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柳沢きみおのブルース

80年代後半から90年代初頭。漫画読みとしての僕の主観でしかないが、作家としての柳沢きみおの凄味はこの時期、実にイカしていた。いや、イカれていたんじゃないかという多作ぶりだった。スピリッツで「妻をめとらば」、ヤングサンデーで「青き炎」、双葉社では「愛人」シリーズに「寝物語」、「100%」に「形式結婚」。ビックコミック系に連載されていた「男の自画像」、「流行唄」なんてのもある。多作であり、ひとつのジャンルに縛られることなく新しい畑を次から次へと耕すバリタリティはかつて昭和戦後の漫画黎明期、手塚治虫とトキワ荘の面々が漫画としての可能性を大きく広げた動きに近い。柳沢にはトキワ荘の仲間はいなかったけれど、村生ミオ、国友やすゆきといったフォロワーが柳沢が撒いたタネを自らの作品の糧とし、大きく羽ばたいていった。国友やすゆきの名作「幸せの時間」、村生の「サークルゲーム」を読めば(本人たちがどこまで意識してるかは置いといて)それはよくわかるはずだ。

柳沢自身は双葉社でシリーズ連載をしていた「愛人」が自分の転換期だと語っている。そしてスピリッツで連載した「瑠璃色ジェネレーション」。のちに柴門ふみが大ホームランをかっ飛ばす、大人モラトリアム物というジャンルをマーケットに提示し、ヒットさせたのは柳沢なのである。「瑠璃色ジェネレーション」は風間杜夫主演でドラマ化されているが、コレ、なぜCX木曜22時枠でヤラなかったんだろうか。キャストを変えて月9でもよかった。このへんのタイミングの合わなさが柳沢の過小評価につながっているんだろうが・・。

それでもスピリッツに連載していた「妻をめとらば」やアクションの「100%」(女子アナなんですよね、主人公)、のちの「DINO」につながるサスペンス「青き炎」と90年代初頭の柳沢はエネルギッシュに作品を発表していた。「妻を〜」が終わり、「DINO」をスピリッツに連載、それが終わる頃転換期はやってくる。のちに柳沢自身が語っているが「連載企画が通らない」時期が続く。実際、スピリッツにようやく再登場したのは「DINO」終了から数年後。「SHOP自分」という、これまたチャレンジングな「起業もの」というジャンルだった。そもそもタイトルからしてすごい。「SHOP自分」ですよ。原宿で古着屋を起業しようとする主人公という設定なのに、絵からはまったくそうゆう洒落っ気は伝わってこない。ちなみに柳沢にはファッションモノで「ソーイング」という作品がある。こちらはラブコメから青年モノへの端境期の作品だが、名作。

2000年代の柳沢きみおは「翔んだカップル21」をドロップ、賛否両論を巻き起こした。自著エッセイ「なんだかなァ、人生」によるとこの時期、かなりお金の面で厳しい状況だったらしい。だが、ケータイコミックというメディアの登場により、柳沢は再び脚光を浴びる。「只野仁」シリーズの大ホームランによって。

「月とスッポン」でギャグ、「翔んだカップル」でラブコメとデビュー以来、常に新しい畑を開拓しながら進んでいった作家、柳沢きみお。彼の著作をまともに語られることが少なすぎるのは読書として実に悔しい。ヒットの影にこそ、長年親しまれるポテンシャルがある作品は存在する。幸い柳沢作品はAmazon読み放題などでよく公開されている。オススメは元プロ野球選手の中年サラリーマンが球界カムバックを目指す「男の自画像」、芸能界の裏社会を描いたVシネライクな佳作「悪の華」シリーズ、時代背景含めて今読むと実に新鮮な「瑠璃色ジェネレーション」などなど。「SHOP自分」や「大市民」シリーズはあえて物語の有能な語り部、柳沢きみおを堪能してからチャレンジして欲しい。初めてビートルズを聴くにあたり、いきなり各メンバーのソロ、特にリンゴスターのソロアルバム聴いてからビートルズを理解しろといってもなかなかムリがあるでしょう。それと同じだ。

ちなみに僕の柳沢オールタイム・ベストは「妻をめとらば」。ラストシーンは当時物議を醸したけれど(宝島かなにかのレピッシュの連載でアレは生きてるのか死んでいるのか・・やってましたね)僕はあのシーンは「あしたのジョー」のラストに匹敵するものだと思います。バブル時代の日本の終わりを象徴する1ページ。ドアから主人公の手だけが伸びている。暗闇から手を伸ばせ。そして柳沢きみおが奏でるブルースが聞こえてくる。永遠に語り継がれるべき作品だと思います。


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