
0026 研究者のスケベ心が論文の出版・査読の問題を生み出しているのだ
元日に「何者でもないおっさん @tsuyomiyakawa 」が、科学のありかたについて整理するという連続ツイートをしておられた。
こういう「科学(業界)論」みたいなことについては色々と考えることがあって、自分の中でどういう整理になってるかをあらためて書き残しておこうと思う。タイトルが過激っぽいですが、中身はまとも(なつもり)なので、一読いただければ幸いです。
それで、さっそく言い訳みたいな話だけども、ボクは自然科学の中でも地球科学という(競技人口的な意味で)マイナーな分野での研究経験しかない。さらに地球科学の中でもマクロな天然現象の観察(たとえば海底から湧く温泉の化学組成の成因と挙動の追及)が主たる研究なので、一般に自然科学の条件として言われるような「再現性(=他者が実験によって確認できること?)」が基本的にありえないという事情もある(今ここで観察したモノは、今ここにしかないから)。なので、ここから先で広く一般化したような書き方をしてしまうだろうけども、その辺は適当にさっ引いて読んでもらいたい。
学術雑誌の歴史や行方については、大隅典子さんのブログに美しくまとめられているので、ぜひ一読を。むしろ「もうこれ以上書くことなんてないでしょ」とも思うのだが、それはそれ、これはこれ。
論点のまとめ
いきなりだけど、論点の軸は2つだと思っている。
1: 現在の査読制による論文の「質の担保」の有効性・効率性
2: 査読を含む出版システムにおける労力負担と金銭負担の正当性。
なお自然科学業界の出版・査読の仕組みについては、このnoteを読む人は知っていると想定して、説明を省略する。
1:査読による「質」の担保について
まず最初に、善意に基づく丁寧な査読(と真摯な対応)が、手法・結果・議論の検証や、タイポを含む文法の改善など、あらゆる視点から原稿の質を向上させ、掲載される論文の質が一定レベルにあることを担保していることは、疑う余地がない。これこそが査読制を続けている理由でもある。また査読の「強度(カバーする範囲・丁寧さ・緻密さ)」は、ある程度まで「質の担保」と比例する。一般論としてここに異論がある人はいないと思う。
問題は「査読強度の下限あるいは上限の設定」と「質の担保」の関係にあるのだと思う。
まずは下限の問題。まったく査読を経ない出版が下限だろう。執筆者が原稿をサーバーにあげるプレプリントがこれにあたる。これについては「査読がない」と明言されていることもあって、まったく別物として扱われているので、議論の範疇外なのだと思う。プレプリント論文と査読論文の混在をどう扱うか、という部分についての統一見解があると良いのだろうけど、ボクの分野ではまだプレプリントは一般的ではないので、ここでは議論を省略する。ちなみに、ボクはプレプリント論文と査読論文の並存は困難だろうという立場で、プレプリントはあくまで一時的なモノであって、引き続き査読を経て論文として出版されたものを正規論文として扱うことで、すべての論文を統一した制度下で扱う方が、長い目で見て科学の発展のため混乱が少ないと考えている。
むしろ査読強度下限の問題は「手法と結果の正当性のみをザッと査読する」「基本的には出版後に検証・議論されれば良い」という、いわゆる「PLOS ONE方式」のような査読をどう捉えるか、だと思う。[追記]窓月㌠・CC-BY
@windowmoon さんから間違いを指摘されました。PLOS ONEの査読方針には「Submissions will be rejected if the interpretation of results is unjustified or inappropriate」とあり、議論についても査読を受けます。私の勘違いでした。このnoteの結論は大きく変わらないのでこの追記以外は修正しません[追記終]。
ボクは、全面的にではないけども、否定的だ。原稿の内容と査読方式(強度)に不一致があるのは、混乱の種だと考えるからだ。つまり「手法と結果の正当性のみを査読する」のであれば、原稿は「手法と結果だけを報告する」のが望ましい。「導入・手法・結果・議論」から構成される原稿に対して「手法と結果だけを査読する」というのは、非対称でおかしい。ただでさえ論文の議論は、論理の飛躍や矛盾を含むものが少なくなく、それを引用することで科学が探求する真実から逸脱する危険性を孕んでいるのに(だからこそ査読が重要なのだろうに)、そんな議論の部分が査読を受けずに(あるいは低強度の査読しか受けずに)出版物として固定化されることを構造的に受け入れいている方式は、危険な方策でしかない。悪意がなくても誤った議論は展開されてしまうし、悪意があれば特定の結論に向けて議論を誘導することも出来る。(詳しくは知らないけど経済界との関連で膨大な金銭などが見込める分野では、誤った議論であっても、とにかく特定の結論を査読付雑誌に出版することにインセンティブがあるように思える)。
一方で、先に「全面的にではないけど」と言ったのは、「手法と結果のみを報告する原稿」を想定してのことである。つまり「手法と結果だけの原稿」であれば、そもそも「誤った議論が出版される」ことは回避できるし、もちろん「手法と結果のみを査読する」だけで問題はない。さらに「手法と結果だけであるからこそ、ものすごく丁寧に査読する」のであれば、諸手を挙げて賛成である。
査読強度の上限の問題。これはいわゆるNature/Scienceに投稿された原稿に対して、データの要求量が過剰になっているという問題だ。先に挙げた大隅ブログでは『この40年くらいの間に、トップジャーナルに出すための基準が大きく変わりました。ざっくり10倍程のデータの厚みが必要となった』と述べられている。簡単に言えば、刷り上がり4頁の論文に、雑誌には掲載されない補助情報(手法・結果・議論)が40頁分も付いていることになる。自然に考えれば、刷り上がりが4頁の雑誌なのであれば、執筆者が原稿を4頁になるようまとめるのは当然であり、査読者も「4頁におさまる範囲で書くべし」とコメントするのが普通だろう。それなのに査読者が「もっと補助データを出すべし」と要求することは過剰な査読であって、これが認められていることこそが不自然じゃないか。そもそも、自身の成果を立論するのに40頁かかると考えるのであれば、40頁を許容する雑誌に投稿すべきなのだ。ここでは「それでもNature/Scienceに載せたいやん?」という部分については触れたくないのだけれども、その「スケベ心」が執筆者と査読者の間で共有されていることこそが査読制をねじ曲げるパワーになっていることは間違いない。「Nature/Scienceに載せたいから4頁でも誰も文句を言えない完璧なデータを出す」とか「俺様の素晴らしき成果を開陳するのに4頁ではまったく不足なのだよ。Nature/Scienceでは話にならん」とか、そういう方向に進めば何の文句もないし、科学の発展に有益なのだけれども、なぜそうならんかね(それはスケベだからでFAなんだけどね)。
査読と質の担保についての結論は、すごく普通なんだけども、「データレポート的な雑誌」「いわゆるフルペーパー雑誌」「いわゆるトップジャーナル」の3者に分類して、それぞれに相当する査読強度基準を設け、それを執筆者と査読者の双方に徹底しておけば、それで問題はないでしょう。それぞれの雑誌の出版基準と異なる査読基準(強度)を採用するから非効率的な査読が横行しているわけだから、それを排除するには、出版基準と査読基準を揃えることで、問題は解決するでしょう。オープンデータについては、どの雑誌カテゴリでも導入するべき。データをオープンにするタイミングは、雑誌によって決めれば良いけど「遅くとも出版すると同時にはオープンにしましょうね&データの置き場は論文に明記しましょうね」ということで良いんじゃないかな。
2:出版システムにおける労力負担と金銭負担の正当性。
例外もあるけども、一般に学術雑誌出版にかかるキャッシュフローでは、研究者側は一方的に負担するばかりで、出版社のみに収入がある。
・原稿は研究者が無償で執筆する。
・査読は研究者が無償で行う。
・研究内容の編集は研究者が無償で行う。
・体裁整備などの編集は出版社が負担する。
・投稿あるいは掲載にあたっては、執筆者が出版社に支払う。
・購読するには(主として研究者である)読者が出版社に支払う。
労力負担は執筆も査読も編集も研究者側なのに加えて、金銭負担も研究者側は払うばかりで出版社の言い値で取引させられている。得られるモノは、キレイな出版物だけで、それは別に学術の価値とは無関係なものだ。昔は、出版物の流通という重要な役割が出版社にあったかもしれないけども、今の時代は「出版物」といえども実際はウェブで閲覧しているのであって、流通機能はもはやほぼ不要になっている。だから、もちろん、この状況について研究者側はたいそう不満に思っている。どう考えてもおかしいのだから。
けれども、それでもこの状態は長らくそのままで、全然解決していない。その理由は、すでに構築されている出版システムがあまりに巨大であるがゆえに堅牢であること、さらに「正当性よりも正統性」というか、要するに先ほどと同じく「有名雑誌に掲載したい」という研究者側の「スケベ心」が完全に見透かされていて、出版社側に対して研究者側が一枚岩になって抗うことが出来ずにいるせいだ。ちなみにボクの考えではスケベ心の方がより強い要因で、つまりは研究者のスケベゆえの自縄自縛なのだ。アホらしいけども。
この出版システムにおける労力・金銭負担の話をすると、必ず話題にあがるのが「査読に対して報酬を出せば良いじゃないか」という意見だ。つまり「無償なのが問題なんだ」という視点。一理あるのかもしれない。でもボクは明確に反対だ。1つには、「カネに目がくらむ」「カネでアクセプトを取る」問題が排除できないこと。査読はヒトがやることだから、どうしても情実が入って、そこにカネが易々とつけこんでくることは、学術出版以外の至る所で歴史が証明している。研究者は高潔でそんな問題は発生しないというのであれば、最初から無償でやれば良いのだ。(そもそも研究者だから高潔なんてことが噴飯物であることはあなた自身を見れば一目瞭然じゃないか)。仮に研究者がすべて高潔で絶対にカネで査読が左右されないとしても、もう1つの問題として、手続きが煩雑になるという問題がある。査読に対してそれほど高額の報酬が提示されることはないだろう。高々1万円/件とか。査読依頼がきたそれぞれの出版社に対して振込先を連絡して云々という作業を想像しただけでウンザリだ。仮に報酬が高額になるとしたら、それは投稿料や掲載料に跳ね返ってくるので、結局のところ研究者にとってそれほど良い話にはならない(査読報酬は個人の財布に入り、掲載料は研究費から支出するので、個人的にはプラスだ、というスケベソロバンもあるだろうけどね)。
研究者にとって、査読が無償であることそのものが問題なのではない。問題なのは「無償で査読する労力を出版社に搾取されている」ということなのだ。
日本に限れば、もう一つの大きな問題がある。ここまでに述べた「研究者側の金銭負担」のほとんどが研究費で賄われており、つまりそのほとんどが税金であること。にもかかわらず、出版社の多くは海外法人で、おそらく従業員の多くは国外に居住しており、法人としても日本には(日本法人の分ぐらいしか)税金を支払っていないこと(たぶん)。つまり、日本の税金が、研究業界が活動するほどそこを経由して、国内に雇用をうむこともなく、外国に流出しているのだ。とはいえ、この問題は、容易に解決できる。日本の税金の支援を受けている研究者が、極力日本の出版社を利用すれば、それだけで解決できる。もちろん研究者の労力負担が(国内とは言え私企業である)出版社が儲けるのに利用されている問題は解決しないが、元が税金でキャッシュフローを生み出し雇用を確保しているのであれば、正当な使い道と言えるだろう。こんな簡単なことがなぜ出来ないのかと言えば、先にあげた通り(日本の)研究者のスケベ心ゆえに「(すでに)有名な雑誌に掲載したい」からなのだ。(個々人の研究者の心持ちはさておき総体として概観するとそういう風に見えるということです)。
最後に、と言いつつ長い
途中から疲れてきて、どんどんと適当になってしまった。反省。当初の予定では、出版業績が一つの評価軸という存在を超越して、研究費審査や人事などでの評価の一次資料となってしまっている状況が問題だという話とか、論文はモノであるから人を評価するのは別の視点が不可欠でその最たるものが学位審査であるはずなのにそこすらも出版業績が主たる評価軸になってしまっているとか、そういう話まで到達するつもりだったのに。。。
[追記]論文の性質として議論が演繹的なものと帰納的なものがあって、雑誌あるいは雑誌内カテゴリによって演繹/帰納を峻別してやると、査読するのもまた違った味わいになるのではないかという話も書きたかったのだった。(米国滞在時にこの話をされてから引っかかっている部分なのです)。[追記終]
とにかく言いたいことは、研究業界の悪いところは、そのほとんどが「スケベ心による自縄自縛」であって、M省とかZ省とかN府とかが、IFとかtop10%論文とかノーベル賞とかいう指標を楯に研究業界批判を繰り出してくるのも、そもそも彼らにその「スケベ心視点」が感染してしまった原因は研究者側にあるのであって、つまりは「スケベ解脱」こそがすべての問題を解決する第一歩なのだということだ。
なんのこっちゃかわかりませんね。スケベって言いたいだけみたいになってるけど、でもわりと本気でスケベ心が問題なんだと思ってます。
ツイッターで観測している範囲だけでも「IF至上主義アカン!」って普段から力説している人が同じ口で「Naturteに載ったよ!」とかツイートしてるから業績リストを見に行ったら他の雑誌にもバンバン論文を載せてるんだけどそれはツイートしてなかったりするので、やっぱりスケベなんですよ。総論として「スケベがアカン」と言っている人も、各論の部分で「スケベなんです、てへ」みたいな。そういうのって、同じ価値観を共有している人の範囲では問題視されないけど、引いてみている人(研究関連の官僚とか)から見ると「オマエも十分スケベやん。ダブルスタンダードやん。」という風に見えるんじゃないかな。
ここにダラダラ書いたことを、ちゃんと描いて、提示すべきですよね。がんばります。
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