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「乾杯ループ」第一話


第一話「乾杯ループ」


「かんぱ〜〜い!」

古臭い大衆居酒屋。
狭い掘りごたつのテーブルで、周囲の喧騒を断ち切るようにその場にいる10人ほどの男女が一斉に声を上げる。
手にもったジョッキやグラスをぶつけ合い、キンッと音が鳴り、なみなみに注がれたビールを喉へ流し込んでいく。

見慣れた光景。
大学3年生の僕は、いつものようにサークルの仲間たちと飲み会を繰り返していた。
僕もジョッキを前に出し目の前にあるグラスたちにぶつけていく。
ふと顔を上げると、今日初めてこの飲み会に参加したであろう初対面の女の子と目が合った。

キンッという音が鳴り、グラスのぶつかる振動を感じたその刹那にも満たない一瞬、僕の身体は硬直した。

まるで、時が止まったように、その一瞬が長い時間に感じられた。彼女の周りを光が差し、うるさいはずの居酒屋の喧騒が消え、その世界に僕と彼女以外いなくなってしまったような感覚。

一目惚れだった。

はじめまして、と声を出そうとする意識に対して、突然の恋の衝撃についていけない僕の声帯は完全に閉じてしまっていた。

「あっ」

意識と声帯の攻防の末、僅かに漏れ出た一文字がより事態を深刻にさせた。

「えっ」

彼女も一文字で応戦してきたのだ。
何か言わねば、と考えれば考える程、僕の脳みそはただひたすらに回転を続けるだけのポンコツになっていた。

「私のこと知ってます?」

彼女が口を開いた。
助かったと安堵しながら、僕は答えた。

「いや、初対面です。すいません。」

まるで見覚えがあったかのようなやり取りになってしまったのはこの際仕方がない。
それよりも、突如として水分の一滴すら残さずカラカラに干からびてしまった喉をなんとかしないと、僕はこの恋のはじまりをみすみす失ってしまうと思った。
僕は手元にあるビールをグビグビと流し込み、勇気を振り絞って会話を続けた。

「今日はどうして来たんですか?」

「友達が誘ってくれて、ちょうど暇だったから来てみたんです。でも、知ってる人全然いないからちょっと緊張しちゃって。」

彼女は少し不安そうな表情を浮かべ、僕たちとは反対側のテーブルの隅に目をやる。つられて視線を動かすと、幹事の男と楽しそうに話すショートカットの女の子がいた。

「あの子がその友達?」

「はい。飲み会を企画してくれた人と仲がいいみたいで。」

「そうみたいだね。二人はうちのサークルに入るの?」

表情筋がおそらく仕事をしていない。僕はにやにやと緩んだ顔で欲望丸出しの質問をした。

「うーん、、今日はとりあえず来てみただけっていう感じで。でも友達はあの感じだから入るのかな。」

再び幹事と友達のほうに目をやりながら話す彼女。

友達の女の子がチャラそうな幹事に連れ出されるのを心配しているのか、はたまた幹事の男に気があるのか、僕はそんなことを考えながらテーブルの隅を向く彼女を見つめる。
二重のぱっちりした目にすらっと伸びた鼻筋、長い黒髪からのぞく小さな耳まで、僕は吸い寄せられるように彼女に引き込まれていた。
再び喉を潤そうと手探りで自分のジョッキをつかもうとした瞬間、

ガタンッ

「あっ」

横たえる中ジョッキ。
流れだす生ビール。
やばいと気が付いたのも束の間、金色に輝く液体はお通しの枝豆が入った小皿をかき分けてびちゃびちゃと正面に座る彼女の膝元に降り注いだ。

「きゃっ」

彼女は声を上げ、それに気づいた周りの仲間たちもこちらを見た。

「ごめんっ、まじでごめん今おしぼりもらうからっ、これとりあえず使って、」

焦りを隠しきれない僕は、バタバタと手元のおしぼりを彼女に渡し、周りのおしぼりで流れ落ちるビールをせき止める。

「おいおいー、もう酔ってんのかー。バップだぞー!」
(※バップ:お酒の場でよく言う失敗のこと、バップするとお酒を一気飲みさせられる。)

「大丈夫?」

「すみませーーん、ちょっとおしぼりーー!」

周りの仲間たちが手慣れたように、僕には罵声を、彼女には心配の声をかけ、店員を呼び止める。
こんなことは飲み会の場ではよくあることだし、いつもなら僕も笑いながらごめんごめーん、飲みまーす!などと言ってそのあたりの酒を一気飲みして終了のはずだ。
しかし当然、今日の僕にはそんな風に軽口を叩く余裕はなかった。
恐る恐る彼女のほうに目をやると、明らかに表情を曇らせながら、びちゃびちゃに濡れてしまった真っ白なスカートを拭いていた。
真っ白なスカートに染み込んだ金色の液体、元通りにはならないことは一目瞭然だった。

終わった。完全に終わった。僕の頭は彼女のスカートのように真っ白になっていた。

ものの数分後には、テーブルの上は元通りになり、新しい中ジョッキが運ばれてきた。

「おらー、届いたぞー、飲め飲め!」

僕は立ち上がり、新しくなみなみに注がれたビールを一気に飲み干した。周囲にあおられたことよりも、自分自身が今日のことなど忘れてしまいたい一心で。









早朝、僕はいつもより2時間も早いバスに乗り、大学へ向かっていた。
大学内の図書館で勉強するためだ。
今日さえ乗り切れば長期の休みに入る嬉しさで、4日にも及ぶテスト期間の最終日の割には高いモチベーションを維持していた。
普段に比べて格段に清々しい気持ちで、早起きもたまにはいいなあなんて考えていると、後ろから聞きなれた声がした。

「おう、はやいねー。」

にやついた表情で、バスに乗り込んできたのは同じ学科の友人だった。

「おはよう、お前こそめずらしいな。」

「いやー今日のテストまだ手付けてなくてさー。この2時間が勝負だわ。てか、今日テスト終わり飲みに行かね?」

友人らしいと思いつつ、飲み会の誘いに嫌な記憶がよみがえる。

「あー、どうしようかな。」

僕が渋い顔をすると友人は、あはははと満面の笑みを浮かべながら言った。

「こないだの飲み会やばかったもんなー。記憶残ってんの?」

そう、およそ3週間前のあの飲み会。
僕の人生最大の一目惚れがビールによって一瞬で崩れ去った飲み会。
あの後、僕は一言の謝りを入れた後、気まずい空気に耐えきれず席を移動した。それからは、声をかけることもかけられることもなく、ただ一心不乱に酒を飲み続けた。
そして、念願叶った僕は、その日の記憶を飛ばすことに成功した。
大勢からの軽蔑のまなざしとともに。
それでも決して消えることはなかった。彼女への想いと、最後に見せた苦い顔だけは。

「なんも覚えてないわ。今日は学科の奴らだけ?」

彼女への想いは隠したまま会話を続ける僕に、友人は淡々とした顔で衝撃的なことを口にした。

「いや、結構大勢集まるらしくて、ほら、こないだお前がビールぶっかけた女の子とその友達の子も来るらしいよ。覚えてないのかもしれんけど、かわいい子たちだったから、みんな誘ってるみたいよ。」

僕は顔で驚きを伝えるように、目を見開き、口を開けたまま一言、つぶやいた。

「まじ、?」

「まじだよ、てかさすがにそのことは覚えてんのか。今日飲み会来て直接謝ればいいんじゃね。」

こいつにしてはいいことを言う、と感心しながらも自然と僕の首はうんうんと頷いてしまっていた。
せっかくのチャンスだ。この間のことをしっかり謝って、あわよくばスカートを弁償するために、デートに誘えたりしないだろうか。
邪な願望を胸に抱きつつ、「行くわ。」とだけ伝えた僕は、大学に到着するまでの間をイメージトレーニングに費やしたのだった。







18時50分。今日の集合場所である居酒屋に到着した。
前回とは別の店だが、雰囲気は大体同じだ。店員に案内され、店の奥にある宴会用の大広間に案内される。
ふすまを開けると、すでに数人の友人たちが座ってわいわいと話し込んでいた。
よく見るとその中に、彼女はいた。
前回とは違い、ショートヘアの友達も隣にいる。
一旦深呼吸し、平静を装いながら皆に声をかけた。

「おつかれー。今日かなり人数多いんじゃない?久々だよこっちの席。」

友人たちがこちらに振り向き答える。

「おーおつかれ。そうなんだよ、テスト明けでみんな我慢してたんだろ。」

友人たちと他愛のない会話を続けながらさりげなく、彼女の正面に座る。
彼女のほうに目をやると、横にいる男と楽しそうに話をしている。前回幹事をやっていた奴だ。
この3週間の間にずいぶん仲良くなったみたいだ。こんな顔、前回は見れなかったな、と嬉しさと羨ましさが共存する複雑な感情に身を包みながら、彼女に声をかけるタイミングを見計らっていた。
そうこうしているうちに、少しずつ人数が集まり、あと数分で飲み放題の開始時間が近づくと、彼女と話していた男が立ち上がり店員のほうに歩いて行った。
彼のことを目で追っているような気がする彼女に、僕はここぞとばかりに声をかける。

「久しぶり。覚えてるかな、あの時は本当にごめん。」

謝る僕に彼女はにっこりした顔でよそよそしく答えた。

「あ、お久しぶりです。全然気にしないでください。私こそ、この間は気まずい感じにしちゃってごめんなさい。」

先ほどまで幹事の彼にみせていた笑顔とは比べるまでもないほどの愛想笑いを浮かべながら彼女は答えた。
僕はその表情に、沈痛しながらも、自分に大きな被害を与えた僕に対して笑顔で謝る彼女にますます強く惹かれてしまう。罪悪感に駆られる僕は再度謝罪した。

「いや、謝らないで。本当にごめんなさい、あのスカート大丈夫、じゃなかったよね。」

「えーっと、」

彼女は、目を上に向け、まるで僕を傷つけないように言葉を選んでいるような面持ちで、少し間を開けてから答えた。

「あのスカートはもともとだいぶ古い物だったので全然いいんです。飲み会にあんな白い服着てきた私もバカですよ。」

あの時の彼女の表情を思い出し、本当はお気に入りの洋服だったんだろうと思いながらも、それを隠す彼女の優しさを痛感し、弁償を理由にデートに誘おうなどと考えていた自分の浅はかさを恨んだ。よく見ると、今日の彼女は黒いスキニーパンツをはいていた。

すると、幹事の彼が席に戻ってきた。
彼女は、彼のほうを見つめている。

「はーい、では皆さん!テストお疲れさまでした!落とした単位のことは忘れて、今日は楽しみましょう!乾杯!」

「かんぱーーーい!」

幹事の彼がいつものように音頭を取り、皆がそれに続く。
彼女は嬉しそうな顔で、カシスオレンジの入ったグラスを彼のジョッキにぶつける。
僕は恋の終わりを感じながら、彼女よりへたくそな作り笑いでジョッキを持ち、彼女に一言、「乾杯」とつぶやいた。
すると彼女もそれに応えて「乾杯です。」と可愛らしく微笑む。

儚い僕の一目惚れに終わりを告げるように、キンッという音が耳に響き、彼女のグラスと僕のジョッキがぶつかった。

その瞬間、僕の身体は硬直した。
まるで、時が止まったように、その一瞬が長い時間に感じられた。彼女の周りを光が差し、うるさいはずの居酒屋の喧騒が消え、その世界に僕と彼女以外いなくなってしまったような感覚。

世界がぐにゃりと曲がった気がした。


次に、僕は違和感を感じた。


周りを見渡すと景色が違う。
そこは3週間前に飲んだ居酒屋。
さっきまで斜め向かいにいたはずの幹事の彼は反対側の隅にいる。
何が起きたか理解できないまま僕は正面を見た。

彼女はそこにいた。相変わらず僕の目の前に。
視線を下にやると、見えてしまったんだ。
真っ白なスカートが。
あの日、僕がダメにしてしまったはずの真っ白なスカートが染み一つなく綺麗に光っていた。
脳の情報処理が追い付かない僕は、パニックになりつつあり、叫びだしたい気持ちを抑えようと強く意識を向ける。

「、、あ?」

抑えようとする意識と叫びだしたい声帯の攻防の末、僅かに漏れ出た一文字が事態をより明確に、不気味に変えてしまった。

「えっ」

目の前の彼女が不安げな顔で言った。

「私のこと、知ってます?」







第一話完結です。


どんなことでも、コメントに感想をくれるととても喜びます。

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まあ、正直言えばポジティブな意見のほうがもちろんありがたいです。

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引き続き、第二話の投稿をお待ちください。

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