風景と音楽がハマってしまってうっとなる。なんていうか、23区の西の方から都下にかけてハマる景色が多いバイブレーションなのだ。

個人的に最高傑作は「ALL NIGHT POTATO LONG」というライブアルバムなのだけど、なぜかサブスクでは聞けない。富永氏の件のように、いろいろ事情があるのだろう。スタジオアルバムでは「Gentleman」と「十」が好きだ。「十」にはかの金子マリがゲストボーカルに入っている曲もある。

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大学に勤めていた頃から、「教育のアウトカム」についてぼんやり考えることがある。多くは言わないが、当時の大学の現場では割と近視眼的なアウトカムが求められがちだったので、ふんわりと嫌だなと思っていたためだ。今の現場のことは知らない。

今日、外を歩いていたときにふと「蹲踞そんきょ」という言葉が頭に浮かんだ。

僕の通っていた中学校では、中学三年間の毎週1時間、剣道の時間があった。個々が購入する必要のある入学セットの中に竹刀があって、学校の剣道場には出席番号に対応した面と胴が備え付けてあった。それを中学生男子たちが日々変わりばんこに身につけては外して、雑にしまっては体育教師にゲンコツを食らったりしていた。(そういう時代の、しかも男子校だったので)

面をストレートに打たれて目から火花が散る感覚や、胴を打ち抜いた後の残心とか、もちろん本職の剣道部ほどではないにしろ、いまだに体に染み付いているところがある。その体に染み付いた感覚の中で密かに気に入っていたのが、立ち合いの始めの蹲踞から、立ち上がってスッと竹刀を前に構えて静止するところまでの一連の動きだった。それは何故か中学生男子(というか僕)の混乱しきっている情緒を落ち着かせ、とても静かな心持ちにさせた。その後、小手を嫌らしく責められたりしてまたムキーとなるのだけど。

そんなことをいまだに覚えていて、それがほんの少しでも人生を豊かにしている気もするので、あれは立派な「教育のアウトカム」だったんだな、といまようやく気づく始末だ。だから、教育が本当にそいつのためになったかなんて、多分25年とか30年とか経たないとわからないのだと思う。

さらに思うと、あの静かになる感覚はおそらく武道の効能の一つだったんだろうなと。またなんかやってみようかなという気になっている。ちなみに内部進学した高校(もちろん男子校だ)では1年間、毎週1時間柔道の時間があって、前回り受け身をしっかり仕込まれたのはもちろん、板の間で前受け身とかさせられた。

より長く走るための原資か、娘のおやつ代として使わせていただきます。