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コロコロとジャンプの時代part1

コロコロコミックかコミックボンボンか。

何が言いたいかといえば、昭和50年代に小学生だった男性諸君が必ず通る、下手すれば人生初の岐路みたいなもんじゃなかったのだろうか。コミックボンボンは講談社が発行していたいわゆる「コロコロ読者」をあきらかにターゲットにした雑誌で強みはガンダム関連の情報が充実していたこと。ガンブラブームに乗っかって(おそらく)部数も急上昇したはず。82年から連載された「プラモ狂四郎」はまさにその起爆剤みたいなものだった。だってね、小学生がプラモ屋通う(当時は当たり前。任天堂がファミコンで爆発的人気になる前だった)ってリアルな設定、そこのプラモ屋のオヤジが自作のVRシステムで、ガキが作ったプラモを作った当人の操縦で闘えるって神設定は見事ですよね。まさに「レディ・プレイヤー1」の30年先を走ってたとしか思えないじゃないすか。そう、ガンプラブームはコロコロ誌面では殆ど紹介されなかった。おガンダムなるパロディキャラが立石桂太の漫画で出てくるぐらいだったかと思う。そんなコロコロが再び小学生相手に政権を奪取するのはガンプラブームに落ち着き、チョロQやファミコンなるアイテムを誌面と連動させ、(このへんから僕なんかは読者として離脱していくのだが)ビックリマンチョコ、高橋名人などいまも受け継がれるキッズ・ホビーの火付け人的存在としてコロコロは君臨していくことになる。ちなみにコミックボンボンは2007年に休刊。また「100てんコミック」など、追随するように発行されたコロコロ的雑誌は長続きすることなくひっそりと消えていっている。キドタモツ(初期コロコロにて「ゴリポンくん」を連載)による「釣りガキ大統領」(おそらくコロコロの「釣りバカ大将」への対抗的作品)なんかを連載してた「100てんコミック」って双葉社だったんですね。「忍者マン一平」(著/河合一慶→のちにコロコロで「高橋名人物語」や「ビックリマン」等を描く)や吾妻ひでおの「おちゃめ神物語コロコロポロン」、「ロボダッチ」系な作品など、キッズ目線と漫画マニアのよきバランス視点で編集されてた雑誌だったんですけどね。調べてみると創刊が1980年、83年には見事休刊の憂き目にあっている。

「ファミコンロッキー」等が人気を博している頃には完全に僕は読者としてコロコロから離れている。小林よしのりによる「おぼっちゃまくん」やのむらしんぼの「つるピカハゲ丸」のヒットの頃はサンデーを経て少年ジャンプ読者に完全移行している。いや、下手するとそろそろジャンプからビッグコミックスピリッツあたりに・・ぐらいのタイミングだったかもしれない。いい機会なので記憶のかぼそい糸を手繰り寄せて考えてみると、コロコロ月刊化タイミング(1979年)ではすでに定期購読ユーザー、だがこの年に「リングにかけろ」や「すすめ!パイレーツ」目当てで少年ジャンプを初購読している。この年ぐらいからジャンプコミックスも少しづつ買うようにはなった。それでもまだ定期購読までには至らず、コロコロ購読は1981年ぐらいまで続くことになる。82年には実弟に購読権利を譲り、少年サンデーへ移行、なにせこの時期のサンデーは「うる星やつら」(高橋留美子)、「タッチ」(あだち充)、「六三四の剣」(村上もとか)、「火の玉ボーイ」(石渡治)等、強力な連載ラインナップ。ジャンプはまだ好きな作家の作品は読むけれど・・ぐらいの拾い読み状態だった。ジャンプを買うようになったのは84年の暮れ頃か85年に入った頃。「ドラゴンボール」が始まったばかりで、「北斗の拳」や「きまぐれオレンジロード」が人気爆走中の時期だ。もちろん「キン肉マン」や「キャプテン翼」は安定の人気を保っていた頃だし、そろそろ「キャッツアイ」に続く北条司の「シティハンター」が連載開始なんてタイミングだった。というか、この時期のジャンプは恐ろしいラインナップだなと今思い起こしながら(いまさらのように)感じている。それでもまだこの数年後に達成する前人未到の600万部達成まで走り続ける余白があったのだ、この時期のジャンプは。

と、初回とりとめもなく書き綴ってみましたが「ある世代」にとって、トラウマレベルで刷り込まれている程併走していたのがコロコロコミックであり少年ジャンプであると僕は考えております。そんな思いをつらつらと不定期で書いていきたいと思っております。

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音楽、漫画を中心としたポップカルチャー畑のライターです。
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