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1984年の吉川晃司

これ、2か月前に書こうとして止まっていたやつです。なんだろうな・・おそらくCSで観た吉川晃司の映画について書きたかったんでしょうな。いきなり東京湾にバタフライで登場する吉川晃司。薄暗い映画館で観たその作品はボクの中にそんな風にインプットされたわけだが、今回ちゃんと観るとニュアンスが少々異なっていた。ひとの記憶なんてアテにならないですねの典型パターン。


それはさておき。1984年は大変革の年だった。少なくとも、ある世代にとっては、と書き出したのが2か月前。要するに84年について書きたかったんでしょう。

前年秋にメジャーデビューを果たしたチェッカーズは年明け早々にスターダムへ駆け上がった。デビュータイミングで僕は彼らの姿を「ヤンヤン歌うスタジオ」で見た記憶はいまだ鮮烈に覚えている。理由はサイドヴォーカルの髭面銀縁メガネの男が、当時「悲しい色やね」でブレイクしていた上田正樹にしか見えなかったから。僕は本気で上田正樹だと思っていた。まあ、錯覚だったんですけどね。83年の秋のこと。あえて今、「暴露(ぼうろ)」するどうでもよいこと。

それまで男性アイドルといえばジャニーズであり、田原俊彦、近藤真彦に野村義男率いるザ・グッバイ、シブがき隊。他に青春映画(「ションベンライダー」)等に出演していた永瀬正敏、子役からロックシンガーへ転向した坂上忍ら若手俳優の歌手デビューが相次ぐなんて流れもありました。アイドル最前線の主役交代が一気に進んだ年ってことです。チェッカーズのブレイクを皮切りに。ちなみに永瀬正敏の歌手デビューは83年、坂上忍は84年の秋。男だぜ、永瀬だぜのキャッチコピーはたしか84年にリリースされた「行きすぎてブロークンハート」の時だった気がしますがその辺記憶は曖昧です。

そんなタイミングで吉川晃司はデビューした。主演映画つきで。うる星やつらの併映ってこともあり、偶然観たひとって多いんじゃなかろうか。しかも名作「ビューティフルドリーマー」だ。ちなみにその前年「オンリーユー」の併映は男だぜ永瀬だぜが出演している「ションベンライダー」。

先日その吉川初主演映画を観た。映画館で観て以来だから約36年ぶりに。プロフィールが元水球のオリンピック候補選手ということからだろう。冒頭、いきなり東京湾?(おそらく)にバタフライで現れるインパクト。そして舞台は六本木。ハンバーガー屋でアルバイト。「高校で演劇とかバンドとかやってたから」東京でそういう自分探し物語。そうだ、そういう上京ストーリーがまだ通用した時代なのだ。

冷静に考えれば演劇だろうがバンドだろうが漫画家だろうが東京でしか出来ないものが渦巻く中でもがいていく様は当時映画にしやすい題材だったと思う。上京ってやつ自体が物語を背負う時代。今はダメだ。漫画家は地方在住でもリモートでやっていけるし、ライブ活動をのぞけばミュージシャンも同様。まあ、演劇もそうだがこのご時世的にライブエンタメ自体が壊滅しているので上京してどうにかこうにかならない時代になってしまった。

80年代の東京はなんだか怪しくて、知ってる街並みも現実味がなく映っていた。六本木の交差点、アマンド、芋洗坂、、、。それでもこの時代は平和だった、確実に。

ちなみに吉川のデビュー曲「モニカ」は劇中で「THANKS」というタイトルで流される。エンディングは「真夜中のストレンジャー」。なにゆえカップリングの曲がここまで抜擢されるのかは謎である。

吉川晃司は「モニカ」でブレイク、「サヨナラは8月のララバイ」、「ラヴィアンローズ」と立て続けにヒットシングルを連発、一躍スターダムへ駆け上がっていく。ちなみにファーストアルバム「パラシュートが落ちた夏」はジャケのアートワーク、タイトル含めて傑作なんですよね。なんていうか、この84年でしかない成立具合というか。ラヴィアンローズのアルバムジャケとか完全にリゾートですよ。いわゆるロック的硬派さからかけ離れた完全なるフィクション。ただそれがよかったしイカしていた。

他、この84年を考えると少年ジャンプでは「北斗の拳」がブレイクスルー、「きまぐれオレンジロード」の連載が始まったのはこの年だ。すでに少年週刊誌としては王座に君臨していた少年ジャンプも変わろうとしていた。そして90年代まで連載が続くモンスター・ヒット、「ドラゴンボール」の連載が始まったのもこの年の12月だ。

まだバンドブームも渋谷系もない、1984年。だけど次のシーンへの萌芽は確実に生まれていたんだ。




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